想術師連続殺人事件編 竹と電話と敵の罠
(シロ、上手く逃げたかな)
佐竹は、想術師協会本部から遠く離れた竹林の中で腰を下ろし、空を仰ぎながら内心ぽつりと呟いた。白い狐面の傀具はとうに処分している。木漏れ日に晒された佐竹の白い頬を、濃い緑に濯がれた爽やかな風が緩く撫でていく。
白が逃げて協会本部から遠ざかるまで、そう時間は要さない。佐竹は数分その場で粘り、敵を庁舎外まで誘導して、結界を抜けてから逃走した。追っ手の気配も無いので、上手く撒けたのだろう。
白に向かって「ひと華咲かせてやる」と豪語してみたは良いものの、自分の身元が割れては元も子もないので、佐竹自身の想術を使うわけにはいかない。佐竹が出来たことといえば、せいぜい傀具でダミーの傀朧をまき散らした程度だ。
深い溜め息が、佐竹の口から漏れる。
自分でも意外なほど長く深い溜め息で、管制室で白を安心させようと言った言葉が、案外自分の本音に近かったことに気付かされる。今の自分は、謀略の渦中で奔走することに倦んでいるのだろう。佐竹の身体は、死力を尽くし一暴れしてスカッとするような、そんな機会を求めていた。
(疲れた……)
佐竹はポケットからスマホを取り出し、佳澄の番号をタップする。数コールで、可愛らしいハキハキした声が応答する。
「はい、結城佳澄です!」
「おう、佳澄~? あたいだあたい」
「お疲れ様です、佐竹先輩! なんか、ちょっと声疲れてますか?」
ぽやんとしているようで、こういうところは鋭い。佳澄の心配そうな声に、佐竹は苦笑しながら返した。
「ちょっとな。アイサさんに代われるか?」
「代われますけど……アイサさんに直接掛けなかったんですか?」
「あの人の電話は一通だからな。自分からはポンポン掛けるくせに、自分のスマホ使って電話に出たこと一回も無えんだよ」
「あれ、そうでしたっけ」
「佳澄も今度試しに掛けてみな。絶っ対出ねえから」
「やってみます」
素直に返事をする佳澄に、自然と頬が緩む。佳澄の背後から「やらなくていいよ、佳澄ちゃん。時間の無駄になる」と甲斐の声が微かに聞こえ、佐竹はおもわず「ふはっ」と笑い声をこぼした。
「えっと……とりあえずアイサさんに代わりますね」
佳澄はそう言って、アイサと電話を代わった。
「やあ、和音。そちらは順調かい?」
「あんまし順調とは言えねえな。ハッキングの途中でエラー吐かれて撤退したよ。シロがUSBを持ってそっちに向かってるけど、目的の情報が上手く抜き取れたかどうかは分からない」
佐竹は溜め息を吐き、ポニーテールを解いて、がしがしと髪をかき乱した。初秋を感じる風が心地いい。
「シロは今回の事件、あんまり深入りさせたくないんだよ。今後進展があっても、バトる時はあたいに回してくれ。あの子に人間の血を見せるのは良くない」
「そうだな、善処しよう。ちなみに、和音の所在地は?」
「まだ京都だよ。追っ手を撒いて一息ついてる再中さ」
「それは丁度良い」
「ん?」
「こちらの調査で、色々と分かったことがあってね」
アイサの声色が変わる。佐竹は居住まいを正し、手元に別デバイスを構える。
「分かったこと、か。そっちは現場の調査だったよな?」
「ああ。現場にたっぷり残った傀朧痕を追って、我々は敵のアジトに辿り着いた」
「アジトって、そんな戦隊ヒーローの敵役みたいな」
佐竹が失笑するのを、アイサは真面目な声で遮る。
「それに近い。画像を送ろう」
てっきり「冗談だよ、本気にしないでくれたまえ」といった返事が来ると思っていた佐竹は、訝しく思いながらも手元のデバイスを立ち上げた。
