特命係 ②
「資料の処理は間に合っていませんが、ミーティングの資料はできていますからね。二人は食べながらでいいので、各自目を通してください」
馬崎は、思い思いの場所でくつろぐ特命係の面々に、数枚綴じのプリントを配って歩く。時折ゴミに足を取られて転びかけつつも、全員に行き渡ったことを確認してから口を開いた。
「えー、まずは新人組とアイサさん、昨日はお疲れ様でした」
「本当に疲れました〜……」
「新人はこの天然一人でしょ。てか係長、その『アイサさん』居ないんだけど」
白の反論に、馬崎は肩をすくめる。
「あの人の事だから、どうせどこかで聞いているだろうと思いまして。
……まあ、冗談は程々にするとして、彼女には後ほどメールで資料を送りましょう」
「とっとと本題。皆暇じゃねぇだろ」
佐竹が資料でテーブルをパシンと叩く。促されるままコクリと頷き、馬崎は全員を軽く見渡す。
「まずは、今月のそれぞれの動きの確認です。甲斐さんは普段通り、個別で地方の対応をお願いします」
「はいよ」
甲斐はコーヒーを啜りながら、ひらりと片手を上げた。
「佐竹さんは京都に出張していただきます。今月中に情報収集を済ませておいて下さい」
「……了解」
佐竹は眉をひそめ、低い声で返事をする。
(……何かあったのかな)
特命係に異動して間もない佳澄は、不安げな表情を隠せずに他メンバーの様子を伺った。佐竹以外の表情に変化は無い。
「で、結城さんは都内のお悩み相談室を何件か担当して下さい。日程は資料のとおりです」
「は、はいっ!」
佳澄は慌てて資料に目を落とす。
「って、何ですかこれ!」
「? 何と言われましても、君の今月の日程ですが」
「ほとんど『事務補佐』じゃないですか!」
お悩み相談室2件に対して、事務補佐が20件。
佳澄は悲鳴を上げながら、馬崎と紙の山を睨み付けた。
現場主義の特命係では、係長がほぼ一人でデスクワークを担っている。にもかかわらずサボり常習犯の姿勢を貫いているせいで、元の激務が更に悪化しているのだ。
当然、一人では回らない。
佳澄が来る前も、手が空いた時に佐竹や甲斐が手伝っていたという。
佳澄は、異動してきてからほとんどの時間をこの『事務補佐』に費やしていた。
「仕事して下さい、係長……」
「しますとも。しかし係長として、せっかく移動して来てくれた結城さんには経験を積ませてあげたいんです」
「積まれてるのは紙束でしょう!!」
「おっ、上手いね佳澄ちゃん」
「私がしたいのは現場での経験なんです! おかげさまで全然できてませんけどね!!」
甲斐の茶々を華麗にスルーし、佳澄はぷりぷりと怒りながらソファにどすんと腰掛けた。
「まあ、佳澄ちゃんの気持ちも分かるけどね、馬崎君にも一理あるんだよ」
スルーされた事に少ししょげつつ、甲斐がフォローを入れる。
「警察署の一端とはいえ、非常に特異で危険な現場だ。行く前になるべく知識を蓄えた方が良い。
その点この山の開拓作業……もとい、資料整理は勉強になるだろう?」
「まあ、確かにそうなんですけど……」
事実、馬崎が寄越す資料は特命係の活動申請や傀異の性質に関わるものが多かった。
「そうそう、私も考え無しに溜め込んでいる訳じゃないんですよ」
「「「ダウト」」」
「そんなに言います? 泣きますよ?」
全員が揃って嘘吐きの烙印を押す中、白だけが配られた資料をじっと見つめている。
「……ねえ、係長」
「ん、どうしました白君?」
係長が振り向くと、白は机に足を掛けて身を乗り出し、その鼻先に資料を突き出した。
「これ、何?」
白の日程表には、業務が一つも書き込まれていなかった。代わりに――――
「何、とは?」
「おれ、行かないよ」
――――学校。
その二文字以外まっさらな日程表を、白は馬崎の胸に突き返した。馬崎は思わず受け取り、しまったという顔をした。
「……学生の本分は勉学です」
「行かなくてもどうにかなってる」
「今君が読んだこの資料、読めるように文字を教えてくれたのは誰ですか?」
「……関係無いじゃん」
「アイサさんも暇ではありません。特命係の業務に、君の教育は入っていないんですよ」
「ちょっと係長!」
「暇じゃない、と最初に言ったのは誰でしたっけ」
「ぐっ……」
言葉を選ばない馬崎を佐竹が咎め、逆に言いくるめられて呻く。
まあ、と助け舟を出したのは、それまで沈黙を貫いていた甲斐だった。
「頑張れば、我々で勉強見てあげる事もできるけどねぇ。この一年そうやって来たし」
「それで教えられたの、読み書きと四則演算だけじゃないですか」
「理社を忘れてるよ、馬崎君。一年で小学生の過程全部だ、上等じゃないか」
「その為に仕事の皺寄せ食らって怪我したのは誰でしたっけ?」
「ぐっ……!」
流れ弾を受けて、再び佐竹が呻く。
白への授業は基本的にアイサが見ており、他メンバーは空き時間でアイサからの宿題をみてあげていた。付きっきりで定期的に授業する時間の分、アイサの仕事は他のメンバーが分割で担当した。
その中で佐竹は、寝不足から体裁きが崩れ、中足骨を疲労骨折したことがあったのだ。
持ち前の健康さを発揮し、驚異的スピードで回復したが、通常時の佐竹なら絶対にあり得ない怪我である。
佐竹はメンバー内でも特に長い時間、白の宿題に付き合っていた。
白の視線が迷う様に揺れ、俯く。それを見た馬崎は表情を緩め、小さく息をついた。
「これについては、本人のやる気次第です。
でも白君、覚えておいてください。
勉強も学校での生活も、必ず君の役に立ちます。きちんと学べば、私のように力を使わず皆のサポートをすることもできるようになりますし──────
──────その力のコントロールにも、きっと役に立つはずです」
白は思わず顔を上げた。
馬崎はすぐに普段の胡散臭い笑顔に戻る。
しかし白には、ほんの一瞬、ひどく悲しげに微笑んでいたように見えた。
「はい、では次!
最近の傀異の傾向と、その対策について。折角ですし、結城さんに事務補佐の成果を見せていただきましょう」
「えぇ!? 何も用意してませんよ!?」
「今ある知識で簡単に説明してみて下さい。貴女なら大丈夫ですよ」
ぱちん、と綺麗なウインクを飛ばす馬崎に、佳澄はじっとりとした視線を送る。
咳払い。
「えー、近代から現代にかけて、傀異の発生は顕著に増えています。原因としては創作物の多様化、書籍やインターネットによる発信の多様化があります。
特に現代日本は、SNSの普及に加え、アニメ・漫画・ゲーム等の発達によって様々な傀異を生み出す環境が整っていると言えます。
そもそも!」
佳澄はどこからかホワイトボードとマーカーを引っ張り出し、手早く書き込んでいく。
「いや、そこまでしなくても……」
「無理だ係長、佳澄はもうフルスロットルだ」
馬崎の控えめな制止も聞かず、佐竹の諦めの声も耳に入らず、完全にスイッチが入った佳澄はやる気に溢れた筆致でマーカーを走らせ続けた。