甲斐忠勝の、溜息の多い一日。その①
久しぶりの投稿です。皆さまお待たせいたしました!!
今回は、甲斐さんピックアップのお話です。
楽しんでいただけたら幸いです。
「――――ので、お願いします」
「いいよ。貸してご覧」
特命係事務室の応接スペースで、馬崎と甲斐が話している。
白は、自分の席で傀異の資料をぼんやり眺めながら、二人の話し声に耳を傾けていた。
「銃型か。よくある――――に見えるが――――」
「解析時には、――――とはかなり異なった傀朧痕が残って――――」
「なるほど、なら――――」
晩夏の夕立が窓を叩く音と二人の声が心地よく溶け合って、白の瞼を重たくする。事務的な会話と金属の機構に特有のガチャついた音がしばらく続き、いよいよ白の眠気が最高潮に達しようとしたところで、甲斐の一言が白の眠気を吹き飛ばした。
「これは、雷音堂行きだね」
「!」
雷音堂。
甲斐の行きつけの傀具専門店として、白も何度か名前を耳にしていた。
甲斐の行きつけというくらいだから、武器型傀具が大量に揃えられているであろうことは想像に難くない。傀具の専門店が表立って商売することの難しさも然りだ。白の中では、現代の隠れ武器屋のイメージができあがっていた。
白も男の子である。ロマンを覚えたての少年である。
ずっと、密かに、雷音堂へ行く機会をうかがっていた。
目に見えてそわそわし出した白と正反対に、馬崎は顔をしかめて呻った。
「雷音堂ですか」
「嫌そうだね」
「嫌ですねぇ……あのライオンマスクに借りを作るのは」
「!」
白が再び耳をぴくつかせる。この謎ワード、〈ライオンマスク〉も雷音堂の名と共によく聞いた。普段の会話ではおよそ聞く機会の無いその異様な単語が、白の好奇心を更に掻き立てる。
そんな白の隠しきれない反応を尻目に、甲斐は馬崎へ笑いかけた。
「馬崎君は、彼に対して何か誤解しているきらいがある」
「誤解というか……苦手なんですよ、あの子。ふざけたことばかり言うくせに、底が知れないというか……」
「そんなに悪い子じゃないんだけどな」
視界の端でうずうずしながらこちらを伺っている白を捉えた甲斐は、わざとらしく溜息を吐くと、これまたわざとらしく声量を上げて言った。
「あーあ、馬崎君がそんな風だと、おじさん行きたくなくなっちゃうなー?」
「なっ……⁉」
思わず声を上げて立ち上がった白と、にやりと笑う甲斐の目が合う。白は、しまった、と内心焦りながらも、平静を取り繕ってポケットへ両手を突っ込んだ。
「……あー、えっと」
「どうしたんだい、白君?」
「……甲斐さんが、もし、一人で行くのが嫌なら」
「嫌なら?」
見透かすような甲斐の笑顔に耐えられず、白はそっぽを向いて続けた。
「おれが一緒に行ってあげても、いいけど」
「おお、そりゃ頼もしいな」
甲斐は馬崎に目配せをする。馬崎は、心底嫌そうな顔で首を横に振った。
「僕がついていても不安かな?」
「不安というか、白の教育に良いとは思えないんですよ」
「モンスターペアレントだ」
「どうとでも。白」
馬崎は白に歩み寄り、咎めるような口調で耳打ちした。
「何度も言ってるだろ。好奇心で得体の知れない場所に行こうとするな。絶対に酷い目に遭うぞ、僕が保障する」
「ユーキいっつもそればっか言うじゃん」
これまで、白が雷音堂に付いて行こうとすると、決まって馬崎が邪魔をしてきた。頑なに許しを出さない馬崎の態度が、白の雷音堂への憧れをより強めていることに、馬崎は気付いていなかった。
「馬崎君、もう無理だよ。一度行って現実を知った方が白君の為だ。もう一度訊こう。僕が付いていても不安かな?」
馬崎は、白の期待に満ちた顔と甲斐とを交互に見て、深く溜息を吐いた。
「……正直不安ですが、仕方ありません」
「僕は君に信用されていると思っていたんだがね」
「それとこれとは別です」
馬崎は渋い顔で立ち上がり、白の頭を乱暴に撫でた。
「いいですか、白君。雷音堂では気を抜いてはいけません。甲斐さんの言うことをきちんと聞いて、いつもの百倍良い子にしていてください」
「うん!」
普段の白からは考えられない元気な返事を聞いて、馬崎は諦めと共に微笑みかけてやるほか無かった。
◆ ◆ ◆
白が甲斐に連れられてやってきたのは、都内の高級ホテルだった。烟る雨の中でそびえる煌びやかな建物は、白を圧倒させるのに十分だった。
「……こんなとこにあるの?」
傘を傾け、ぽかんと口を開けてホテルを見上げる白に、甲斐は茶化して言った。
「そうだよ。どうする? やめとくかい?」