メッセージアプリで送られてきた画像には、アパートの一室が写されている。全体の写真、壁の接写、テーブルの接写。壁一面に様々な紙が貼り付けられ、横断するように何本もカラフルな線が引かれている。その中央には、大きく拙い『ヒーローは そうじゅつしを ゆるさない』の血文字。テーブルの写真には、広げられた地図の上にチェスのコマが幾つか乗せられている。
「……なんか、刑事ドラマのホワイトボードと悪の幹部のアジトとホラーをごっちゃにしたような世界観の部屋だな」
「『世界観』か、言い得て妙だな。面白いね、若者の感性は」
「言ってアイサさんそんな年寄りじゃ無いだろ」
「どうかな。もしかしたら想術で若作りしているだけで、六十を超えているかも知れないぞ?」
「ありそうな冗談言うのやめてくれよ。それで?」
「この部屋に、これまでの想術師連続殺人事件の手口が全て残されていた」
佐竹は言葉を失う。
「……マジ?」
「大マジだ。被害者のルーティーン、犯行場所、日時、エトセトラ。警察の捜査資料と十分に整合性がとれるうえ、警察の捜査資料を上回る、仔細つまびらかな情報が全てこの部屋に詰まっている」
佐竹は壁の接写画像を拡大して、その内容に視線を巡らせる。確かに、アイサが言ったとおりの内容がそこに並んでいた。
「警察から見たら垂涎モノの情報部屋だが」
「みなまで言うなって、アイサさん。こりゃ『犯人の部屋』じゃねえ、だろ?」
佐竹は険しい顔で更に画像を読み込む。見れば見るほど、乱雑に並んだ情報群に違和感を覚えた。
「こんな実用性もへったくれも無えような情報管理、あたいが犯人だったら絶っっ対しないね」
一見適当に並べられた数多の情報をよく見れば、事件毎にまとめられていることが分かる。ちょうどカレンダーのように、左上から順に、横並びに。
これが事件毎に累積していった情報であれば、こんな並びにはならない。
壁に情報を貼り付ける行為には、基本的に理由がある。情報を整理するため。あるいは、日常的に視界に入れることで記憶するため。
どちらにせよ、重要かつ現行の情報は、見やすい中央に寄るのが自然だ。その傾向が一切見られない。今回の事件で血塗れになったオフィスや被害者の情報は、壁の左下に追いやられている。
この壁から佐竹が読み取ったのは、ふたつ。
『乱雑さの演出』と、『展示物としての並び』だ。
「露骨に作為的だし、なにより、セキュリティ面が最悪だ。ガバすぎるだろ、いくらなんでも」
アイサから送られてきた資料には、外から見たアパートの写真や、部屋の間取り図もあった。
この壁がある部屋には窓がある。
カーテンは掛かっているが、よくある安いガラス張りの窓だ。その気になれば侵入も盗撮も簡単にできそうである。
「壁に情報貼るとか、金庫の中でもねえと怖くて出来ないだろ、普通」
「犯罪者に普通を求めるのがナンセンスなんだよ、和音。しかし、その意見には概ね賛成だ。そもそも、べったりわざとらしく付けられた傀朧痕をたどって行き着いた場所だしね」
「……佳澄と甲斐さんは?」
「『罠に決まってる』と」
「同感だな」
「私もさ。しかし、虎穴に入らずんば、と言うだろう? ここにある情報の確からしさは、軽く見ただけで高いとわかる」
(普通なら、軽く見ただけで確からしさを判断するのは馬鹿がすることなんだけどな)
アイサの言い回しに内心苦笑する。アイサに普通を求めることも、殺人犯に普通を求めることと同じく愚かなのかも知れない。
「これだけでも来た甲斐があるというものだが、もう一つ、恐らく重大な情報がテーブルにあった」
