特命係 ①
話のくくりとしては、2話目に突入します。
【都内某所】
華やかな表通り――――流石に早朝の今は静まりかえっているが――――から薄汚い裏路地に入って暫く進むと、特殊事案対策課特命係の事務所があった。
建てられてから随分経っていることが容易に想像出来る、古びた外観のテナントビルだった。錆びて変色した鉄の階段を上ると、チープなアルミサッシのドアが出迎える。
「はぁ……疲れたぁ……」
「……チッ」
疲労困憊、といった様子を隠す気力も無く、佳澄と白は事務所へなだれ込む。
「やあ、わざわざ仲良く徒歩を選ぶなんて、君達は本当に仲が良いね」
「「どこが!?」」
アイサの言葉に息ピッタリの反論を返した二人は、そこら中に散らかったゴミやら資料の山やらを慣れた様子で跨ぎつつ、応接用のソファを目指す。
読みかけで伏せられた雑誌、丸まったティッシュの群れ、脱ぎっぱなしの婦人服――――腐敗臭こそしないものの、消臭剤や芳香剤の匂いが部屋一杯に充満していた。
勤続二ヶ月。佳澄は未だ、この部屋の床の全貌を見たことがない。
事務所の奥にはデスクが六つ並び、その手前に応接用の机がある。その机を挟んで向かい合う形に、二人がけのソファが二脚置かれていた。
このゴミ屋敷のような部屋が一応『オフィス』であることを示してくれる、唯一のスペースである。
「大体、アイサさんが置き去りにしなければこんな苦労は……!」
「まあまあ、君達の為にタクシー代は多めに包んであっただろう? 捜査報告書だって私が既にまとめてある。感謝してくれて良いのだよ?」
「あ、そうですか? ありがとうございます……じゃなくてぇ!!」
もうっ! と頬を膨らませるものの、怒り続ける気力も無い。ソファへ鞄を放り投げ、コーヒーメーカーのボタンを押した。白は鞄が乗っていない方のソファへ音も無く体を沈め、大きく溜息を吐きながら横になる。
「全く、アイサさんは私達使いが荒すぎますよぅ……頑張ってるのに、全然仕事が減らないのも、いっつもいっつもアイサさんが」
「佳澄」
しぃ。
小さく愚痴る佳澄を、アイサが唇に人差し指を添えて諌めた。
「?」
温かなマグカップを手に佳澄が振り向くと、ソファからすうすうと寝息が聞こえる。
「起きてしまうよ」
そこには、小さく手足を丸めた白の安らかな寝顔があった。
「……こうして見ると、本当にまだ子供なんですね」
「ああ、可愛らしいだろう?」
「はい」
茶化す様なアイサの言葉に素直に頷き、向かいのソファへ腰掛けてカフェオレを啜った。眠れなくなると困るのでコーヒーは少なめに、ミルクとはちみつをたっぷり入れてある。疲れた体がじんわりと温まっていく。
「疲れただろう、君も早く寝ると良い」
アイサは佳澄に一瞥もくれず自分のデスクに腰掛け、古びたハードカバーの単行本を開いた。
普段は凄く――――本当に、本当に凄ぉく意地悪なアイサだが、こういうぶっきらぼうな優しさが上手く出せないだけなのだと、佳澄は少し嬉しくなった。
「おやすみなさい、アイサさん」
「ああ、おやすみ」
◆ ◆ ◆
すう、すう、と、二つの寝息が響く。静かな事務所に、時計の秒針の音と二人の寝息だけがひっそりと流れている。
「やっぱり、仲が良いよ、お前達は」
────羨ましいくらいに。
アイサはぽつりと呟き、電気を消して事務室を出て行った。
◆ ◆ ◆
「はっ、くしゅんっ!」
佳澄の大きなくしゃみで目を覚ます。白は眠たい目をこすり、むくりと上体を起こした。
「んん゛……」
「お、起きたね。おはよう、白君」
聞き慣れた男性の声が頭上から降ってくる。ぼんやりとした視界には、飲みかけのカフェラテが入ったマグカップと、鼻をすんと啜ってから再び深い眠りへ戻った佳澄がいた。
白はぽやぽやする頭をふるりと振って、顔を洗うためおもむろにソファから立ち上がる。
「テメエは本ッ当に寝坊助さんだなァ、シロ! もう11時半だぞ!!」
「……うるせー……」
明朗快活な大声に、思わず顔をしかめて声の主を睨み付ける。
「佐竹ちゃんは本当に元気だねぇ」
「おうよ! 早寝早起き朝ご飯、欠かさずいりゃあ毎日健康! ってな!」
「暴走族の頭のセリフじゃないよねえ」
「元な、元!」
