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エボルブルスの瞳―特殊事案対策課特命係傀異譚―  作者: 揺井かごめ くろ飛行機
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想術師連続殺人事件 プロローグ 『ひーろー さんじょう!!』

お待たせいたしました。ここから中編、想術師連続殺人事件編に突入します。

どうぞよろしくお願いします。


 9月。

 木々が薄っすら色づき始めた街に、朝が訪れる。ビル群の合間から朝日が差し込み、とあるオフィスの一室を照らす。

 そこに在るのは、朝日を反射して艶やかにきらめく――――赤。

 赤い、血だまり。

 おおよそオフィスに似つかわしくない、鮮烈な赤色が、オフィス一面に広がっていた。その中央には、無残に切り裂かれた男の身体が、粗雑に転がされている。

 まるで絵画のような、静止した、異質な空間。その中に、ひとつだけ動く影があった。少年の人影だ。


「――――」


 少年は、気怠げに上体を揺らしながら、満足げな表情で、その風景を眺めていた。おもむろに、少年は足下の血だまりに右手を浸す。まだ乾いていない血だまりが、生々しく水音を立てる。


「――――はは」


 恍惚とした笑い声が、誰もいないオフィスに消えていく。少年は血塗れの右手を高く掲げ、勢いを付けて、真っ白なオフィスの壁へ叩きつけた。


「はは、は、ははは――――!」


 少年の声を聞く者は、誰も居ない。少年は身体を踊らせ、腕を目一杯伸ばして、オフィスの壁に血の線を描く。頬に、髪に、服に、その血が飛び散るのも厭わずに。


「――――」


 そうして、数分の後には、壁は拙い文字で埋め尽くされていた。既に少年はいない。何の痕跡も残さず、誰にも知られず、少年は立ち去った。まるで最初から、その場に少年など居なかったかのように。

 残されたのは、血塗れのオフィスと、死体と、壁の殴り書きだけだった。



『ヒーロー さんじょう!!』



   ◆ ◆ ◆



 ――――その現場は、あまりにも異質だった。

 警視庁捜査一課所属の警部補は、苦々しい顔つきで現場を再検分していた。

 彼は、二十年、最前線の現場で働いてきた。凄惨な現場は数多くこなしているが、今回は明らかに常軌を逸している。

 一面、血の海。

 そのオフィスの中は、そう表現するほか無かった。オフィスの床は隙間なく血液を湛え、デスクや観葉植物にも血がべったりとこびりついている。フロアの中の一室が、まるでバケツで一気に振り撒いたかのように、血で染め上げられていた。

 ただ殺しただけでは、まずこんな状態にはならない。

 壁の子供じみた『ヒーロー さんじょう!!』の文字からも、この床からも、犯人が現場を〈飾る〉タイプであることは明らかだった。しかし、ただの装飾にしては、この血液量は看過できない。人間一人分の血液を全て使ったとしても、せいぜい四、五リットル。部屋一面の床を塗りつぶすことはできないだろう。

 異常な現場。

 同期の間で、まことしやかに囁かれる噂があった。国内に一定数存在する、現実的にはおよそ説明の付かない事件。その中には、人に限りなく近い、しかし人ならざる者が関与している事件があると。

 そして、警部補はその立場上、その噂が真実であることを知っていた。


「警部補、鑑識から資料を預かっています。共有してよろしいですか?」

「……ああ」


 部下からの問いかけに、警部補の表情は更に険しくなる。最近配属されたばかりの部下は、そんな警部補の様子に萎縮しつつも、手元の資料を読み上げる。


「マル害はこのオフィスに勤める一般社員でした。死因は出血性ショック死、死亡推定時刻はおおよそ七時です。第一発見者の通報が八時九分。死亡してからこの異質な空間が作り上げられるまで……」

「報告に主観を混ぜるな」


 苛つきを孕んだ声で遮り、警部補は資料を取り上げた。部下は一瞬うろたえた後、とりあえず居住まいを正す。


「はい。失礼いたしました」


 警部補は黙って資料をめくる。内容はおおよそ部下の要約どおりだった。手早く読み進めていた警部補の手は、現場写真のページで止まる。

 被害者の所持品の写真が並ぶ中、警部補の視線は一枚のカードに留められていた。刑事として培ってきた膨大な知識をもってしても、初めて見るカード。顔写真付きの、黒いカードだ。日本で発行されている顔写真付きの証明書はそう多くない。しかしそのカードは、警部補の記憶にあるどの証明書とも異なっていた。

