田共高校の幽霊生徒 ⑩
田共高校の幽霊生徒、エピローグになります!
翌日、彩は普通に登校した。
あんなことがあった後で、と我ながら呆れるが、負傷も倦怠感も無い。休む理由が無かった。
「あいつ、結局1日しか来なかったね」
空の席を見て不満そうに言う樹里は、普段通り元気そうだった。
「てか、聞いてよ。今朝来たら、ボラ部のゲージ空だったんだわ。うさぎ逃げたっぽいんだよね」
「ふうん? なあ、それよりさ……」
樹里の素っ気ない報告は、剛の気のない返事で流された。彩の周囲に、日常の会話が戻ってくる。
ボランティア部のうさぎは、脱走した、ということになっていた。それ以上でもそれ以下でもなく、生徒達の関心の外側へ投げ出された。
あんなに熱心に世話をしていた樹里でさえ、完全に興味を失っていた。まるで、最初からうさぎなど居なかったかのように。
放課後、彩は部活を休み、特命係の事務所を訪れた。
昨日の不思議な力が残っているのだろうか。彩の目には、掠れていたはずの看板の文字がくっきりと映った。
『特殊事案対策課 田共事務所』。
階段を登る足取りが逸る。
「……こんにちは」
「ああ、鹿島さんですね。昨日はどうも」
相変わらず汚い事務所の奥で、眼鏡をかけたスーツ姿の男性が立ち上がった。
「どうも……あの、白君は」
「居るよ」
男性の隣、資料の山から、白がにょきりと顔を出す。その頭をくしゃっと撫でながら下へ押し込み、男性は彩へ笑顔を向けた。
「わ、ちょ、なんだよ」
「白を心配してくれたんですね、ありがとうございます。
はじめまして、係長の馬崎です。そこに掛けて、すぐにお茶でも……」
「おれの客だよ、係長。ちょっかいかけてないで仕事して」
押し込められたボサボサ頭を再び覗かせ、白が抗議の声を上げた。
「それはこちらの台詞です。貴方は報告書があるでしょう、白君」
馬崎がぴしゃりと言う。白は資料の山の向こうへ姿を消し、それきり沈黙した。
「ほら、座って。何を飲みますか? 大抵の飲み物は出せますよ、お酒以外ならね」
ピーキーな冗談と共にサラリとウインクが飛んでくる。彩は、戸惑いつつも「玄米茶で」と返してソファへ座った。
「渋いチョイスですね」
「前もいただいて、美味しかったので」
「そうですか」
少しの間、沈黙が流れる。秒針の音、ポットの湯が沸く音、白が叩くキーボード音。小さな音が、やけに大きく聞こえる。
暫くして奥の流しから、お湯を注ぐ音と馬崎の声が、ゆったりと彩の耳に届いた。
「今日は、どういったご用件で?」
「白君のお見舞いと、それから……」
彩は少し考えてから、恐る恐る言った。
「……結局、あれらは何だったのか、聞きに来ました」
「聞いて、どうしますか」
「関わった者として、知る権利はあるんじゃないでしょうか」
「そういうことを訊いているんじゃありませんよ。分かっているでしょう」
彩の前に、マグカップがコトリと置かれる。向かいの席にも、恐竜柄の可愛らしいマグカップが置かれた。
「貴方は、一体、どうなりたいんですか?」
問いかけながら、馬崎は彩の正面に腰を下ろした。
「サザナミ製薬本社跡地での肝試しと、田共高校での一件。貴方は二回も、傀異と関わっていますね。一回目は偶然だった。でも、今回は違うでしょう? 鹿島さんが望んで、決めて、白君に同行した」
「……はい」
馬崎の目は、眼鏡越しに、しっかりと彩を捉えている。彩も、目をそらさずに頷く。
「もう一度質問しましょう。貴方の目的はなんですか。貴方は、どうなりたいですか」
「私は……」
慌ただしかった昨日の記憶が、彩の脳裏を駆け巡る。
(最初は、傀異についてもっと知りたかった。好奇心だけだった。でも――――)
学校で気まずそうに外を眺める姿。心配になるほどの天然行動。夜の学校で見た、頼もしく、寂しそうな背中。
(今は、それだけじゃない)
彩が真っ先に思い浮かべたのは、白の事だった。
「――――私は、白君の、友達になりたい」
彩は、自分の中で確認するように、力強く言い切った。
「白君、多分友達いないでしょう? 一人くらい、なんでも相談できるような、愚痴がこぼせるような、そんな友達がいても良いんじゃ無いかと思うんです。だったら、それは私がいい。
もちろん、傀異のことは個人的に興味があります。せっかくだから色々知りたいです。それと同じくらい、私は、白君のことを知りたいって思うんです。これじゃ、理由になりませんか」
馬崎の真剣な表情が、ふっと緩む。
