揺らぎ ②小さな依頼者
7月30日
『山形県××市で起こっている連続失踪事件についての続報です。先日行方不明になった“田口翔”君10歳を合わせ、行方不明者の数は16名になっており……』
ぷつん。
小さなテレビの画面が暗転する。アイサは、机の上にリモコンを置いた。
特命係の事務所。ソファに腰掛けてアイサと対峙しているのは、眼鏡をかけた小学生────今回の依頼人、荘園寺拓也だ。
「なるほど。つまり君は、ショウ君がくねくねになってしまったと、そう言うんだね?」
「……はい」
沈痛な顔で俯くタクヤの前に、佳澄がオレンジジュースを置く。
「どうぞ。おいしいよ?」
隣に座り、励ますように微笑む佳澄を見て、少年の表情がわずかに緩んだ。小さく頭を下げて、オレンジジュースに口をつける。
「優貴。この事件は全国的に注目度が上がっているね? 山形県警との連携はどうなっている?」
パソコンを弄っていた係長は、手を止めずに答えた。
「想術師協会には、依頼は回ってきてないみたいですよ。
普通に捜査本部が設置され、普通に他府県に応援を要請して、普通に500人態勢で行方不明者を捜索しています」
それを聞いたアイサは、軽く頷いた。
「なるほど。では、早急に捜査を止めさせるよう、長官に掛け合ってくれ。
これは、特命係の事件だ」
「了解。そう来ると思いましたよ……」
アイサの言葉を受け、馬崎はやれやれと溜息をついた。パソコンを閉じ、公用携帯を手に取って、「少し出ます」と事務所から出て行く。
「……そんなことできるんですか?」
佳澄は戸惑いを隠せず、思わずアイサに問うた。
馬崎からの情報でわかるように、この事件の規模は非常に大きい。そんな捜査を、たかが末端部署の職員の一言で、簡単に左右できるものなのだろうか。
「傀異絡みの事件を解決できる部署は、警察内部ではウチだけだ。想術師協会に話が行く前なら、分はこちらにある」
「……カイイ、ですか?」
タクヤは不安そうにアイサに質問をする。
「ああ、カイイ……つまりはオバケだ。この事件は、オバケのせいで起きている」
「信じてくれるんですか!?」
少年は目を丸くする。
「もちろんだ。我々は、君の話を信じよう。
そもそも、16人も居なくなって一人も帰ってこないなんて、元々おかしかったのさ。
日本の警察が一斉に使えなくなったか、傀異の仕業か、と問われたら、傀異の方が圧倒的に現実的だ」
話が難しくなって、タクヤの頭上に疑問符が飛ぶ。アイサは構わず、事件について話をすすめる。
「この事件の犯人は『くねくね』という名の傀異だ、と仮定しよう。
『くねくね』は古い傀異ではない。最近になって生まれた、いわゆるネットロアや都市伝説と呼ばれるものだ」
アイサはタクヤの横に座った佳澄を見つめる。
「勉強熱心な佳澄に、日頃の成果を見せて貰おうか。
説明したまえ。
くねくねのように、明確化された恐怖の像が形となって発生する強力な傀異のことを、何という?」
佳澄は、突然の名指しに思わず大きく返事をした。
「はいっ!?」
ええと、と視線をうろつかせる佳澄と、声に驚いたタクヤの目が合う。
小学生に格好悪い所は見せられない。
佳澄は背筋を正し、咳払いしてからスラスラと答えた。
「特定危険傀異と呼ばれます。人が抱く恐怖像そのものや、際限なく傀朧が蓄積されてしまう概念が形になった傀異です。
簡単に言えば、オバケとか、神様とか、そういうものです。
特定危険傀異を生み出す概念のことを特定危険概念と言い、想術師協会の『特定危険概念管理委員会』の管理対象になっています」
アイサは頷く。
「完璧だ。よく覚えたね」
「えへへ……それほどでも……」
普段あまり聞かない柔らかな声に、佳澄は照れながら頬に両手をあてた。
「では、先輩にも抜き打ちテストをしてみようか」
アイサが指をパチンと鳴らす。
同時に、デスクの奥でゲームをしていた白が勢い良く顔を上げた。
「うわっ!? は、えっ!?」
「えっ、なになに、どうしたの白君!?」
慌てて周囲を見渡す白。その様子につられて慌てている佳澄に、アイサはそっと耳打ちする。
「ちょっとイタズラしたのさ。いつもの傀朧遊びだよ」
