うねり ⑩脱出
いよいよ決着です……!!
時刻不明 傀域
白が傀域に突入し、真っ先に視界へ飛び込んできたのは、傀域の中心にそびえる巨大なくねくねだった。それを目視した白の頭に、再び怨嗟の声が流れ込む。酷い頭痛に顔が歪むが、先程のように昏倒することはなかった。
(久しぶりに物凄く痛いけど――――慣れた。もう効かない)
白は黒い塔に向けて駆け出した。少し走るとくねくねの群れが白の行く手を阻んだが、念入りに掛けた身体強化で蹴散らしながら進む。悲痛な感情を帯びた傀朧が渦巻く中で、白は、中央にそびえ立つくねくねの足下に異質な気配を感じ取った。
(凄く薄いけど人の気配だ。結界っぽいのも張ってるけどボロボロで壊れそう。まずいな)
白が黒いくねくねの根元に辿り着いたのと、結界が破られたのはほぼ同時だった。いまにもその人物を殴りつけようとする触腕に向けて、白は跳躍した。
――――ぶつり。
白が殴りつけた触腕は鈍い音を立てて千切れ、咲夜の遙か後方へ吹き飛んだ。黒いくねくねの四肢は怯んだように引き攣れて震え、その動きを緩慢にした。
「良かった、間に合った」
安堵して小さく呟き、呼吸を整えながら足下の女性を確認する。
ぼろぼろになって座り込み、天を仰いで目を閉じた小柄な女性。白と同じ総白髪のショートヘアに目を奪われたのも束の間、女性――――咲夜の身じろぎで我に返る。
「大丈夫、お嬢さん?」
声を掛けると、咲夜は目を開いて白を見た。大きな赤い瞳と目が合う。咲夜の視線は一瞬儚げに揺れたが、次の瞬間には白を強いまなざしで見つめ返していた。
「……おかげさまで、どうにか」
愛らしく、しかし芯がある声。白が傀域へ入る前に聞いた、助けを求める呼び声と同じだった。
「そっか」
白は咲夜に背を向け、黒いくねくねに向き直った。
「デカいのは片付けるけど、あんたに手を出す小さいのまでは手が回らない。もうちょっと粘れる?」
「もちろん」
咲夜は立ち上がり、『識見』をかけ直して『無痛』のグリップを握った。
「……そっか」
勝ち気な返事だが、咲夜の声はかすれている。白は黒いくねくねを冷たい目で見上げ、両掌をかざした。
「じゃあ、そっちはそっちで頑張って。すぐ終わらすから」
白は掲げた両手を緩く握り、何かを引き裂くように思い切り左右へ振り払った。その動きに合わせて、くねくねの巨躯がいびつに裂ける。触腕は握りつぶされたように圧迫され、飛び散った身体の破片が周囲にまき散らされた。
くねくねの咆哮が空気をびりびりと震わせる。
「……すごい」
その壮絶な光景に、咲夜は小さく零した。同時に、空中へまき散らされた強い怨嗟の概念が咲夜を襲う。
装着した者に傀朧のみを見せる『識見』の効果で、咲夜の視界に白は映らない。
だから、頭をさいなむ声に顔を歪ませてくねくねを見上げる咲夜は、知らなかった。
振り返った白が、悲しげな目で咲夜を見ていたことを。
「気持ち悪い、よね」
ぼやくような白の呟きは、くねくねの断末魔にかき消される。白は再びくねくねに向きなおり、右手をかざした。恐怖の概念の塊を確かめるように、哀れむように、再びゆっくりと掌を握り込む。
「間違ってるんだ、こんな在り方――――」
その手に、一気に力がこもる。
「散れ」
黒いくねくねは、今度こそ跡形も無く砕けて飛び散った。傀域の核を担っていた黒いくねくねに連動して、爆風と共に傀域そのものが四散する。
咲夜は強く吹き付ける風に目を覆った。
耳をかすめる爆風に乗って、「おれみたいだ」という声が聞こえた気がした。
◆ ◆ ◆
7月31日 16:13 箕槌神社
風が止む。
銀滝白と浄霊院咲夜は、濃い緑の中に建つ神社の前にいた。古びた鎮守社にほつれかけたしめ縄、色あせた鳥居。先程までの粘つくような不吉さが嘘のように、蝉時雨と清涼な風が二人の間を通り抜けていく。
(戻ってきたんだ)
咲夜が安堵の息を吐くより早く、聞き覚えのある声が咲夜の名を呼んだ。
「咲夜!!」
そう叫びながら咲夜と白の間に割り込んだのは、功刀風牙だった。コバヤシを倒して咲夜を後ろ手に庇うように立ちふさがる。
「無事か!? 状況は!?」
声に焦りを滲ませた風牙に、咲夜は慌てて声を掛けた。
「大丈夫、大丈夫ったら! 全部終わったよ。彼が助けてくれたの」
「お、そうなのか?」
咲夜の言葉にころりと態度を変え、風牙はしゃがみ込んで咲夜の顔を覗き込む。首に手を添えて脈と体内の傀朧を測り、「よし」と頷いて咲夜の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「めちゃめちゃ疲れてっけど、怪我もしてねえし呪いの類いにも掛かってねえな! お疲れ、咲夜」
「……うん」