アイサの言葉に促され、佐竹はテーブルの画像に指を滑らせた。拡大したテーブル上に敷かれた紙。描かれているのは、京都の地図だ。ポーンの駒の近くに、赤いペンで印が打ってある。
「和音には、ここに向かって欲しい」
「罠だろ」
「私もそう思う。しかし、敵に乗らなければ動かない大局というものもあるのさ」
佐竹は深く溜め息を吐いた。竹林の高く伸びる空を仰ぎ、緩く流れる雲を目で追ったまま愚痴るように溢す。
「人遣いが荒いんだよ、アイサさんは。気をつけねえと信用なくすぜ? あたいらに愛想尽かされたら、誰がアンタのために動くんだ?」
「和音は放っておけないだろう? 私のような『放って置いたらフラッと消えそうなタイプ』は」
「良くお分かりで」
佐竹はそのまま通話を切った。
弾みを付けて立ち上がり、ポニーテールを結い直す。
「さて、それじゃあ行きますか」
◆ ◆ ◆
地図に示されていたのは、山奥の朽ちた神社だった。神社に続く長い石段は雑草に覆われ、遮るように木々に渡された鎖は赤く錆びきっている。傍らには、雨風で擦れ黒ずんだ『立入禁止』の立て札が立っていた。
佐竹は鎖と石段を一瞥する。石段は雑草と苔で足場が滑る。ならば、と手近な木に向かって助走を付けた佐竹は、幹を蹴って跳躍した。木々の上を渡りながら山の傾斜を登り、本殿が見下ろせる木に腰を落ち着ける。
深い緑に囲まれ、その神社はひっそりとそこに在った。廃神社になって久しいことは、苔むした鳥居や切れたしめ縄、崩れかけた拝殿が物語っている。麓で住民に聞いたところ、周囲に住んでいた人々が里に下り、管理しやすい別の神社に合祀されて以来、人が寄りつかなくなったという。近々取り壊される予定らしい。
暫くそのまま待っていると、野の草が茂る石段を上ってくる人影が見えた。
――――子供だ。
絵の具を散りばめたようなデザインの白いTシャツの上に黒いシャツを羽織り、白い短パンを穿いている。残暑の残る山の中には到底似合わない、ラフな格好だ。
佐竹は目を見開く。
その少年の相貌に、強烈な既視感があった。
白い髪。切れ長でいて大きな吊り目。細い眉。幼いが整った顔立ちに、透き通るような白い頬。
銀滝白に、よく似ている。
少年は、白と瓜二つの顔を歪め、赤い瞳で迷い無く佐竹を捉えた。
視線が交差する。
「降りて来いよ。誰だかしらねーけど、オレを誤魔化せると――――」
少年はそこで言葉を切り、息を吞む。目が見開かれ、佐竹の顔に釘付けになる。
佐竹は警戒を強めながらも、促されるまま着地して少年と対峙した。少年は呆然とした表情を隠しもせず暫く佐竹に視線を注ぎ続け、小さく「はっ」と笑って口端を吊り上げた。
少年が自嘲気味に髪を掻き上げる。露わになった顔は、見れば見るほど白に似ている。しかしその表情は、白に似ても似つかないものだった。
強い憎悪と敵意。剥き出しの、殺意。
その喉から漏れる声もまた、白と声質ばかり似て、全く似ていないそれだった。
「……そうかよ、そーゆーことかよ、クソッタレ」
◆ ◆ ◆
『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が――――』
「クソッ!」
特命係の事務室で一人、馬崎が舌打ちして机を叩く。ヘッドフォンには無機質な音声ばかりが流れ、インカムに入る馬崎の声はどこにも届かない。
「どうして出てくれないんですか、佐竹さん……!」
馬崎の見据えるテーブルの先には、長官からの通告文が置かれている。
先程届いたばかりのそれには、特命係の捜査権を剥奪された旨が、黒々と無慈悲に刻字されていた。
さてさて、佐竹はどうなるのか?
少年の正体は?
お楽しみに~