そう言ってウインクしたアイサは、白に向き直って声を張る。
「白、問題だ。特定危険概念くねくねの管理レベルは?」
「は……?」
管理レベル。
特定危険概念には、伝承レベルと危険レベルを組み合わせた『管理レベル』が割り当てられる。
伝承レベルでは、ローマ数字のⅠからⅤを用いて、『どれだけ知られているか』を表す。これが、傀異の持つ傀朧の量に直結する。
危険レベルでは、アルファベットのaからeを用いて、人間社会にとってどれだけ有害であるかを表す。
つまりは、言葉通り『どれだけ危険か』、だ。
「……くねくね? 初めて聞いたんだけど。そんなマイナーな傀異の管理レベルなんて、覚えてるわけねーじゃん」
寝起きの頭を最大限に回し、どうにか質問の意図を汲み取った白は、仏頂面で投げやりに答えた。
「佳澄、わかるね?」
「はい。くねくねの管理レベルは……ええと、確か、伝承レベルⅡ、危険レベルbで、Ⅱbだったかな……?」
「100点満点だ、佳澄。白、君の後輩は非常に優秀だね?」
「えへへ……」
両手を桃色の頬に当てて照れる佳澄と、あてつけるようなアイサの物言いに、白はぎりりと奥歯を噛む。
(おれだって、大体の傀異は覚えてるし……!)
「くねくねは比較的新しい概念だが、似たような――――いわゆる『見たら失う』神や物の怪の伝承は、割と古くからあるんだ」
アイサは、ホワイトボードに整った字をつづり、それを読み上げる。
「くねくねのモデルとして語られることが多いのは、東北の『タンモノ様』や、福島の『あんちょ』。他にもシシカブリや、蛇神の一種なんて話もある。
どれも、『見るな』『近付くな』と言い伝えられている。見るだけで憑かれたり、失明や白痴といったペナルティがあるね」
「はくち……?」
「ボケちゃう、ってことだよ。あんまり良い言葉じゃないから、タクヤくんは覚えなくて大丈夫」
疑問符を飛ばしているタクヤに、佳澄が説明する。
「もうっ、アイサさん! 小さい子もいるんですよ。マイナーな言葉使わないで下さい!」
「ふふ、佳澄。優しいのは結構だが、二つ誤りがある。わかるかい?」
「えっ……二つの誤り、ですか?」
今度は佳澄が疑問符を飛ばして頭を捻っている。
「一つは、『小さい子』の定義でしょうね。
アイサさん、長官からゴーサインが出ました。自由にやっていいそうです」
電話を終えて戻ってきた馬崎が、会話に割り込んできた。
「小学五年生の男の子を『小さい子』とは呼ばないんですよ、アイサさんは。この人、案外子供にスパルタなので」
「正解だ、優貴」
「伊達に特命係の係長やってないんですよ、私も。もう一つは、多分――――」
「『難しい言葉に触れる機会』を奪うのは優しさじゃない、ってことじゃない」
馬崎の言葉を、白が引き取る。
「係長も言ったけど、アイサはスパルタなんだよ。子供にも大人にも、男にも女にも。鍛えなきゃ強くならないなら鍛える機会は沢山あるべき、みたいな脳筋――――」
「白?」
「――――パワー型の考え方してるんだ、アイサは」
「及第点だが、まあいいだろう」
アイサは頷き、ホワイトボードに大きく「任務 くねくね討伐」と書き込んだ。
「さあ少年、読んでみなさい」
急に振られたタクヤは、戸惑いながらも口を開く。
「えっと、にん、む、くねくね……」
「とうばつ、と読む。やっつける、という意味だ」
「……とうばつ」
「Good。これで一つ覚えたね」
アイサはタクヤに微笑みかけ、挑戦的な笑顔で特命係メンバーを見渡した。
「相手も分かった、上の許可も下りた。
するべき事は明確だ――――さあ諸君、仕事と行こう」
その言葉を受け、馬崎と佳澄が頷く。
白は一人、俯いて考え込む。
(近代の傀異、『くねくね』か――――)
ネットロア、と呼ばれる概念の傀異が対象の任務は、白にとっては初めてだ。
(……だからか?)
白は、ゲームをしながら聞いていたタクヤの話をもう一度脳内で辿る。
小学生の失踪。ネットロア。豪雨。知らない間に広まっていた噂。おかしくなった友人。
原因は分からない。しかし、強烈な違和感が、白の中でわだかまっていた。