咲夜は今度こそほっとして肩の力を抜き、小さく返事をした。これ以上喋ると涙が出そうで口をつぐむ。そんな咲夜の様子を見て、風牙は咲夜の背をとんとんと叩いてから立ち上がった。
背を向けて立っている白に歩み寄る。
「ありがとな、坊主。大丈夫か?」
「ああ、おれはへいき……」
そう言ってこちらを見た白の顔に、咲夜と風牙はぎょっとする。白のこめかみには血管が浮き、目は充血し、鼻からは血が滴っていた。
「うわ、凄え顔」
「?」
こてんと首を傾げる白に、風牙は自分の鼻をとんとん触りながら伝える。
「血ぃ出てんぞ、鼻から」
鼻に手を当て、べったり付いた血を見て、白は「ああ」と呟いた。
「ほんとだ、よごれた」
「汚れた、じゃねえんだよなあ……ホントに大丈夫か坊主」
「うん、へいき」
「そうは見えねえけど?」
白の酷い状態と気の抜けた会話に言葉を失っていた咲夜は、我に返って悲鳴を上げた。
「全然平気じゃ無いじゃない!」
咲夜は勢いよく立ち上がり、ポーチから取り出したハンカチを躊躇いなく白の鼻にあてがった。手近にあったベンチに座らせ、小鼻を押さえて軽く俯かせる。
「止まるまでそうしてて。身体も辛いだろうし横にならせてあげたいけど、鼻血が逆流するから我慢してね」
「へいきなんだけど……」
「平気じゃないでしょ! さっきから舌も回ってないし!」
かいがいしく白の世話をする咲夜を見て、風牙はふっと微笑んだ。先程までの泣きそうな表情は跡形も無い。
「……なんで笑ってるの、風牙」
「なんだだろうなー?」
風牙は、じっとりと睨み付けてくる咲夜の頭を再びわしゃわしゃ撫でる。
「ちょっと、やめてよ。まだ処置が終わってないの」
「そういうところなんだよなー」
気が済むまで咲夜を撫でた後、風牙は立ち上がって言った。
「とりあえず、自然公園に戻ろう。階段を降りた所に車を駐めてある。ちょっと待ってな」
風牙は神社の裏手に回り、ツタで縛り上げられたコバヤシを担いで戻ってきた。口には猿ぐつわが噛まされており、まだ気を失ってぐったりしている。
「これを土産に、あの女に色々聞かせて貰おうと思ってる」
されるがままにぼんやりと処置を受けていた白は、風牙が担いでいる男の顔を見て思わず立ち上がった。
「!! そいつ……!」
「わわっ、ちょっと! 駄目だよ、今急に動いちゃ!」
咲夜に再び座らされるが、白は風牙を見上げ、はっきりとした口調で問うた。
「あんた、そいつをどうする気?」
「情報をくれた女に引き渡す。なあ、坊主」
「銀滝白」
「……あー、名前か?」
こくんと頷く白に、風牙は苦笑する。
「変わった名前だな」
「よく言われる」
「そうかよ。そういや俺も名乗ってなかったな、功刀風牙だ。『小夜嵐』って聞いたことあるか?」
「? 知らない」
「そうか、知らないなら良いんだ。で、白。水野アサミって名前に聞き覚えはあるか?」
その言葉を聞いて、白は思い切り顔をしかめた。
「……まだその偽名使ってんだ、あの妖怪」
「妖怪?」
「あ、ごめん。えっと、あだ名みたいな……ちゃんと人間だよ、そいつ」
「……もしかして、本名は“水戸角アイサ”?」
それまで黙っていた咲夜が、急に口を開いた。白は驚いて咲夜を見る。
「え、うん……そうだけど」
「やられた~!」
咲夜は悔しそうに天を仰いだ。
銀滝白。ここ数年で名前を聞くようになった、特命係の主戦力。
特命係は警察が擁する唯一の傀異対策組織だ。構成員くらいは咲夜の頭にも入っている。
良い噂も悪い噂も絶えない特命係の中で、特に異質な謎人物が水戸角アイサだ。
咲夜は、彼女に纏わる突拍子もない噂をいくつも耳にしている。どれも常識の範囲を逸脱したトンデモ話だったのでスルーしていたし、何なら実在するかどうかも怪しいと思っていた。しかし、水野アサミと名乗った彼女が水戸角アイサその人であるなら、噂のいくつかは事実でもおかしくない。思えば、咲夜がこれまで出会った人間の中で最も“水戸角アイサっぽい”のは彼女だった。何故気付けなかったのかが不思議なくらいだ。
呻きながら頭を押さえる咲夜に白が困惑していると、風牙の顔が目の前にぬっと現れた。
「うん、鼻血は止まったな」
言うやいなや、風牙はコバヤシを担いでいない方の肩で白を担ぎ上げる。
「うあっ!?」
「詳しい話は車の中でする。咲夜、歩けるか?」
「わかった! 平気! あ~もう、なんで気付かなかったんだろう……!」
咲夜もぴょんと立ち上がり、揃って足早に階段を下る。
「おれも平気だから下ろして」
「お前はもう平気って言うのやめような」
白の抗議は風牙に一蹴された。
白は諦めて目を閉じる。風牙の肩はお世辞にも乗り心地の良い場所ではなかったが、溜まりきった疲れから、白はいつの間にか眠っていた。
白くんがかわいい回でした(笑)
次回、解決編が始まります。
色々な謎が解消されていく……?
お楽しみに!