「正直ですね。そして中々、鋭いところがあります。アイサさんの見る目には敵いませんね」
思い出したようにくすりと笑って、馬崎は続けた。
「そうです、白には友達がいないんです。是非、仲良くしてやってください」
「勝手に決めんなよ、ユーキ」
「あいたっ」
いつの間にか馬崎の背後に立っていた白が、馬崎の頭を軽くノックした。
「報告書上がったから来てみれば、勝手なことばっか言うじゃん。そんなんでいいのかよ、仮にも特命係の係長がさ」
喋りながらも、馬崎をノックする手は止まらない。こつん、こつん、と等間隔で叩かれつつ、馬崎は苦笑した。
「じゃあ、後は白に任せよう。私はこれで」
「うん、仕事しろユーキ」
「はいはい。このココア、白の分ですからね」
「ん」
馬崎は、手を付けていなかった恐竜のマグカップを指差した。白は追い払うように手を振る。
「……これ選んだの、おれじゃないからな。あの妖怪が選んだんだ。あいつが選ぶと、こーゆーのばっか」
白は、ふてくされたようにココアをあおった。幼い表情も相俟って、そのマグカップは白に似合って見えた。
「姫野樹里、ちゃんと学校来た?」
「うん。元気そうだった」
「そ。ならいい」
マグカップを置き、白はテーブルに頬杖をついた。
「で、何が訊きたい? 係長のお許しも出てるみたいだし、おれ今時間外だし、大抵のことは答えられるけど」
「じゃあ、喋れること全部教えて」
「丸投げかよ。めんどくさいな……」
白は頭をがしがしと搔いてから、訥々と喋り始めた。
◆ ◆ ◆
あれは、『獏』の傀異だった。
獏って分かる? 夢を喰う、って言われてるヤツ。正確には悪夢を喰う、中国の幻獣。本当はたてがみとか鱗とかがあるケモノなんだけど、日本でバクっつったら、白と黒の動物の方がメジャーだろ。
だから、あいつは白黒のうさぎに擬態してた。日本の学校に潜り込むのに、マレーバクの格好じゃ無理があったんだろうね。
あいつ、獏の傀異は、まだ幼体だった。ギリギリ、校舎内を這い回るのが精一杯。枕元に立って夢を喰う、とかは出来なかったんだ。
だから、学校の勉強机を、触媒にしてた。学校の机って、一日で七時間くらいは座ってるらしいね。人間の睡眠時間も大体そんなもんでしょ。
それに元々、人が長く触れる物には、その人の持ってる傀朧が残りやすいんだってさ。
だから夜になったら、机と夢を繋いで、喰ってた。
普通に悪夢を喰うんだったら、別に害とかなさそうでしょ。実際、そういう獏の傀異もいるらしいよ。
でも、あいつは違った。あいつの喰ってた夢は、『将来の夢』だったんだ。
おれには良く分かんないけど、受験生って、ちょっと先の未来が不安で不安で仕方ないんだってね。あいつは、『不安』でコーティングされた『将来の夢』を、悪夢として喰ってたんだよ。『将来の夢』ってのは未来への期待の塊だから、喰われたら廃人みたいになっちゃうらしい。それで、学校にも来られなくなってたんだってさ。
でも、ちゃんと治療すれば治る。傀朧医っていう、傀朧系の不調を治してくれる医者がいるんだ。今、被害者のところを回ってケアしてるらしいよ。あんたの友達の友達も、そのうち良くなると思う。
ああ、おれか。なんか、助けてもらったっぽいね。
……悪かったよ。あと、その、まあ……ありがと。
傀異には普通に勝ったんだよ。でも、ちょっと力を使いすぎた。ガス欠。たまにあるんだ。
いつもなら、周りの傀朧を取り込んで自然回復するんだけどさ。あの時は、毒霧みたいなのが充満してたらしい。傀異が喰った悪夢の概念が爆発したせい、なんだって。
その毒霧を思いっきり取り込んじゃったから、逆に身体が弱ったんだ。毒状態って感じ。
普通の想術師なら、ちゃんと傀朧医に見て貰わないと駄目なんだけどね。おれは、ちょっと体質が特殊なんだ。帰って寝て起きたら、もう平気だったよ。
あ? しつこいな、平気だよ。報告書まとめろって言われるくらいには、平気。悪かったね、見舞い甲斐がなくってさ。
◆ ◆ ◆
「……これで大体、喋ったと思うけど」
白はぐったりとソファに凭れ、疲れた、と全身で主張する。
「あれは? 甲斐さんがくれた、ガラス玉のペンダント」
「まだあんの……? おれに訊かれても、それは知らねーよ……」
質問を重ねる彩に、辟易した声が答える。
「なら、その先は私が話そうか!」
事務室の玄関が前触れ無く開いた。
入ってきたのは、水戸角アイサだ。もはや驚くまい。彩の心は平静だった。
