熾火 ④another point of view
7月31日 17:20 町境 人工林
鬱蒼とした人工林のただ中。コバヤシは、地面に投げ出された衝撃で目を覚ました。
「っ、何が……!?」
「おや、気絶していたのかい。思ったより脆いのだな」
凜と透き通った声に顔を上げる。そこには、和服に身を包んだ長身の青年が立っていた。
薄闇の中でなお鮮やかな赤い長髪。肌は日光を知らないかのように青白く、その表情に温度は無い。風に靡く前髪の隙間から、金色の双眸が冷ややかにコバヤシを見下ろしている。その瞳孔は縦に裂け、人間のものより狐のそれに近かった。
「私のことが分かるか、試作序列の九よ」
穏やかな口調で、しかし有無を言わせぬ言葉で、青年が問う。コバヤシは、訳も分からずに首を横に振った。それを見て、赤髪の青年は小さく溜息を吐く。
「やはり今回の『コバヤシ』は出来が良くない。それ故に泳がせていたのだが、そろそろ潮時かもしれないな」
「……何だと?」
事情を知っているような口ぶりに、コバヤシは警戒を強める。
「何者だ、お前」
「其許は、それを既に知っている」
青年は身をかがめ、コバヤシの額に触れた。とっさに逃げようとしたコバヤシは、ここでようやく気付く。
――――身体が動かせない。
「一度還って確認して来なさい、と言いたいところだが、また忘れられるのも癪だ」
青年の細い指が、コバヤシの前髪を持ち上げる。
あらわになったコバヤシの左目には、本来あるべき瞼と眼球が存在しなかった。ぽっかりと、黒い虚空が口を開けている。
「其許の根源に刻みつけてしんぜよう」
青年はその穴に唇を寄せ、告げる。
「浄霊院、紅夜」
コバヤシの右目が見開かれる。身体が硬直して震え出し、ごぼごぼと溺れるような音と共に、半開きになった口から黒い物があふれ出てくる。
「駄目だよ、試作序列の九。忌み敵を相手に、簡単に中身を晒しては」
青年――――浄霊院紅夜は、その薄い唇を穏やかに微笑ませた。しかしそのまなざしは、どこまでも冷徹にコバヤシを眺めている。
「敵としてひとつ、忠告をしよう。特命係に隙を見せてはいけないよ。その油断はいつか命取りになる。私達にとっても、其許にとっても」
その言葉を聞くべき人物は、既に人の形を留めていなかった。地面には、汚泥に塗れたスーツだけが横たわっている。
「魔女は物語を重んじる。いかに魔女個人が全てを知ろうとも、其許がぼろを出さなければその眼の謎は謎のままだ。精々気をつけておくれ、試作の者よ」
紅夜が地面に手をかざす。地面に風が渦巻き、コバヤシの残骸が見る間に風化していく。紅夜は自分の生んだつむじ風に一瞥もくれず、早々にその場を立ち去った。
風が止む頃には、数分前と何ら変わらない、静かな人工林があるばかりだった。
◆ ◆ ◆
7月31日 深夜 ●●病院 XXXX号室
荘園寺昭久は、誰かが林檎を囓る音で目を覚ました。
「あ、起きた」
幼い少年の声。昭久は完全に覚醒し、慌てて上体を起こした。
「寝てれば楽だったのに。あ、オレがじゃないぜ? お前がってコト」
月明かりに照らされた枕元には、分厚く剥かれた林檎の残骸と、歪な林檎の欠片を囓っている少年がいた。
柔らかそうな短髪と二つの瞳は、薄闇の中でもはっきり分かるほど鮮明な赤色をしている。着用しているオーバーサイズのTシャツには、肩口にざっくりと切れ込みが入っていた。絵の具をまき散らしたようなモダンなデザインだ。
髪や目の色も、服装も、喋り方も、何から何まで違う。しかし昭久は、その顔立ちに見覚えがあった。
「……坊主か?」
昼に荘園寺家を訪ねてきた少年、銀滝白。彼に瓜二つだったのだ。
「あ゛? 何だジジイ、口悪ぃな。そういうのシツレーっていうんだぞ?」
少年は林檎を囓りながら、白と寸分違わない造形の顔をしかめる。
「オレはガキでもボウズでもねえ。血倉数多ってー名前があんだよ。そーだな、数多さんって呼べよ」
別人らしい、と理解した昭久は、数多を睨み付ける。
深夜の病院にそぐわない、異質な少年。敵対的な態度。思い当たる節は一つしか無かった。
「……コバヤシの仲間か。今更何を――――」
しに来た、と、昭久が続きを口にすることはなかった。少年が、昭久の喉元にナイフを突きつけた為だ。
「その口閉じろよジジイ。あんなシサクヒンの名字シリーズと一緒にすんな」
低い声で吐き捨てた後、数多は「ん?」と首を捻る。
「あれ? ちげーよな? お前がコバヤシの仲間だろ?」
「……違う、わしはあれに裏切られた」
昭久は、擦れた声を喉から絞り出す。対して、数多はけらけらと笑った。
「なーんだ。裏切られたってことは、元々仲間だったんだろ。違くねーじゃん」
数多はウエストポーチから何本かの試験管を取り出し、床に叩きつけた。中に入っていた赤い液体が、波打ちながら立ち上がる。幾本もの鎌のような形をとったそれは、昭久の身体を取り囲んで静止した。
