うねり ⑧箕槌《みづち》神社
くろ飛行機お気に入りの風牙さん活躍回です!!
(ニヤニヤが止まらない)
夜明けを見てくださっている方は、どうしてこうなった? となると思いますが、ちゃんと設定は練っている(はず)なので、お楽しみにしておいてください!
7月31日 15:39 箕槌神社
木々の生い茂る山の中、荒い呼吸音が響く。箕槌神社へ続く石段を駆け上りながら、コバヤシは泥と汗にまみれた顔で笑っていた。
「っはは、っ、はははっ! ――――僕の、勝ちだっ!」
コバヤシは、ビャクから預かったエンチャント用の傀具を身体の要所要所に貼り付けていた。頸動脈、こめかみ、心臓、脚の腱……強い衝撃で作動するように依頼したその傀具は、その役割を忠実に果たした。
石段を登る足はそのままに、口内にも含んでいたソレを舌で確かめる。
(百だけに百円玉ってぇのは、洒落なんだか何なんだか)
万能の百円玉。発動した地点の最低賃金から逆算した“百円分の労働時間”だけ、際限なく傀朧が使えるようになる傀具だ。
怒りのあまり時間管理を怠っていたコバヤシだったが、ビャクから買い取った万能の百円玉のストックはいくらでもあった。白に殴られる前に口の中のコインを噛み、得意の催眠を応用した幻覚を使って逃走した。爆発的なブーストのおかげで、気付く暇さえ与えなかったはずだ。我ながら完璧なタイミングだったと、コバヤシは口端を持ち上げる。
「はははっ……!」
絶え間なく動かす足取りは、コインのブーストに助けられて軽やかだ。
コバヤシにとって、残る仕事はあと一つ。完成した傀玉を、“あのお方”に届けることである。
既に傀玉は完成した。このまま献上しても問題ない。しかし、コバヤシは撤収ではなく“箕槌神社に向かうこと”を選んだ。
コバヤシは、傀域の管理を担当していたビャクから、傀域に迷い込んだときの安全地帯として箕槌神社を出口にしてあると聞いていた。
傀玉の精製機を傀域に触れさせることで、傀玉をより完璧な状態に仕上げる。
それがコバヤシの目的だった。
長い石段の先を登り切ったコバヤシは、期待に満ちた目で神社を見上げ――――その表情を凍らせる。
「よぉ」
箕槌神社の鳥居の下、石畳のど真ん中に、男が座っていた。
黒の短髪の青年だ。胡座を掻いて頬杖をつき、コバヤシを睨め付ける瞳は青い。ファンシーなプリントが入った黒Tシャツ。
ビャクの言葉を思い出す。
(計画より急いだ方が良いかもしれねっすね。さっき見たんですよ、『小夜嵐』――――)
「……あ」
「あんた、この辺りに傀域の入り口とか、作ったか?」
小夜嵐の一翼、功刀風牙は、唖然とするコバヤシに平然と問いかけた。
「どうやら出口専用みてぇでよ。入ろうとしてみても、腕一本突っ込むくらいが精々だ。つまり、俺はまんまと騙されたってわけなんだが」
半ば独り言のような呟きは、既にコバヤシの耳には入っていない。
風牙は特別一級想術師だ。戦闘になれば、コバヤシの敗北は必至である。コバヤシはじりじりと後ずさり、そのまま飛び込むように階段へ引き返す。
「丸っきり嘘じゃなかったみてえだな」
その言葉と共に、コバヤシの身体に衝撃が走る。自分が腹部を殴打され、神社横の竹藪に叩き込まれたことを理解した頃には、風牙の拳がコバヤシの眼前まで迫っていた。
「っ!!」
腹部に貼り付けた万能の百円玉の発動で、コバヤシの身体自体にダメージは無い。ブーストも利用しながら辛うじて拳を躱し、飛び退って体勢を立て直す。
コバヤシは生唾を飲み込む。
――――コインが無ければ、肋の数本は持っていかれていただろう。
「その様子じゃあ、なんか知ってんだろ? 吐いて貰うぜ」
風牙は、構えた両拳から蒼い傀朧を立ち上らせる。
「……何が知りたいんですか?」
殴られた腹に手を当て、コバヤシは怯えた声音を作って返事をした。強い相手に勝つには油断を誘うしかない、というのがコバヤシの私論であった。そしてコバヤシは、自分を情けない弱者に仕立て上げるのが上手かった。
簡単なことだ。
これまで殺してきた者達を真似ることに抵抗は無かった。これから目の前の強者が立場を逆転されて哀れっぽく嘆願することを思えば、むしろ爽快ですらあった。
コバヤシはそういう男だった。
「とりあえず、傀域の入り口。次にお前の目的。吐かねぇなら――――」
「……吐かない、なら?」
おどおどと怯えたフリをしながら、握り込んだ手の中に五十円玉を準備する。
万能の百円玉の応用品だ。発動時間は半減するが、この形のコインであれば、コバヤシの得意分野に活用できる。
(3、2、1で夢見る骸――――)
「吐かないなら、力尽くで吐かせるさ」
「ひっ……!」
コバヤシは、情けなく息を吞んでみせる。完全に戦意を喪失した小物を演出する。
「い、言います! 傀域の入り口は、仲間が作ったんです。全て任せきりだったので、僕は何も知りません」
「仲間?」
「“カンジョウ ビャク”と名乗る男です。仲間と言っても雇用契約を結んだだけの間柄なので、奴の手口については詳しくありません。入り口を探すなら、ビャクに訊くのが良いかと」
「そいつはどこにいる?」
「わかりません。特命係との戦闘で、真っ先に逃げていたので……」
「は? 特命係、だぁ?」
風牙の表情が険しくなる。芳しくない反応を見て、コバヤシは内心で嘲笑した。
(特別一級が聞いて呆れるな。こいつ、特命係が来ていることにも気付いていないのか!)