「いつもタイミングが良いんですね、アイサさん」
「ご挨拶だな、鹿島彩。久々の再会だ、もっと喜んでくれたまえよ」
「声を聞くのは昨日振りです。その節はお世話になりました」
「……白、この娘、なんだか随分すれてきていないか?」
「あんたがちょっかいかけまくるから、慣れたんだろ」
「そうか、自業自得だったか」
はっはっは、と豪快に笑い、アイサは白の隣にどかりと座った。
「で、だ。君が言った『ガラス玉のペンダント』。あれは、傀朧を備蓄するタンクのような道具だったのさ。君、白に目を弄られただろう?」
彩が頷く。白は得意げに鼻を鳴らした。それを確認したアイサは、満面の笑みでとんでもないことを言った。
「あの時、本当なら、君の眼球は破裂していたのさ」
「えっ」
「はぁ!?」
大声を上げて立ち上がったのは、彩ではなく白だった。
「なんで!? あんた、おれに使用許可出したじゃん!」
「出したよ? だから現に、彼女の目は無事じゃないか」
「だろ? おれがコントロールに成功したからだよな?」
「いや、それは違う」
「意味わかんねー!」
頭をかきむしる白を見て、アイサは面白そうにけらけら笑っている。
「あの、楽しそうなところ申し訳ないんですけど」
彩は控えめに手を挙げた。
「私が一番意味わかんないので説明していただいていいですか」
「ああ、良いだろう。
白は、君の眼球の中に高濃度の傀朧を注ぎ込んで、傀朧痕や傀異が見えるようにしたんだ。これが中々の高等技術でね。白も、練習のために、何個の目玉を破裂させてきたか……」
「人聞き悪いな! 破裂させてたのはピンポン球だよ!」
「でも破裂はさせてたんだ……」
「最近はさせてない!」
白はムキになって主張する。彩は、だんだん気の毒になってきた。
「なら、どうして」
「簡単な話さ。人間の眼球は、ピンポン球より少しだけ小さい」
「なっ……!」
白が絶句する。
「だから、これからは特注のピンポン球で練習することになる。うさぎの目玉でも良いよ? あれは大体、人間のそれと同じくらいの大きさだからね。どちらにせよ、今の白なら容易いだろう。すぐ慣れるさ」
「……なん、なんで……」
頭を抱え、二の句が継げなくなっている白を見かねて、彩は代わりに問うた。
「なんで最初から、特注のピンポン球を使わなかったんですか?」
「今回の為さ。保険だよ」
アイサは、ポケットからガラス玉のペンダントを取り出す。
「このガラス玉は、身体から溢れた傀朧を、短時間、完全保存できるんだ。鮮度100%の傀朧があれば、白がガス欠を起こした時、応急処置くらいはできる」
アイサの手で、再び、彩の首にペンダントが掛けられた。
「記念品だ。プレゼントしよう。これから、白が無茶をしそうになったら、上手く使ってくれたまえ」
ぱちん、とウインクする。彩は、先程の馬崎のウインクを思い出して苦笑いした。
(気障な人ばっかりだな、特命係……)
「そういえば、銀滝隊員。傀異の退治は見事だったが、肝心の『田共高校の幽霊生徒』についてはどうなった?」
頭を抱えていた白が、顔を上げてアイサをキッと睨み付ける。
「それはとっくに解決してるだろ。住吉理子から聞いたよ。1年2組の、永遠に埋まらない空席――――『田共高校の幽霊生徒』。おれの事が、尾ひれはひれついて広まった、つまんねー噂。これが正体だ。」
「Kill it! 捜査の腕も学校で上がったわけだ。ますますメリットしか無いじゃないか。これからもきちんと行くんだぞ?」
「……ただの伝聞だ、褒められたもんじゃないだろ」
「こういうのは結果が全てなのさ。もっとも、今回は過程もそんなに悪くない」
アイサは白の頭を軽くぽんぽんと撫でてから、彩に向けて微笑んだ。
「鹿島彩。これから、白をよろしく頼むよ。友達として、ね」
◆ ◆ ◆
翌日。
彩の通学路に、白の姿があった。
「今日から一緒に登校するから。
友達ってそういうもんなんでしょ――――彩」
田共高校の幽霊生徒、これにて幕となります。長かった……!
今回で、暫く休載に入ります。数ヶ月後にお会いしましょう。
来週からは、原作:くろ飛行機がお送りする“外伝”の連載が始まります。乞うご期待!
再放送になりますが、今回使わせていただいた傀異は、亜未田久志さん(Twitter→https://twitter.com/amida_kuji_001)のアイデアを原案としています。ありがとうございました。