声の主――――佐竹和音は、真っ赤な口紅を引いた唇を惜しげも無く開き、がはは、と豪快に笑う。金髪ロングを高い位置で結い、丈の長いセーラー服を着た彼女は、担いだ竹刀を肩の上で楽しげに弾ませた。
現代の十八歳らしからぬ、いにしえのスケ番スタイルが彼女の普段着である。
彼女に柔和な表情を向けている中年の男性は甲斐忠勝、『甲斐さん』の愛称で親しまれる気の良い五十路だ。スポーツ刈りで体格が良く精悍な顔立ちをしているが、常にニコニコと微笑んでいるため、女性から非常に好かれる。
警官として地方のお悩み相談室などへ派遣される時も、甲斐に相談者が殺到してしまい、混乱を避けるために整理券が配られたこともあった。
もっとも、彼の存在に慣れきった特命係の女性陣は別だ。
「でも、竹刀は一旦仕舞おうね。狭い室内で振り回すと危ないからね」
「固いコト言うなっておっさん!」
てしてしと竹刀で小突かれ困り顔の甲斐を横目に、白は欠伸を噛み殺しながら流しへ向かった。
白専用の脚立を開き、固い蛇口を軽々捻って丁寧に顔を洗う。
因みに脚立はアイサが勝手に買ってきた。
子ども用、と主張する様な自動車モチーフのデザインには心底うんざりするが、サイズは気持ち悪いくらいピッタリで使いやすい。
「むにゃ……ありぇ、甲斐しゃん、佐竹さん、おはようございます」
「ああ、佳澄ちゃんも起きたね。おはよう」
「あ~~、佳澄は可愛いなぁ! 寝癖ついてるぞ、この寝坊助さんめ!」
白にかけたのと同じ言葉を甘さたっぷりに言い放ち、佐竹が佳澄をなで回す。
「わ、先輩困ります~、もっとわしゃわしゃになっちゃいますってぇ」
「……あほくさ」
「いやあ、目の保養じゃないですか。良いですよね、可愛い女の子がむつまじくしている様子」
女性二人を冷ややかな目で見つめる白に、背後から声が掛かる。
タオルを首に提げたまま一番奥のデスクを見遣ると、大量に積まれた資料の山から眼鏡の男性がひょこりと顔を出した。
ゴミ屋敷状態の事務所に似合わない清潔感のあるサマースーツを着て、きっちりとネクタイを締めている。ナチュラルなソフトパーマのかかったビジネスマン風のツーブロヘアをした、自称『特命係のイケメン枠』。
実際、外面だけ見れば甲斐よりも女性受けの良さそうな風采の男である。こちらに顔を出しつつもPC作業をする手元は淀みなく、いかにも仕事が出来るようにみえる。
見えるだけだが。
「仕事しなよ係長」
「嫌だな白君、してるじゃないですか」
「……最後のダンジョン前、進捗は?」
「ダメですねぇ、全然さっぱりです。裏ルートに入るまでは完璧なんですが、隠しコマンドがあるっぽくてですね……あ」
おっと、と口元に手を添え、にこりと胡散臭く笑って誤魔化す。
馬崎優貴係長――――特命係を仕切るトップ職にも拘わらず、実際はレトロゲーフリークのサボり常習犯である。
同じレトロゲー愛好家の白は、馬崎が『攻略本は邪道』の信条を固く守って完全初見プレイをしているにも関わらず、クリアのペースが異様に早いのを知っている。
その代わり、仕事が異様に遅い事も。
「資料消化の進捗はどうだよ? セクハラ係長。あと佳澄をじろじろ見るな。減るから」
「読んでおくように頼んで置いておいた資料、押印は終わっているかい、係長?」
「あ、係長~、いらっしゃってたんですねぇ~」
特命係一同からちくちくと催促が飛ぶ。佳澄に至っては未だに半分夢の中である。
「だってこんな量、全部なんて無理ですよ……!」
「だったらテメエが前線で戦うか? そんなら代わりにあたいがやってやるよ」
「いや、ブルーカラーな労働はキャラじゃないんで」
「チッ、臆病モンが」
「……溜めとくからダメなんだよ、係長」
馬崎と佐竹の口論を尻目に、白はぼそりと呟いてから冷蔵庫を漁る。昨晩は何も食べずに寝てしまったので、流石に空腹だった。
「うんうん、白君の言う通りだ。馬崎君はなまじ『やればできる』からサボっちゃうんだろうねぇ。ツケはちゃんと払うことだ――――あ、白君。遅くなったけどこれ、差し入れだよ。佳澄ちゃんもどうぞ」
甲斐がコンビニの袋を小さく持ち上げて微笑む。
「うわー! お腹ぺこぺこです! ありがとうございます、甲斐さん!」
「ありがと、甲斐さん。たすかる」
素直に礼を述べ、二人揃ってコンビニ弁当を掻き込む。
二人を見守る温かな視線に、当人達は気付かない。