「は、はい! 特命係の連中に襲撃されて、ビャクは逃走。僕もたった今逃げ帰るところでした」
「……ふぅん?」
「僕がくねくねの傀域について知っている事は、この程度です」
「……目的は? 手前の企み、洗いざらい吐いてけ」
「はい。僕の目的は……」
(――――起動)
コバヤシは、胸の前に構えていた手を下げ、そのまま五十円玉を放り投げた。
「これです」
回転しながら弧を描く五十円玉を、風牙の視線が追う。
――――掛かった。
「お前はだんだん眠くなる」
「――――!?」
コバヤシの呟きと同時に、風牙の視界がガクンと揺れる。地面に膝を突いた風牙は、頭を抱えるように支えた。
風牙を襲ったのは、強烈な、抗いがたい眠気。
「眠くなる、眠くなる」
その眠気は、コバヤシが言葉を重ねる度に強くなる。
「お前は、だんだん」
身体をふらつかせる風牙を見て、コバヤシは厭らしい笑みを浮かべた。
(詰みだよ、特別一級)
ついに、風牙の身体が地面にくずおれる。
「眠く、なっ!?」
しかしコバヤシは、その言葉を言い切ることは出来なかった。
「嘘吐きばっかだなぁ全くよぉ――――!」
先程まで倒れていたはずの男の巨躯が、いつの間にか、コバヤシの懐に潜り込んでいる。その口端からは血が滴っていた。
(痛みで堪えた!? 熊でも一発の催眠だぞ!?)
油断と驚愕で身動きの取れないコバヤシに、風牙の拳が容赦なく叩き込まれた。腹に仕込んだコインは先程使用済みだ。衝撃がコバヤシの鳩尾を直撃する。
「がはっ……!」
衝撃で呼吸が止まる。座り込んだコバヤシの正面に立った風牙は、ペンダントトップの歪な十字架を握り込み、乱暴に取り外す。
「起きろ、鉢特摩」
その声に呼応するように、十字架が強い赤光を放つ。眩んだコバヤシの目が再びその姿を捉えたときには、風牙は身の丈を遙かに超える大剣を構えていた。
「嘘吐きには仕置きがいるな?」
横向きに構えられた大剣の真っ赤な刃先は、丁度、コバヤシの首の高さにある。
「まっ……」
「待たない。地獄で後悔しろ」
大剣の柄を握る手に力が籠もる。刃の赤が濃さを増し、更に煌々と輝いた。ただの刃では無い、これは高密度の傀朧だとコバヤシが気付くのと、風牙の咆哮は同時だった。
「功刀流、飃風飛揚――――!」
一閃の光と、轟音。
巨大な傀朧の塊が、大きく横薙ぎに振るわれる。大気を裂くような一太刀は、周囲の空気を震撼させた。
が、それ以上でもそれ以下でも無かった。
「あー……威嚇にゃデカすぎたか?」
大剣を担ぐ風牙の前には、泡を吹いて昏倒しているコバヤシの姿があった。
「苛ついて派手にやりすぎちまったなぁ……空打ちとはいえ、傀測計にも検知されたよなぁ……あーあ、こりゃ後で説教コースだ」
風牙の手の中で、大剣がみるみる縮んでいく。刃の傀朧は霧散し、柄の部分だけが歪な十字架のモチーフとして掌中に納まった。
“特上”傀具、鉢特摩。
封印の概念を持つ、曰く付きの大剣だ。これを扱える人間は、世界で風牙だけである。
封印状態の鉢特摩をペンダントトップに取り付け直し、風牙はコバヤシの言葉を反芻した。
「『特命係の連中に襲撃されて』、ねえ。思い当たることしか無ぇなぁ」
伸びているコバヤシを、そこら辺に自生していたツタでぐるぐる巻きに拘束する。その隣に胡座を掻いた風牙は、口端を伝う血を拭い、虚空を睨み付けてぼやいた。
「交渉材料はできた。首洗って待ってろよ、あの女狐」