馬崎優貴の、苦労の多い一日。③
翌週。
仕事の片手間にゲームを弄っていた馬崎は、新着メールの通知音に顔をしかめた。
送信者は、秘密裏に連携している想術師協会の傀朧管理局員だ。タイトルは、『捜査報告書_デビット』。
「どうしたんだい馬崎君。ゲームの、もとい仕事の手が止まっているようだが」
横から馬崎のデスクトップを覗き込んだのは、煙草休憩から帰ってきた甲斐だった。馬崎は慣れた手つきでゲーム機を引き出しに仕舞い、笑顔を作って答えた。
「嫌ですね、甲斐さん。ゲームなんかしていませんでしたよ?」
「おや、本当にしていたのかい? 駄目だよ、仕事に障るような遊び方しちゃあ」
「してませんってば」
「僕に君の嘘が通じると思わないことだ。何年君の猫かぶりを見て来たと思っているんだい?」
「無駄な嘘でも、吐かないよりマシでしょう」
「普通、嘘というのは吐かない方が良いもののはずなんだがね」
言葉を交わしながらも、馬崎はメールと添付資料を手早く開き、その目は文面を追っている。甲斐も同時にメールの内容を読み、スクロールの末に表示された画像ファイルを見て眉間に皺を刻んだ。
「……これは」
「はい。つい最近見ましたね」
添付画像は、古びた大振りな壺の写真だった。以前、白がくねくねの傀異と戦った際、道祖神に置かれていた物と酷似している。
報告書には、二点書き添えられている。一つは、ショッピングモールのファンシーショップ奥で、結界の痕跡と共に確認された旨。もう一つは、この写真を撮影した直後、壺が消えた旨。
つまり、この壺は、想術師協会にも回収されていないということだ。
「これ、白君は現場で見つけられなかったのかい?」
「ええ、何も言っていませんでした。白君はこの壺に一度触れているはずですから、少しでも傀朧痕が残っていれば気付いたはずです。彼の嗅覚で駄目なら、誰が探しても駄目でしょう。一応私も、傀異に対処した後、傀測計でかなりしつこくチェックしたんですけどね……」
「おい、係長ォ?」
「っ⁉」
背後から掛けられた地を這うような声に、馬崎が肩を跳ねさせる。ズレた眼鏡を直しながら振り向くと、そこには顔色の悪い佐竹がいた。その表情は、怒っているというよりは、気落ちしているようだった。
「そういうのは甲斐さんより先に、あたいに知らせんのが筋だろうが。そこの区域担当者はあたいだ」
昨日まで出張に行っていた佐竹の手には、馬崎が頼んだ土産の包みと、出張の報告書が携えられている。
「そうは言いますが、佐竹さん、昨日まで出張に行っていたでしょう? 貴女のような、責任感でオーバーワークするタイプの古い人間に知らせたら……」
「あ゛あ? あたいのが若いっての」
馬崎の声を遮って凄む佐竹だが、その声には普段の覇気が無い。
「ほら、そういう顔のまま仕事しようとするでしょう。佐竹さんは気にせず休んでください」
「白君すら見落とす結界が張られていたんだ、佐竹ちゃんのせいじゃないさ」
「そうです。私が任された仕事ですよ? 取らないで下さい」
佐竹は二人を見ながら暫くもにょもにょと口を動かしていたが、結局溜息を吐いて両手を挙げた。
「わーったよ。係長の折角の侠気に水かけんのも野暮だしな。ありがたく休ませて貰うわ」
馬崎にさりげなく土産を渡して立ち去ろうとした佐竹は、ふと足を止める。佐竹の視線の先には、小さなバイブ音と共に画面を点けた馬崎のスマートフォンがあった。
「珍しいな、係長のスマホの壁紙が食い物だ。美味そうじゃん」
ロック画面に写っていたのは、鰻重の写真だった。普段は頑なにデフォルト画像に設定している馬崎にしては、珍しい選択である。
「ああ……母と白が、その」
馬崎は目線を逸らし、照れ笑いしながら答えた。
「居残りで仕事して偉かったから、って、サプライズで夕食に用意してくれたんです。多分、僕が現場確認してる間に買ったんですよ。全く、うちのは揃ってこういうことをするから……」
「するから?」
佐竹がにやりと笑って問う。馬崎はいとおしげにスマートフォンを眺めながら、自嘲気味に答えた。
「守ってやんねえと、って、思ってしまうんですよ。何の力も無い癖にね」
佐竹と甲斐は顔を見合わせる。視線で合図を交わし、そのまま二人で馬崎の頭を思いきり撫で回した。
「こォの係長はー! 全くよー!」
「お前って奴は、本当に、なあ?」
「ちょっ、何ですか二人とも! 止めて下さい! いっ、ちょ、痛いです痛いです力入りすぎですって!」
二人は何も言わず、ひとしきり馬崎の頭を撫でてから各々の仕事に戻っていった。
「……全く」
――――特命係のは皆、揃いも揃って。
そう呟く馬崎の言葉を、二人は聞かないフリをした。
◆ ◆ ◆
馬崎家が傀異を祓った日の深夜。ショッピングモールの屋上に、二つの人影があった。
一つは、小柄な少年。屋上の淵に腰掛け、大きな菓子袋を抱えて、片手でボリボリと貪っている。空いたもう片方の手は月明かりに透かすように掲げられ、その指は、大粒の真珠のような宝玉――――傀玉を摘まんでいる。
「紅夜。きれーだな、これ」
スナック菓子を喰らう手は止めないまま、少年、血倉数多は目を輝かせて振り向いた。
もう一つの人影、浄霊院紅夜は、苦笑しながら数多に近寄って頬を拭った。
「こら、数多。溢すくらいなら両手で食べなさい」
「両手使ったら、この、カイギョク? 持てねーじゃん」
「なら、傀玉を渡しなさい。食べるのを止めても良いが、残りを捨ててはいけないよ。作った人に失礼だし、皆が使う街が汚れてしまう」
「ちぇ、めんどくせー」
数多は菓子袋を閉じ、ウエストポーチに仕舞った。汚れた指をしゃぶりながら、再び傀玉を月にかざす。
「今回は、名字シリーズからカイギョクを守れたんだよな!」
「ああ。正確には、名字しりいずが仕込んだ傀玉を奪うことに成功した。序列の誰の仕込みかは分からなかったし、捕まえることも出来なかったけれどね。
ただ、壺を回収できたのは大きい。これを解析に回せば、あちらの手札の種も明かせるだろうよ。骨は折れるだろうがね」
「紅夜の喋り方、いちいちわかりづれーよ。大変ってこと?」
「教養だ。数多も覚えなさい」
「覚えたらカッコいー?」
「格好良いとも」
「じゃあ頑張って覚える」
「ああ、頑張りなさい。それから、頑張りついでにもう一つ」
そういって、紅夜は懐から取り出した一葉の写真を数多に見せた。
「仕事だよ」
「‼」
数多は思わず立ち上がった。喜びを湛えた顔が紅夜に向けられている。紅夜は、ぶんぶんと振られる尻尾の幻覚が見えるような心地がした。紅夜には時折、数多が小型犬のように見えることがある。
「やっと派手に暴れられるな⁉」
「暴れない。正義は目立たず、粛々と行うのが乙というものだよ」
「え~? オレは派手なのがカッコいーと思うんだけどなぁ」
無人の屋上で、話し声だけが交わされる。
いつの間にか、二つの人影は、夜闇に溶けて消えていた。
壺、傀玉、苗字シリーズ……裏で何が起きているのでしょうか。