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エボルブルスの瞳―特殊事案対策課特命係傀異譚―  作者: 揺井かごめ くろ飛行機
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うねり ②襲撃

7月31日 14:10 荘園寺邸


「おい、坊主、しっかりしろ!」


 荘園寺(しょうえんじ)昭久(あきひさ)は、突然倒れ伏した(しらず)に駆け寄った。声を掛けながら軽く頬を叩くが反応は無い。手早く脈や呼吸を確認する。


「……寝とる、のか?」


 呼吸は深く、脈は遅い。表情から力が抜けている。安堵の溜息を漏らしかけた昭久は、視界に入った飲みかけの麦茶にはっとする。


「タクヤ」


 昭久の呼び掛けに答える声は無い。


「出てきなさい、タクヤ!」


 ――――ちりん。

 声を張って立ち上がり掛けた昭久の耳に、鈴の音が聞こえた。昭久は動きを止め、部屋の中を目だけで哨戒した。部屋の窓がいつの間にか開いている。頬に風が当た……あ、た……。


3、2、1で夢見る骸(ヒュプノシス・セット)


 いつの間にか、昭久の眼前には、白い糸で吊られた50円玉がぶら下がっていた。一定間隔で往復する簡素な振り子は、本人すら気付かぬうちに昭久の目を奪い、思考を混濁させる。


「起動」


 その言葉と共に、昭久の身体は糸の切れた操り人形のように脱力した。倒れた先にあった座卓の角に、その頭が打ち付けられる。畳の上に、ゆっくりと血溜まりが広がっていく。


「どうしたの!?」


 大きな音を聞きつけて部屋に入ってきたタクヤが、祖父の惨状を見つけて悲鳴を上げる。


「じいちゃっ……!」

「こら、静かにしなさい」


 タクヤの口を、背後から白手袋が塞いだ。


「誰も来ないとは思いますが、万一にでも人が来たら面倒です」

「……っ」


 タクヤは小さく震えながら頷く。解放されたタクヤは、振り向いて声の主を睨み付けた。


「コバヤシさん、どういうことですか」


 そこに立っていたのは、スーツを身にまとった痩身の男だった。スーツの胸ポケットにはトリカブトを象ったエンブレムが入っている。緩く結われた黒い長髪の穂先が腰まで細く伸びており、窓の風にたなびいていた。顔の左半分を包むように垂らされた前髪の中、一つだけ覗く右目がタクヤを一瞥する。泥のように淀んだ黒い瞳に射すくめられ、タクヤは身体を硬直させる。


「大丈夫ですよ、タクヤ君。君のお爺さんは死んでいません」


 広がっていく血だまりを無感情に見下ろしながら、コバヤシは、自分の足に血が付かないよう後ずさった。


「僕の想術は催眠です。数時間は起きません。君のお爺さんが寝ている間に、事を済ませてしまう算段です」


 そう言ってコバヤシは、懐からナイフを取り出した。


「ことを済ませる、って……?」

「殺すんですよ、このガキを」


 コバヤシはぼそりと吐き捨て、倒れた白の服へ緩慢に手を掛けた。タクヤが小さく息を吞む。

 コバヤシは舌打ちをし、わざとらしく溜息を吐いてから、面倒くさそうにタクヤを見遣った。


「ショックが大きいでしょうから、君は部屋の外へ出ていなさい。終わったら呼びますから、救急車でも何でも呼ぶと良いでしょう。早くしないと、本当に君のお爺さんが助からなくなりますよ(・・・・・・・・・・)?」


 タクヤは震えながら頷き、部屋を出て行った。その姿を見送ったコバヤシは、白の眠りの深さを確認しようと向きなおる。呼吸の速さを確認し、心拍数を計ろうとしたところで、その手が止まった。


「……ああ、こりゃ駄目だな。やっぱり向いてねぇわ、ガキの相手は」


 コバヤシは、白から手を放し、立ち上がって再びわざとらしい溜息を吐いた。

 包丁を持って背後に忍び寄っていたタクヤに聞かせるために。


「あ、ああぁああああああっ!」

「無駄ですよ」


 包丁を突き出す手を振り向きざまに押さえ、軽く捻る。骨の折れる鈍い音がして、タクヤは包丁を取り落とした。


「ぎゃっ、ぐ、ぁ……っ」

「痛いでしょう。ですが、それを刺されたらこっちがもっと痛いんでね。まあ、もちろん、君みたいな殺しも未経験のガキに人が刺せるとは思っていませんよ。大人しく引っ込んでいれば良かったのに」


