特命係 ③
「──────つまり、傀異の発生は、人間が言語を獲得して以降常態化していて……って、皆さん聞いてますか!? 付いてきてくださいよ!?」
小一時間に渡る佳澄の講義は、ラストスパートを迎えようとしていた。
「……佳澄ちゃん、そろそろまとめに入って貰えると助かるよ」
苦笑しながら諌める甲斐の手には、紙ファイルとボールペンがあった。佐竹や馬崎も、各々が書類作成や押印作業に勤しんでいる。
この日に急務は入っていないが、佐竹が言ったとおり、全員暇では無いのだ。
唯一白だけは、けだるげにゲーム●ーイでテ●リスをしている。一応子供の白は、現在業務時間外だった。
「む、たしかにそうですね。中学校ならそろそろ授業が終わる時間です」
「そう、頃合いだ」
納得したようにマーカーを置いた佳澄の言葉を待っていたかの様に、入り口のドアが開く。
平然と事務室に入ってきたのは、星形のサングラスをかけたアイサだった。
「うわっ何その変な眼鏡」
「ん、これかい? 狭い場所で踊り狂うだけ踊り狂って解散する、という珍妙な会の参加賞だ。良いだろう? 君達の分もあるぞ」
(どんな会だよ。全く想像付かねぇよ)
引き気味でツッコミを飲み込んだ白をものともせず、アイサはその場にいる全員の頭にサングラスを乗せて回った。鮮やかな手際に誰も反応できず、全員がされるがままである。
むしろこういったアイサの奇行は日常茶飯事であり、正確には、『誰も相手にする気が無い』のだ。
「一方的な言葉で説明しようとするから相手にされないのだよ、佳澄」
アイサはホワイトボード前のソファにどかっと座り、掛けていたちゃちなサングラスを指先で弄ぶ。
「まず、傀異は何からできている? 和音」
「人間の想像の副産物――――傀朧です」
「よろしい」
突然名指しされた佐竹は作業しながらさらりと答え、アイサは満足げに頷く。
そして、サングラスを弄んでいる手と反対の手を軽く上げ、人差し指を立ててくるんと空をかき混ぜた。
淡い青の霧が、アイサの指先に漂う。
「傀朧。傀異の朧。
全ての想像に伴う、名前通り朧気なエネルギーの総称だ。これ自体に害は無い。
では、傀朧が傀異に変化する条件。忠勝」
「傀朧は、特定の、強い引力がある概念に収束して蓄積されていきます。それが一定量を超えた時、ですね」
「Good、だ」
無駄に良い発音で褒められ、甲斐は苦笑する。
「傀朧は集まることによって性質を強め、意思を持って実体化する。これが傀異だ。モノによっては悪さをする」
アイサは再び人差し指を軽く振った。霧が濃さを増し、青黒く変色する。
「では、その傀異をどうやって倒す? 優貴」
馬崎は、待ってましたとばかりに眼鏡をクイッと押し上げた。
「傀異は、傀朧でしか倒せません。
傀朧を操る術を想術といい、想術を使う人間を想術師と呼びます。この中だと、唯一佐竹さんがそうですね」
「你懂好多喔」
「何て?」
綺麗な中国語の発音だった。
「詳しいじゃないか」という意味の、いっそ皮肉めいた言葉だったが、生憎この場に中国語を修めた人間は居ない。
「あ、アイサさん! 質問です!」
佳澄がぴょこんと手を挙げる。
「よろしい。言ってごらん、adorable」
「あどら……? えっと、この場に傀朧を操れる人って三人いますよね。道具を使えば、甲斐さんも」
謎の外国語(因みに今度はフランス語だ)に戸惑いつつも、佳澄は白とアイサを見る。
アイサは現在進行形で傀朧を指先に宿しており、白は毎度最前線で戦っている。実際に見たことは無いが、白も傀異を祓う時に傀朧を使っているはずだ。
「良い質問だよ、佳澄。想術師は国家資格なんだ。私と白は無免許、ということさ」
無免許。
――――無免許!?
「えっ……え、それ良いんですか!? 仮にも警察なのに!?」
「黙認されているんだ。警察と、想術師をまとめた組織――――想術協会は犬猿の仲でね。免許持ちだと不都合なコトが、星の数ほどあるのさ」
アイサの言葉に、馬崎・甲斐・佐竹の三人は深い溜息を吐く。馬崎は眉根を寄せて額を抑え、甲斐は一気に疲れた表情へ変わり、佐竹はガシガシと頭を掻いた。
頭を掻いた拍子に落下した佐竹のサングラスを、アイサの指から糸の様に伸びた傀朧が器用にキャッチする。
「皆を見れば分かると思うが、これは結構根深い問題でね。佳澄も、そのうち体験すると思うよ」
「いや、佳澄はあたいが守るから……心配すんな……」
「先輩、そんな疲れ切った声で言われても……」
げっそりしながらも強がって笑う佐竹に、佳澄は心配の目を向ける。
そんな二人の様子を見て、アイサはからからと朗らかに笑った。
「佳澄もいずれ、和音と同じ顔をしなければならなくなる日が来るよ。その時まで、協会については棚上げで良いだろう――――話を戻そうか」
アイサの言葉が途切れると同時に、指先の傀朧がサングラスをすっぽりと包み込む。
「人間の思考、想像、脳の活動の残りカス。それが傀朧だ。
それを集めて、集めて、ひとところに纏めると……」
サングラスのレンズが青黒く変色し、ふるりと震えた後、ツルの部分を足の様に使ってぴょこんと立ち上がる。
「このように、意思と形を得て活動を始める。
簡易版のお手軽キットとして、今は現物のサングラスを依り代に使っている。サングラスを壊せば、傀朧も行き場を無くして散らばってしまう。
しかし、本物の傀異の器は、大抵が物質では無く『概念』だ。切っても殴っても死なない、まさしくバケモノさ」
「ほ~……」
「佳澄は見るの初めてだったか? アイサさんの暇潰し」
サングラスをつつきながら感心した様な声を上げる佳澄に、佐竹が声を掛ける。
「傀朧遊び?」
「ああ、アイサさんは免許こそ持っていないが、傀朧の扱いがズバ抜けて上手いんだよ。想術協会のトップにも匹敵するんじゃないかと言われている」
「戦ってみないと、私にも分からないがね」
アイサはいたずらっぽく笑って、テーブル上でぴょこぴょこ動き回るサングラスを指で追い回す。
「傀異の多くは、純粋な傀朧でできている。このサングラス君のように、本体を破壊すれば哀れに消えてしまう、とは行かないことが多い。
そこで使うのが、コレだ」
逃げ惑うサングラスに向けて、アイサは指を鉄砲の形に立てる。指先に青黒い傀朧が渦巻き、次第に明るい薄水色の点へと収束する。
「Bang!」
アイサの声と共に、指鉄砲から光が放たれる。キュンっ、と機械的な銃声がして、打ち抜かれたサングラスはぱたりと動かなくなった。
「あっ……」
「憑き物タイプの時も、傀朧を使った想術ならば、依り代を傷付けずに傀異を祓うことができる」
「容赦ないねぇ、アイサさん……」
哀れむ様な目でサングラスを見下ろす佳澄の背をぽんぽんとさすりながら甲斐が苦笑する。
「一般人に見せると厄介だからな、私のままごとは」
パチン、と鳴らされたアイサの指は、そのまま玄関を示した。
「……えっ、と」
開きかけの玄関から、見知らぬ女性が困り顔でこちらを覗いている。
「依頼だ、諸君」
特命係に舞い込んだ依頼とは?
次回からは依頼編に突入します。