想術師連続殺人事件編 ブラッディ・ジャスティス
アイサ襲来です。
禍々しい傀朧が渦巻き、赤く血の煙る廃遊園地。
水戸角アイサは、瓦礫の中心に無言で立っていた。その顔に表情らしき表情は見られない。普段常に浮かべている人を食ったような笑みは勿論、白を傷付けられた怒りも、数多に対する警戒も、何も読み取れない。
その青く光る瞳は、数多ではなく、気絶して倒れ伏した白を無感情に見つめていた。
「……時期尚早だったか。相性の悪さは明白だったが、まさかここまでとはな」
ぽつりと、独り言のように呟く。
「良いのかよ、よそ見してて!」
数多は両腕を広げ、全身を指揮者のように振るって想術を差し向ける。
(【飛血鎌】、【血針】、【ブラッディ・ショット】――――全部乗せだ、喰らえ!!)
背後に背負う膨大な傀朧の塊から、夥しい数の攻撃が一斉に降り注ぐ。振り回される腕に合わせて無軌道に襲い来るそれらの攻撃を、アイサは躱しもしなかった。
何発もの衝撃音が割れた地面を揺らし、血煙が再び周囲を覆う。
「今日さ、死にかけた時に気付いたんだよね、オレ」
赤い靄の向こうに透けるアイサの影へ、空中に漂う赤い傀朧が収束していく。アイサを覆い隠すようにして赤い球となったそれは、数多の傀朧を吸って見る間に膨れ上がる。
「超いっぱい傀朧使えんのがオレの強みなんだから、それで相手ごと包んじまうの、結構強くね? って」
アイサを包んだまま、傀朧の球は脈動する。収束と凝縮を繰り返し、脈打つ度に密度を増すその球は、次第に心臓に似た歪な形へ変形していく。
数多は、高さ七メートルほど――――二階建ての一軒家を軽々覆い隠せるほどに大きくなったそれに歩み寄り、ひたと掌を押し当てる。慣れ親しんだ傀朧は、その手にしっくりと馴染んで心地良い。
今ならなんでもできる気がする。
数多は期待に胸を高鳴らせる。想術は術者のイメージが重要だ。今の数多には、勝てる予感――――否、確信がある。
「確か佐竹、何かかっけーコト言ってたよな。紅夜も、想術は名前が付いてた方が良いって言ってたし……」
数多は想像する。
佐竹と戦ったときのような苦し紛れではなく、数多の思う〝最強の空間〟。
(世界は真っ暗で、ドロドロで、無駄に広い癖に窮屈で、良い事なんか一つも無い。そんな中で、オレだけが正義のヒーローだ。ヒーロー……マスクやスーツがあって、マントがあって、それから……戦隊物ならやっぱり赤だよな! オレの得意な想術って〈血〉の系統だし――――なら、名前はコレだろ!)
「【ブラッディ・ジャスティス】!」
威勢の良い声と共に、目の前の血の球が爆発し、一気に収束する。
次の瞬間には、赤い画用紙を黒いクレヨンで雑に塗りつぶしたような色彩の空間に、数多とアイサの二人だけが立っていた。東京のビル群を模したように高低差の付けられた床が、左右前後の区別なくどこまでも続いている。
実在の街並みと特に大きく異なる部分を挙げるとすれば、それは空だ。
その空間には天井があった。三〇〇メートルほどの高さで、ところどころ柱に支えられている。まだらな赤黒い天井のせいで、無限に思える空間が、どこか狭苦しい。
空間の一番高い場所に立つ数多は、ひときわ鮮やかな赤色のヒーロースーツに身を包み、高らかに笑った。
「あーっはっはっは! すっげー! オレ、今めちゃめちゃヒーローじゃん! 敵役の魔女なんかに負ける気がしねーや!」
アイサはここで、ようやく数多の方を見た。マントをはためかせる姿を見上げて「ふむ」と呟く。
「【想極】か。しかし仕上がりは傀異の傀域に近いな。空間に〈血〉の禁忌的概念が充満している……〈重さ〉〈遅さ〉〈後ろめたさ〉もブレンドしてあるのか。大規模なデバフと、それを防ぐ結界的役割を果たす防御スーツ――――バランスもまずまずだ。ジャンクとはいえ銀滝白の模造品、といったところか。見様見真似でこのセンスとクオリティ、悪くない」
相も変わらず無感情な声。喋るばかりで一向に動く気配の無いアイサに舌打ちしつつ、数多はアイサめがけて飛び降りた。
「ごちゃごちゃ言っててヘーキか、よ!」
ライダーキックよろしく、数多の脚がアイサを蹴り穿つ――――そのはずだった。
「!?」
数多はライダーキックの姿勢のまま、空中で制止する。
蹴りの衝撃を完全に殺した上でその身体を支えるのは、たった一本、水戸角アイサの人差し指だった。握り込んだ掌を上にして、まるで猫の顎でも撫でているような気軽さで差し出された人差し指が、数多の動きを封じている。