 タクヤは痛みに呻き、その場にうずくまる。コバヤシはその頭を大きな手で鷲掴み、自分と目が合う高さまで持ち上げた。


「おや、いい表情(カオ)


 涙と恐怖に塗れたタクヤの顔を見て、コバヤシは貼り付けたような笑みを浮かべた。


「この町のことは君から色々教えて貰いましたし、僕は感謝していたんですけどねぇ。僕は君のこと、嫌いじゃ無かったんですけどねぇ。君はそうじゃなかったんですねぇ。僕のこと、殺そうとしましたもんねぇ。じゃあ、」


 仮面のような表情が消え去る。コバヤシは額に青筋を浮かべ、地を這うような声で吐き捨てた。


「殺されても文句言えねぇな? クソガキ」


 コバヤシは、右手に持ったナイフを大きく振りかぶる。鈍く光るナイフは、真っ直ぐにタクヤの首を狙い――――そのまま、空を切った。


「あ゛?」


 コバヤシの視界が反転する、自分が脚を払われて体勢を崩したのだと気付いた頃には、コバヤシの手の中にタクヤはいなかった。

 後ろに倒れたコバヤシは、受け身を取る暇も無くうつ伏せに拘束された。


「タクヤが時間稼ぎしてくれなかったらヤバかった。呼吸はごまかせても、脈はごまかせないから」


 上体にのしかかられて身動きを取れないコバヤシの耳に、透き通った少年の声が降ってくる。


「クソ、白髪のガキか!」

「銀髪って言えよ。ジジイみたいじゃんか」

「ジジイみたいなもんだろ!」


 白の拘束に力が籠もり、コバヤシが呻いて黙る。

 しかし、コバヤシが黙った理由は、押さえつけられている所為では無かった。自らの背中で、自分を押さえつけている少年が如何に異常かを感じ取った為だ。

 少年の全身を覆う肉体強化の想術。そこに使われている傀朧は、密度も量も一般の想術師のそれを遙かに凌駕している。


(ジジイじゃなけりゃバケモンだ、どっちにせよ只のガキじゃねえ)


「大人しくしてて貰うよ。取り敢えず、洗いざらい話して――――」

「タクヤ!」


 白の言葉を遮り、コバヤシが声を張った。


「そこの麦茶このクソガキにぶっかけろ! しねえと、テメエの爺さんがどうなっても知らねえぞ!」


 白は思わず顔を上げ、タクヤと昭久を確認した。怯えきって震えているタクヤは、祖父の作った血だまりの中で、手首を庇って座り込んでいる。動けそうには見えない。

 その一瞬の緩みを、コバヤシは見逃さなかった。

 密かに窓に結んであった紐に、傀朧を巡らせる。リールのように紐を巻き取って白の拘束を抜けたコバヤシは、そのまま窓から脱走した。


「っチッ……!」


 白は、座卓の下に置いておいたスマホに向けて叫んだ。


「こちら銀滝! 敵らしき男・コバヤシが逃走! 黒スーツにロングヘアのヒョロガリだ! 左目を隠してる! 追跡は――――」


 白は再びタクヤに視線を投げ、すぐに続きを口にした。


「アイサに任せる! あと、現地に救急車を要請! 以上!」


 報告を終えると、白はポケットからハンカチを取り出し、倒れている昭久の頭に当てた。戦闘員の白には、他人の怪我を治すような技術は無い。しかし、圧迫して出血を止める程度の想術であればどうにか使えた。

 出血が止まったことを確認すると、今度はタクヤに駆け寄る。タクヤはびくりと肩を跳ねさせ、細い声で「ご、めんなさい、ごめんなさい、ごめんなさっ……」とたどたどしく呟いた。目からは涙が溢れ、呼吸は荒い。完全に動転している。


 白はかがんで、一瞬ためらう。こういう時の対処法は、佳澄と現場に出る中で何度も目にして知っていた。しかし、白自身が“それ”をしたことは一度も無い。


(ああもう! どうにでもなれ!)


 白は、止めた手を思い切りタクヤに回し、しっかりと抱きしめた。タクヤは呟くのを止め、驚きに目を見開く。


「落ち着いて。もう敵は出て行った。これ以上の危険は、無くなった」


 背中をさすり、ゆっくりと、なるべく安心する声で。


「誰も、お前を怒らない。痛いことは、しない。大丈夫だ」


 他に何を言えば良いか、白は必死に探す。いつの間にか、白は過去の自分とタクヤを重ねていた。

 ――――あの日、自分が一番後悔したことを思い出す。

 ――――あの時、自分が一番言って欲しかったことを思い出す。


「大丈夫――――お前のせいじゃ、ない」


 それが嘘だと知っていながら、白は、そう口にした。



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