うねり ③事情
30話目に突入しました!!
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7月31日 14:52 荘園寺邸
タクヤの涙が止まった頃、救急車が到着した。
「――――っ!」
部屋へと突入した三人の救急隊員達は、白とタクヤ、倒れ伏した老人と血溜まりを見て息を吞む。二人が手早く昭久を担架に乗せ、一人が白とタクヤに駆け寄った。
「君達、大丈――――」
「警察庁警備局、特殊事案対策課特命係の銀滝巡査」
しゃがんで目線を合わせた救急隊員の鼻先に、白の警察手帳が突きつけられる。
「……は?」
「怪我をした荘園寺昭久の止血は済んでる。事情は上から病院の方に報告済みだ。事件性は無いけど、通報を受けて現地急行の指令が出た。今からこの子供に聴取を行う、あんたらは気にせず救急に専念して」
「いや、君も子供――――」
「この記章、ニセモノに見える?」
白は再び警察手帳を救急隊員に見せた。促されるままに金色の記章を観察する救急隊員の目が、次第に虚ろになる。
白にとって、名乗りと警察手帳は数少ない身分証明手段である。しかし、『特命係』の名前と警察手帳の効果を以てしても、白の容姿の警察官らしくなさを拭いきれない事は多かった。特命係という言葉すら知らない相手であれば尚更だ。階級の高い公安職や都心の警察関係者ならまだしも、例えば、片田舎のいち救急隊員が耳にするような単語では無い。
そんな時の為に、白の手帳の記章には、簡単な催眠の想術が施されている。白がやたらと警察手帳を出したがる理由はそこにあった。
「救急に、専念して」
白の言葉に黙って頷き、救急隊員は部屋を出て行く。タクヤは、その様子を呆気にとられて眺めていた。
「落ち着いた?」
ぶっきらぼうに声を掛けられ、タクヤは慌てて頷く。
「ん。じゃあ……あー、毒の入ってない麦茶、出せる?」
その言葉に、落ち着いていたタクヤの肩が跳ねる。
「ごっ、ごめんなさい……!」
「あ、いや、ごめん。責めようとか思ってない。普通に水分欲しくて。あと、うがいに使えそうなコップとかあれば、それも」
頼めるか、と視線で問われ、タクヤは頷いて台所へ向かった。使い捨てプラカップと麦茶を持ったタクヤが戻ってくると、白が畳の血だまりに触れていた。青白い光が血だまりを覆い、徐々に光量を失っていく。光が消えた後には、血の跡は微塵も残っていなかった。
おおよそ自然の理に反したその光景を見ても、タクヤはもう驚かなかった。
「あの、麦茶」
「ありがと」
白はタクヤの差し出したトレーから、プラカップを取り上げて口元へ運んだ。そのまま空いた手を腹に当て、胸、喉、口元へとゆっくり滑らせる。
「白くん、今、畳に何か――――うわっ!?」
ずるり。
白の口からプラカップへ吐き出されたのは、薄青く光るこぶし大の水袋だった。薄い膜の中にたっぷりと入った液体がたぽんと音を立てる。思わず声を上げたタクヤを尻目に、白はプラカップを座卓に置き、代わりに麦茶を掴んで一気に飲み干した。
「ぷは」
一息吐いて、白は姿勢を崩す。
「畳は直しといた。そういう決まりがあるんだ」
白が用いたのは、傀修術と呼ばれる想術だった。主に建物や道具を修理するための想術だ。想術師協会に専門部署が構えられるほど多彩で複雑な技術だが、戦闘行為で何度も建物を大破させてきた白は、半ば強制的に高度な傀修術を習得している。血の跡を消す程度は造作も無かった。
「細工とかはしてないよ。ほんとに直しただけ」
「そ、うですか……えっと、じゃあ、それは」
「毒入り麦茶」
タクヤに指差されたプラカップを持ち上げ、軽く揺する。たぽたぽと水音を立てるそれをよく見れば、微かに茶色を帯び、噛み砕かれた氷が混ざっているのが分かる。
「飲み込む直前に、傀朧で……えっと、なんか不思議な力で食道に膜張って、胃の中で混ざんない様にしてたんだ。おれ、この手の薬は効きやすいから気をつけてるんだ」
白は麦茶を飲む直前、巧妙に隠された傀朧を感じ取っていた。そこから先は、全て演技である。
「これ、何入れたの?」
「……あの人、コバヤシさんから貰った薬です」
タクヤは、沈痛な顔でこれまでの経緯を話した。
◆ ◆ ◆
