月夜の少年 ③
救急隊員が慌ただしく動く中、駐車場の縁石に腰を下ろした少女は、アイサに洗いざらい全てを話した。
途中であの化け物を思い出し、恐ろしさに言葉が途切れたが、佳澄が優しい声で宥めてくれた。
「そうですか……辛かったですね」
佳澄はいたわしげにそう言って、少女を抱きしめてくれた。柔らかく温かい感触に、少女の目からは涙が零れた。
「被害者全員、避難終わりました!」
救急隊員のひときわ大きな声に、少女は顔を上げる。丁度、廃ビルから最後のストレッチャーが出てきていた。
幼馴染みが安らかな顔で眠っている。
「君達は運が良いね」
アイサが少女の隣に座り、にこやかに言った。
「もしこの廃墟に巣喰う化け物が違ったなら、あそこには死体が乗っていた――――君だけを残して」
少女は、あの時の恐怖を思い出す。
一人きりで助かろうとした後悔を、思い出す。
友人が全員死んで、一人だけ助かったとして――――私は今と同じように泣けただろうか。
「白、佳澄」
「はーい」
「分かってる」
佳澄は素直な返事と共に、白は煙たげに手をひらひら振って、各々ビルの中に入っていった。
「悪いがお嬢さん、今日あったことは誰にも言わないで欲しい。できるなら忘れてしまえ」
アイサは先程までの笑顔を捨て去り、ぶっきらぼうに言った。
「君はその目で“カイイ”を見てしまった。その残穢は、別の“カイイ”を呼び寄せる。同じようなトラブルに巻き込まれて死にたくなかったら――――良いか? 死にたくなかったら、だ。忘れる努力をしなさい。そのうちに残穢も消える」
カイイ。
化け物のことを、白もそう呼んでいた。
『醜い感情で勝手に生み出された』とも。
「“カイイ”って、結局何だったんですか」
「おや、忘れろと言ったのが聞こえなかったのかな? それとも、安っぽい死にたがりか?」
「忘れるなら、最後に教えてくれても良いでしょう」
「……ふむ。可愛いことを言うね」
食い下がる少女に、アイサは「よかろう、特別だ」と満足げに頷いた。
少女にとっては拍子抜けだった。死にたくなければ忘れろと脅しておいて、こんなに簡単に教えてくれるだなんて思っていなかった。
食えない美人である。
「君、想像は好きかい?」
「……想像?」
少女は首を捻る。
空想や妄想のことだろうか。あまりしないが、好きか嫌いかと言われれば、そんなに嫌いでもない気がする。
「空想とか妄想では無く、純粋な想像だ。リンゴと言われて赤い果物を思い浮かべる様な、そういう思考の作業。どうかな?」
「……それは、酸素が好きか、みたいな話ですか」
「あはは! 良いね! あんな愚かなことをした割りに、頭が悪いわけじゃなさそうだ」
アイサは嬉しそうに手を叩いた。
「人間は、想像力の強い生き物だ。言葉を獲得し、様々な事を伝え合い、詳細に思い描きながら脳味噌を発展させてきた生き物だ。生きている限り、“想像”を辞めることはできない。ここまでは大丈夫かな?」
「……ええ、まあ」
「よろしい。脳味噌が発達しきった人類は、明確なイメージ、つまり“想像”によって様々なことを他者と共有している。感情、思想、願望、怨恨……それらを共有し、共感し、ミームが完成する」
煙に巻く様な喋り方だ、と少女は思った。それと化け物がどうつながるのか、さっぱり分からない。
「分からないかい? 簡単な話だよ」
少女の心を読んだ様に、アイサは続ける。
「我々が呼ぶ“カイイ”とは、人間の想像力から生まれた化け物のことだ。ミームに忠実な『異形』の『傀儡』――――それが、傀異。
一番分かりやすいのは都市伝説かな。人々の噂を纏って大きくなったミームが、肉を得て本当に人々を害し始める。そういうもの全てを傀異と呼ぶのさ」
ざっくりいえば、ね。
そう締めくくったアイサは、付け足す様に言った。
「まあ、この世の科学的で無い不思議な現象は、全てがこの傀異によるものなのさ。全ては、そうあれかしと願われた妖怪の仕業……なぁんて、ね」
茶化す様に笑って、アイサは少女を見つめ返した。