「ああ、悪くないとも――――良くも無いがね」
くい、とアイサの指が上向きに曲げられる。全身に暴風のような圧力が駆け巡り、数多は気付けば天井にその身を打ち付けていた。
「ガハッ――――!」
「確かに多少動きづらい。例えば――――心に傷のある人間、探られたら痛い腹を持つ人間、固定観念や信仰が強い人間なんかには効いたかも知れないね」
その声は、数多の耳元で聞こえた。
「しかし、それだけだ。実につまらない」
瞬時に数多の元へ移動し、天井を足場にしたアイサが、しゃがみ込んで数多を眺めている。長い髪は重力に逆らい、天井側に垂れている。
(コイツ、イカれてんだろ)
数多は反射的にそう思う。
【ブラッディ・ジャスティス】は、アイサが言った通り、〈血〉をベースとしたいくつかの概念で構築されている。相手の不快感や罪悪感を増長させる傀朧で満たされた空間は、引き込まれた者の動きを強く制限する。そのはずだった。
理屈はさておき、直感的に数多は理解していた。
人間社会において、罪悪感も後ろめたさも全く感じず生きている者など、いるはずが無い。
生き物であれば、〈血〉に対する嫌悪感を覚えない者など、いるはずが無い。
だからこの想術は強いはずだと。
仮に、それらに無感覚な人間がいたとしたら、明らかにどこかがおかしい――――イカれている。
「相手を間違えたな、出来損ない君」
空間の法則を無視した異質な存在が、まるで生き物で無いものを見るような目で自分を見つめている。
(クソッ、動けねえ。声もでねー)
背中を打った衝撃が抜けきらない。更に自分の周りだけ重力が増したような圧迫感が気のせいで無いことは、アイサが天井を足場にしていることが物語っている。
アイサの手によって、力の向きが狂っているのだ。
広大な空間で、天井のただ一点へ磔にされた数多は、浅い呼吸を繰り返すことしか出来ない。
「私はたまに、白と模擬戦をしてあげるんだがね。本気を出せたことなんて一度も無い。もちろん、負けた事もね」
しゃがみ込んでいたアイサが立ち上がる。一気に反転する視界の後に、数多は自分が再び空中へ放り出されたと気付いた。
「真剣ですら切れない物を摸造刀ごときが切ろうだなんて、思い上がりも甚だしい」
アイサの声が遠のく。数多の身体は暴力的な重力に振り回され、赤黒い壁に打ち付けられては跳ね回る。脳が振り回されて意識が遠のくが、繰り返される鈍い打撃が気絶を許さない。勢いは弱まるところを知らず、ただいたずらに数多の身体へ打撲痕だけが増えていく。
「少し泳がせてみたが、期待外れだったな」
天井から手近な塔の縁へ降り立ったアイサは、長い脚をひらりと組み、ピンボールのように跳ね回る数多を見下ろす。ヒーロースーツの仮面が砕けた隙間から、数多が歯を食いしばって痛みに耐える表情が見える。
「見た目ばかり似せて、どこまでも趣味が悪い。正義のヒーローを気取るのも気に食わないね。それを背負えるのは、銀滝白だけだというのに」
アイサは右手を緩く掲げる。白く細い指に力がこもる。
「所詮こんなものか。ああ、全く――――|Scheiße egal」
――――ぱちん。
指の打ち鳴らされた音と同時に、二人の身体が虚構から現実に引き戻される。
荒れ果てた廃遊園地に倒れ伏す、同じ顔の二人の少年。気を失った白のそばに立つアイサは、息絶え絶えの数多から再び目をそらした。
「なるほど。視界に入れたくも無い、というのはこういう感情か。勉強になったよ。壊れる前に役に立って良かったじゃ無いか、被験体S-227――――」
「血倉数多だ。その子には名が在る、其許の足元に倒れ伏した少年と同じように」
――――静謐な声。
数多の傍ら、和装の男が、初めからそこに立っていたかのような自然さで佇んでいた。夜風にたなびく赤い長髪の奥、アイサを見据える瞳には、静かな怒りが燃えている。
「おや、珍しい男が姿を現したものだ。そこのガラクタはお前の手駒だったのかい?」
「白々しい。初めから分かっていた癖に、今更その物言いは無かろう」
「知らない振りは世渡りの基本だよ、浄霊院紅夜。お前がいると面倒だ、壊すのは今度にしてやるから回収して立ち去ると良い」
踵を返そうとしたアイサの動きが止まる。赤く光を帯びて動かない己の脚に目を落とし、口元に笑みを浮かべてゆっくりと紅夜と視線を合わせる。
喜びと警戒が入り交じったようなアイサの鋭い眼光を受けて、紅夜は静かに言った。
「そう急くなよ、魔女。私は其許に話がある」