「なんでだよ。やめないって。甲斐さんいるから平気だし」
甲斐の後についてホテルに入る。高い天井とシャンデリア、大きな花瓶に生けられた豪奢な花、高級感のある絨毯。煌びやかな内装に出迎えられ、気圧された白は思わず立ち止まった。
「どうする?」
「やめとかない!」
噛み付くように返事をして、白は甲斐を追う。
甲斐は無言で受付にカードキーを見せ、そのままエレベーターに乗り込んだ。ボタンは押さず、操作盤の脇にあるスリッドにカードキーを差し込んで滑らせる。エレベーターの扉が閉まり、微かな浮遊感とともにエレベーターが動き出した。
ディスプレイが示す下矢印を見て、白は甲斐に問うた。
「地下?」
「そうだよ」
「地下のボタン、無いけど」
「世を忍ぶ店だからね」
白が目を輝かせる。甲斐は苦笑して、「期待しない方がいいよ。上と比べたら、大分質素な店だから」とたしなめた。
「ほら、着くよ」
甲斐の言葉と同時にエレベーターが減速し、到着を示すチャイムが鳴る。
ゆっくり開いた扉の先には、ホテルとは一転、薄暗い空間が広がっていた。剥き出しの蛍光灯が、たった二本で打ちっ放しのコンクリートを照らしている。その内の一本の真下には無機質なカウンターが置かれており、その奥には黒地に金のラインでライオンの紋章が象られた暖簾が掛けられていた。躊躇いなくエレベーターを降りた甲斐に続き、白も恐る恐る歩を進める。甲斐は正面のカウンターに歩み寄ると、白に向かって耳を塞ぐようにジェスチャーした。白が素直に耳を塞いだのを確認した甲斐は、カウンターに片手を付いて身を乗り出し、深く息を吸ってから――――目一杯の大声で奥へ怒鳴りつけた。
「儲かりまっかぁ!」
「⁉」
白が驚いて固まっていると、奥からどたどたと乱暴な足音が近付いてきた。
「ぼちぼちでんなぁ!」
威勢の良い声と共に暖簾の向こう側から飛び出してきたのは、ライオンの頭だった。否、ライオンを模したフルフェイスのマスクを被った、背の高い細身の男性だった。くたびれたセットアップのジャージはだるんとしたオーバーサイズで、大きなライオン頭にはアンバランスだ。白は、その異質な男を呆然と見上げることしかできなかった。
「らっしゃい甲斐さん、待ってとったで!」
「先月振りかな、店主君。馬崎君から連絡は行っているね?」
「おうともさ! 銃型の傀具の鑑定やろ? 任せとき……ん? なんやちっこいのがおんなあ!」
店主君、と呼ばれたライオンマスクは、カウンターを飛び越して白の前にしゃがみ込んだ。白と作り物のライオンの目が合う。分厚いマスク越しに、良く通る声が飛んでくる。
「お前さんが銀滝白っちゅーやっちゃな! 甲斐さんからよお聞いとるわ! 思った以上にちっこいなぁ、うちのチビとどっこいどっこいやで? ちゃーんと飯食えとんの?」
声の大きさに戸惑ったのも一瞬だった。聞き捨てならない言葉を並べられ、白は店主を睨み付けた。
「そんなに小さくもないだろ、おっさん。おれ、まだ成長期だし」
「言うな~! 元気なのはいいこっちゃ! ただ一個、したらオレもおっさんやないで? 聞くとこによると、お前さんも田共高校の生徒らしいやん。最近転校したから、オレもそこの生徒なんよな。二年生やから、オレのがいっこ上の先輩やな」
「……は?」
白は唖然とし、二回瞬きをして、説明を求める顔で甲斐へ振り向いた。甲斐は苦笑いしながら説明する。
「店主君、体格が良いから勘違いされやすいんだけど、この見た目で十七歳なんだよね」
「……チビがどうとか言ってたんだけど、子供がいるわけじゃないってこと?」
「訳あって五人のチビと暮らしとんのや。流石に父親やないで?」
白の問いに答えたのは、店主本人だった。がははと豪快に笑う店主に、白は胡乱な目を向ける。
「ま、オレのことはええやん。甲斐さん、傀具は持って来たんか?」
「もちろん。これだよ」
「よしきた!」
店主は銃型傀具を受け取るやいなや、再びカウンターを飛び越して店の奥へ引っ込んだ。
「それじゃあ、僕達も行こうか」
「行くって?」
「雷音堂の中に、だよ」
そう言って、甲斐はカウンターに一歩踏み込む。甲斐の身体は、障害となるはずのカウンターをするりとすり抜けた。
「ほら、おいで」
白は促されるままに甲斐の方へ足を進めた。カウンターに触れた感覚は一切無く、甲斐の隣に立つ。白が振り向くと、そこにはカウンターなど無かった。先程甲斐が手を付いた場所に、ポールで支えられた小さな鉄板があるだけだった。
「高位の想術が掛かっているらしい。店主の許可が無い人は、あのカウンターから先に進めない仕組みだ」