 カードの上部には、黄色のラインが走っている。顔写真の横には、銀色の箔で、見慣れない紋章と被害者の名前が記されている。

 名前の左上に添えられた、肩書きと思しき文字列。


 『二級想術師』。


「……あの、警部補?」

「悪い、気が立っていた。主観的になっていたのは俺だ」


 つい先程とは一転、落ち着いた声音だった。部下は警部補の変わりようを訝しみながら、曖昧に頷く。


「君、配属されたのは四月からだったか?」

「はい、そうですが……」

「そうか。それじゃあ、まだ現場の当たり外れは感じたこと無えかな」

「当たり外れ、ですか」

「ああ。勘違いすんなよ、楽か楽じゃねえか、じゃないぞ。調査すれば解決できる事件は当たり、いくら調査しても解決に辿り着けないような事件は外れだ。捜査技術と柔らかい頭、ねちっこく調べる根性さえあれば、外れの事件ってのはそうそう無い。でもな、たまにあるんだよ、今回みたいな大外れが」


 警部補は資料を部下に返し、共に再検分しに来た鑑識官の方へ歩を進めた。

 顔なじみの鑑識官は、警部補と同じく、苦虫を噛みつぶしたような表情で証拠品を見ていた。


「よお、お疲れさん」

「……全くだよ」


 鑑識官は警部補の姿を認めると、大きく嘆息して首を横に振った。


「見たか、あの現場」

「ああ」

「証拠品は?」

「確認した」

「なら分かるだろ。まただ(・・・)。また、あいつら(・・・・)に全部かっさらわれる」


 鑑識官は、憎々しげに吐き捨てる。


「俺達が汗みずくになって集めた証拠は、全部あいつらに持っていかれる。最近こんなヤマばかりだ。俺は事件を白日の下にさらして、犯罪者が公平に裁かれるのを望んで警察になったんだ。それを全部、全部何も無かったように裏で片付けやがる。ふざけんじゃねえ」


 警部補は、恨み言を吐く鑑識官の肩を叩いた。


「戻ろう。この現場で俺達にできることは、ここまでだ」

「そう、君達の仕事はここまでだ」


 不意に浴びせられた張りのある女性の声に、警部補と鑑識官は振り向く。警部補は諦観を、鑑識官は憤恨を、その目に湛えて。


「お疲れ様、諸君」


 そこには、不敵に微笑む長身の女性――――水戸角アイサが立っていた。


「……お疲れ様です、水戸角警視正」


 警部補の低い挨拶を気にも留めず、アイサは笑みを深めて頷いた。


「ああ。今日も、君達の働き――――わぷっ」

「アイサさん、余計なこと言おうとしないでください! えっと、お疲れ様です、皆さん!」


 言葉を続けようとしたアイサの口を両手で塞ぎ、小柄な女性がアイサに代わって挨拶する。


「特殊事案対策課特命係、結城巡査です! 現場の引き継ぎに参りました!」


 朗らかな挨拶に、警部補も鑑識官も毒気を抜かれる。


「ふぁふみ、ほろほろはなふぃへふれないふぁ?」

「あ、すみません。でもアイサさん、放しても余計なこと言わないって約束できます?」


 こくこく、と頷くアイサを見て、佳澄はそっと手を放した。


「君達の素晴らしい仕事は無駄にはしないさ。さっさと荷物をまとめて帰りたまえ」

「ほらー! 嘘つき! アイサさんいつもこんなんなんですか!? そんなだから特命係が目の敵にされちゃうんですよ!?」

「佳澄ちゃんの言う通りだよ、アイサさん。君の敬意は分かりにくいんだ。自覚してくれ」


 女性二人の漫才を鎮めるように割って入ったのは、甲斐忠勝だった。


「毎度お騒がせして申し訳ない。同じく特殊事案対策課特命係、甲斐警視正だ。君達の仕事は、誓って無駄にしない」

「……何が敬意だよ」


 鑑識官がとげとげしく呟く。


「こそこそ得体の知れない仕事しやがって」

「そnぶべっ」

「まあ、それが僕達の仕事だからね」


 言い返そうとするアイサの口を再び佳澄が塞ぎ、代わりに甲斐が答えて苦笑する。


「お互い、やれることが違うだけさ」

「そうだな。後は特命係サマに託して、我々は撤収するとするよ」


 警部補は厭味ったらしくそう言って踵を返し、部下に声を掛ける。


「戻るぞ」

「……警部補、ひとつ伺っても?」

「何だね」

「あの三人は……?」


 現場から立ち去る足を止め、警部補は部下に向き直った。


「あれは、特殊事案対策課の連中だ。いいか、よく覚えておけ。お前が警察官として長く生きていたければ、あいつら――――特命係のヤマには、関わるもんじゃあない」



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