「吐けよ。コバヤシはどこ行った? 珠母は? 今のお前らの本拠地は?」
「わしは、何も、知らん」
震える声で答える昭久の身体に、赤い鎌の刃先が近付く。
「んなこたねーだろ。吐いた方が得だぜ? お前がじゃなくて、オレがってコトだけど」
「信じてくれ、頼む。本当に何も知らなんだ、騙されただけだ」
「あっそ。喋らねえのな。じゃあいいや」
数多は、空いた手で林檎を囓ってから、凶悪な笑みを湛えて言った。
「悪いヤツはお仕置きだ」
「そうだとも」
「!?」
ばしゃん、と液体が床を打つ音が響く。いつの間にか数多の背後に、背の高い青年が立っていた。青年は、ナイフを持つ数多の手首を掴み、ゆっくりと下ろさせる。
「私に黙って動いていた悪い子は、この子かな?」
青年は数多の耳を掴み、思い切り引っ張り上げて数多を立たせた。
「わったたたた、痛い、痛いって紅夜!」
紅夜と呼ばれた青年は、深い溜息とともにぼやく。
「全く、私の頼まない仕事はするなとあれほど言ったのに、数多はいつになったら覚えてくれるんだい?」
「だって、こいつがクロマクだろ!」
「違うよ」
「違うのか!?」
紅夜は数多の耳から手を離す。呆然とする昭久を置き去りに、紅夜は数多の頭に拳を軽く落とした。
「そうだ。お前が何を勘違いして此処に辿り着いたかは分からないが、其の男は一般人だよ。罪が無いとは言えないが、死に値するほどではない。反省しなさい」
「……ごめんなさい」
「佳し」
拳を開いて数多の頭をぽんぽんと撫で、紅夜は昭久に向き直った。
「其許に問う。コバヤシに仲間はいたか?」
呆気にとられていた昭久は、回らない頭でぽつりぽつりと答えた。
「……わからない。いたとしても、わしは会っとらん」
「そうか」
顎に手を当てて小さく呟くと、紅夜は昭久の頭に手を翳した。
「邪魔をしたな、ご老人」
その言葉と共に、昭久は意識を失った。ベッドに仰向けに倒れた昭久に、掛け布団をかけ直してから、紅夜は数多へ振り向く。
「帰ろうか」
穏やかに微笑む紅夜に、数多は「おう!」と元気よく頷いた。
病院を出て帰路を辿る中で、数多は紅夜に尋ねる。
「今回の事件、コバヤシ以外にもいたのか? 名字シリーズ」
「ああ。私が接触したのは試作序列の……」
「名字シリーズな。試作試作って分かりづれえんだよ」
「ああ、すまないね。その、名字しりいずの九位である『小林』だけだった。しかし『小林』は、『小林』のものではない傀朧を色濃くまとっていたんだ。別の概念で希釈されていたが、名字しりいずの根源にあたる概念と同質の残滓があった。警戒していきたいところだね」
「ふうん。難しくてよくわかんねーや」
そう言って星空を仰ぐ数多に、紅夜は優しく微笑みかけた。
「今は分からなくても良い。しかしね、数多。分からないことに対して、考えるのをやめてはいけないよ。正しい答えが分かるようになるまで、しっかり考えるんだ。今回のようなことにならないようにね。答え合わせは私がしてあげるから」
「うん」
素直に返事をした後、数多はいたずらっぽい顔で紅夜の顔を覗き込んだ。
「てかさ、紅夜。さっきのジジイに「ご老人」って言ってたけど、紅夜も大概ジジイじゃね?」
「何だ数多、きつい仕置きをご所望か?」
「ちげーもん! 本当のこと言っただけだろ!」
二人の会話を、夜風が攫っていく。
翌朝、荘園寺昭久の病室で血だまりが見つかることは、また別の話である。
◆ ◆ ◆
――――[電子音]。
『はい』
「やあ、私だ。想術開発局第五研究室はどうだい?」
『アイサさんに言われたとおり、“傀朧の異常発生”と“原因不明”で片付くように報告しましたよ』
「よろしい。壺型の傀具については、何か分かったかい?」
『分かっていて訊いていますね?』
「どうだろうね」
『どうもこうもありませんよ――――ご存知の通りです。師匠の紋が入っていました。複雑すぎて、解析には時間が掛かります』
「わかった。内通者のアタリは、まだ付かないかな?」
『調べてはいるんですが、相手が手強いです。今のところ、手がかりゼロのままですよ』
「そうか。引き続き頼むよ」
『勿論――――すみません、同僚に呼ばれました』
「おや、そのまま戻って大丈夫なのかい?」
『……失敬! 同僚に呼ばれ申したので、小生、これにて失礼つかまつりまする~!』
「常々思っているんだが、そのキャラ疲れない?」
『キャラとか言わないでくだされ! これでも小生――――楽しんでおりまする故』
「そうかい。それじゃあ、また」
『今後ともごひいきにどうも~!』
――――――[途絶音]。
これにて、くねくね編完結です!!
お付き合いいただきありがとうございました!
最後に出てきた謎の二人組の今後に注目です。