「……凄い」
思わず呟いた白に、甲斐は再び「行こうか」と声を掛けて暖簾をくぐった。白もその後を追う。
その先に広がっていたのは、大量の武器が所狭しと並べられた武器庫だった。
「凄い……!」
「想像どおりだったかな?」
甲斐の問いかけに、白は目を輝かせたまま首を横に振った。
「想像より凄い」
奥の壁にはナイフや剣、銃などが過密に掲示され、左の壁一面には鉱石や札が入ったケースが埋め込まれている。右側の壁には衣類系の傀具がこれでもかと並べられ、空間を仕切る棚にも様々な武器やアイテムが混然と置かれている。
「傀朧の種類が多くて酔いそう」
そう言いつつ、白の目は好奇心に満ち、辺りを忙しく見回している。甲斐はその様子を背後から眺めていた。
「これは?」
「ああ、虚空シリーズだね。『虚言社』が製造している、海外製の銃を模した量産型の傀具だ。モデルガンみたいに見える作りになってるけど、傀具としての殺傷力はどれも本物級だよ」
「これとこれは違うの?」
「こっちは虚空ノ漆、こっちは虚空ノ漆-α。どちらもシグ・ザウエルのライフルが原型だね。傀朧を込めた時の伝導率が違うんだ。αの方が改良品だけど、用途によっては無印版の方が勝手が良い事もある」
「ふーん。これは?」
「拡散符だよ。傀朧を増幅させたり、長持ちさせる為の、札状の傀具。白くんにはこっちの、除封印の方が使いやすいと思うよ。見た目はそっくりだけど、傀朧を除去したり抑制する為の傀具なんだ」
「へー……」
白の視線は、武器の棚に釘付けになったままだ。白の質問の嵐に答えながら、甲斐は白の数歩後ろを付いて行く。
「……白くん、武器は好きかい?」
「うん、見るのは好き。楽しい」
「使うのは?」
「使えたら格好いいと思う。これとか」
白は、抱えきれないほど大きな銃器を指差して、甲斐の方へ振り向いた。
「……甲斐さんは、あんまり好きじゃないの?」
白は、表情を曇らせて問うた。白を眺める甲斐の表情は、どこか寂しげで、何かを諦めているように見えた。
「基本的に、武器は戦うための道具だからね。戦うっていうのは、基本的に、何かを壊したり殺したりすることだ」
「……」
白は返す言葉を失って黙り込む。それを見て、甲斐は苦笑した。
「スポーツみたいに楽しむだけなら良いんだ。射撃も、剣術も、文化の一つだ。実際、そういう腕を磨くのは楽しいしね。ただ――――白くん、僕達がこれを使うのは、スポーツの為じゃない。馬崎くんや佐竹ちゃんは、それを忘れさせてくれるような教え方をしてくれるけどね。僕は、白くんが、『何のために』『どうやって』武器を使うのか、自分で考えるのを忘れて欲しくないんだ」
甲斐は、白が指差した銃器の隣に掛かっていた小型拳銃を手に取った。
「道具っていうのは、いろんな使い方がある。白くんには、白くんに合った武器がある。教えて欲しければ、いつでも僕が教えるよ」
「……うん」
拳銃を手渡されて頷く白の背中に、背後からぽんと手が置かれた。
「何や、説教か?」
「うわっ⁉」
そこには、銃型傀具を持った店主が、いつのまにか立っていた。
「ええねん最初はそういうのは! 銃なんてオトコトコの浪漫やろ? 実際使う段階になってから言うもんやで、そういうんは」
がはは、と豪快に笑い、店主は白の頭をわしわしと乱暴に撫でた。
「見たとこ銀滝クンは、傀朧が潤沢で肉体も武器もそんなに使わんタイプやろ? 本当に使うなら確かにその拳銃型くらいが丁度ええんやろうけど、夢はでっかく、やで? 武器は『使いたい!』って欲求が第一歩! そこが無けりゃあ、使えるようにはならんやろ?」
「まあ、確かにそうだね」
甲斐は、気まずそうに笑った。
「まあ、即実践型の世界で生きてきた甲斐さんが、そういう世話焼きたなるんは分かるんよ。でも、武器を取る理由が『戦いたいから』じゃなくて『かっこいいから』なんて、健全も健全やんか。オレはそっちのがええと思うで!」
店主は白を見下ろして親指を立てる。フルフェイスのライオンマスクのせいで顔は見えないが、きっとニカッと笑っているのだろうな、と白は思った。
「……ちゃんと考えてみる」
「おう! 自分に合うカッコイ~武器が欲しなったら、雷音堂にご相談あれ、やで!」
白の肩をぽんぽんと叩いてから、店主は甲斐に向き直った。
「それはともあれ、査定終わったで~」
「ああ、ありがとう。どうだった?」
甲斐の問いかけに、指に引っかけた銃型傀具をくるくると回しながら、店主は気楽な声で言った。
「この傀具、どえらいもん憑いとるで?」