僕が特命係に相談に行く、四日前です。
僕、ショウがいなくなってから、どうにかしてショウのこと戻せないか調べてたんです。図書館の本を読んだり、田んぼに何か無いか探してみたり。
その間も、野口さんの田んぼにはくねくねが出ていました。見ないように気をつけながら調べてたんですけど、ショウがいなくなってから、くねくねの数が増えたんです。野口さんの田んぼの近く、金子さんの家の方の田んぼにも出るようになって。調べて分かったのはそれだけでした。ショウが戻ってくる手掛かりとかは、なんにも出てこなくて。
どうしよう、って思ってたら、コバヤシさんに声を掛けられたんです。
コバヤシさんは大きな壺を持ってて、僕に、くねくねの出るところを知らないかって訊きました。僕はどうしたらいいか分からなくて、黙ってました。そうしたら、「大丈夫。僕はこの町を守るために、想術師協会というところから派遣されたんです」って言うから……全部話して、助けてってお願いしたんです。
コバヤシさんは「お任せください。僕なら君の友達を助けられます」って言ってました。で、その日一日使って、僕にここら辺を案内させました。くねくねが出る田んぼの場所と、図書館とか役場とかの大きい建物と、ショウがおかしくなった場所と……地図を広げて、この辺りで石碑がある場所を教えてって言われました。ここら辺は川があるから、水神を奉った石碑とかが多いんです。あと、道祖神も。道祖神って地域の境目に置かれることが多いらしいんだけど、いくつかの村とか町とかが合併して今の形になったから、この町にもいくつかあるんです。
……別に、郷土学習とかが好きなわけじゃ無いです。くねくねについて調べてる時、たまたまそういうのも読んだだけ。
地図に書き込むのが終わったら、コバヤシさんが道祖神の場所を詳しく知りたいって言うから、案内して回ったんです。その中の一ヶ所、野口さんの家から図書館に行くまでの道の中にあるやつなんですけど、コバヤシさんは持ってた大きい壺をそこに置きました。そうしたら、壺から白い糸みたいなものが沢山飛び出して、散らばって、コバヤシさんはそれを見て「準備は整いました、ありがとうございます」って言いました。
その後、コバヤシさんは僕にお金と東京の地図を渡しました。タクシーに乗って、東京の『特命係』っていうチームをここに呼ぶようにって。それと一緒に、白君のコップに入れた睡眠薬も渡されて……使い方を、説明されて……「分かるね?」って……言われた、から……?
そういえば、僕、なんで薬なんか使おうと思ったんだろう。ちょっと考えれば、せっかく呼んだ人達を眠らせるなんて変だって分かるのに。
◆ ◆ ◆
「あのコバヤシって男、催眠が得意なんだろ。多分、最初に会った時に何か仕込まれたんだ」
白は、麦茶の入っていたグラスを頬に当てて涼みながら言った。
「大体の事情は分かったよ」
白は内心ほっとしていた。白が掛けた「お前のせいじゃない」という言葉は、結果として嘘ではなかった。
(こいつは、おれとは違うんだな――――当たり前か)
「で、タクヤはこの後どうするの?」
「え?」
「おれはまだやることがあるから行くけど」
言外に「後の面倒は見ないぞ」という意図を滲ませながら、白はグラスを置いて立ち上がった。
「……僕は、じいちゃんの様子を見に行きます。白くんは? この後どこに行くの?」
「おれは、」
『壺が置かれたという道祖神に急行せよ、だそうです』
座卓の下に置きっ放しになっていた白のスマホから、馬崎の声がした。
「あっやべ、忘れてくとこだった」
『しっかりしてください、白君。タクヤ君の為にタクシーも呼んでおきました。もうすぐ着くはずです。病院にはそれで行くといいでしょうと伝えるように』
「だってさ」
スマホを拾って立ち去る白の背に、タクヤは叫んだ。
「ありがとう! ……くねくねの事も、白くんがやっつけてくれるって、僕、信じてるから!」
白は振り向き、タクヤを見据える。
(子守りもここで終わりだし、最後くらいちょっと頑張るか)
慣れない笑みを浮かべ、ぎこちないながらも頷き、力を込めて言い放つ。例えば、子供が憧れるような、ゲームの中のヒーローのように。
「もちろん。それがおれの仕事だから」