「他に質問は?」
「……そんなにありふれた傀異が、なぜ世間から隠されているのか、訊いても?」
「うん、良い質問だ。
これも簡単なことだがね、社会にとって傀異は『認められない異物』なんだよ。
人間の思考には、必ず想像が伴う。傀異は、その生命活動の廃棄物みたいなものだ。人間が知能を捨てない限り、無くなることはない。
そんな残骸に心を脅かされながら生きるのは、人類にとって耐えがたい苦痛だ。そんな苦痛は、できるなら、見えない場所でこっそり処理したいのさ――――さて、時間だ」
アイサは立ち上がり、少女に茶封筒を握らせた。ばちん、とアイサが指を鳴らすと同時に、白と佳澄が廃ビルから出てくる。
「終わりました~! やっと帰れますね!」
佳澄は伸びをして、白は欠伸をしながら頷いた。
「表向き、君達は廃ビルの崩落事故に巻き込まれた可哀想な被害者だ。残っていた薬品で集団幻覚も見ていたらしい。
さっきの話はさっぱり忘れて、せいぜい“死なない様に”生きるがいいさ」
アイサは自動車のキーを人差し指でくるくる回し、すたすたと歩き出した。白と佳澄もそれに続く。
――――さっぱり忘れて、死なない様に。
出来るはずが無かった。
「あの!」
思わず口を突いて出た。
三人が一斉に振り向く。
「ありがとうございました!
私、忘れません! 忘れないけど――――絶対に、死にません」
少女には、妙な確信があった。
私は、死なない。生きて再び、彼らと出会う。
「ふむ、お嬢さん――――否。
鹿島彩。
私もお前を、覚えておこう」
アイサは怪しげに微笑み、再び少女、もとい彩に背を向けた。
「……良いのか、アレ」
白のぼやきに、アイサは笑ったまま応えない。白はその表情を見て「ウワ」と嫌な顔をした。
白は知っている。
面白がっているときのアイサが、どんなに邪悪に笑うのか。
「でも、なんかちょっと嬉しいですね! あんなに元気にお礼を言ってくれて、その上、ご恩は忘れません! なんて」
良い様に曲解して嬉しそうにふわふわ笑う佳澄に、白は深く溜息を吐いた。
「どうすりゃそう解釈できるんだよ……」
「なに、白君は嬉しくないの? 照れ屋さんなんだから~」
「アンタの頭はお花畑で良いなって意味だよ」
「ちょっと! どういう意味!?」
「そのまんまだよ! もう黙ってれば?」
「そんな言い方ないじゃない! ほんと可愛くない!」
「可愛くなくて結構だ! お前はさぞ可愛いって言われるんだろ、この『天然』!」
「え、何? 褒めてる?」
「これで褒められてると思えるところ、本当にお花畑でいいと思うぞ」
「もー! なんでそう突っかかるの!? 大体白君はねぇ……」
子供じみた口論は激化し、二人の歩みが止まる。アイサはそんな二人を尻目に愛車へ乗り込み、
にっこりと笑ってアクセルを踏んだ。
「あっ! ちょっとアイサさん!」
「……くそ、やられた」
二人が気付いたときには、アイサの車は夜の闇に消えていた。
「おいてかれちゃったね」
「誰のせいだと……いや、もういいや」
「疲れたね……」
「だな……」
二人揃ってぐったりとその場にしゃがみ込む。
徒歩で帰るには、二人の勤め先はあまりに遠かった。
「あの……」
彩は、恐る恐る二人に声を掛ける。
「これ、アイサさんがくれたんです。良かったら、一緒に乗っていきます、か?」
控えめな態度で、「タクシー代」と書かれた茶封筒が差し出される。
白と佳澄の表情がぱぁっと明るんだのを見て、彩は苦笑を溢した。
◆ ◆ ◆
最悪な肝試しを終えた少女は、タクシーの後部座席に座り、遠ざかっていく廃ビルを眺める。月明かりに照らされて不気味にそびえる廃屋は、人間の悪しき想像を掻き立てる、“心霊スポット”。
恐ろしくも神秘的なその場所を、少女は見えなくなるまで見送った。
その日の恐怖と冒険を、心に刻みつける様に。
これで、第1話終了です!
ここから、物語が始まる、と思うと気が引き締まります。
どうぞ末永くよろしくお願いします_(._.)_