田共高校の幽霊生徒 ⑨
「白くっ……!」
彩の叫びは、窓から吹き付ける爆風にかき消された。大破した窓から慌てて顔を出すが、白の姿も傀異の姿も、既に視野から消えていた。
「……っ」
彩は唇を噛み、振り向いて樹里の机へ駆け寄った。樹里のおぼろげな身体は、頭から机に突っ込んでいる。上半身は既に机へ飲み込まれ、今もゆっくりと机へ沈んでいっていた。
(白君は、『ちゃんと帰るまで』って言ってた)
樹里は今、『帰って』いる最中なのだろう。樹里の身体が沈む速度は、非常に遅い。
(かばいながら戦うのは、きっと難しかったんだ。だから、外に出た)
彩は、樹里の背に手を伸ばした。掌に冷気が押し付けられる。曖昧だが、確かに彩の手を押し返すような感触があった。不思議な力のない彩でも、この半透明な体に触れることはできるらしい。もしくは、白が彩になにか施したのだろうか。あるいは、甲斐さんがくれたガラス玉のおかげだろうか。
(……かばわれなきゃいけなかったのは、私も同じだ)
無意識に噛みしめていた唇から、血の味がする。
(――――私は、何のためにここに来た?)
役に立つためじゃ、ないのか。
「ごめん、樹里っ!」
彩は、樹里の透き通った足をまとめ、両腕で抱え上げた。スカートがめくれないように押さえつけながら、机へ押し込むように力を込める。樹里の体は、力を込めた分だけ、みるみるうちに沈んでいく。ついには、靴の先まで完全に沈み切った。かすかに光りながら波打っていた机の天板が沈黙する。
「白君……!」
彩は教室を飛び出し、階段を駆け下りた。どこからか、鈍く大きな破壊音が聞こえ続けている。白が戦っているのだ。
うさぎのゲージを回収しろと言われたが、後回しだ。白を一人で戦わせて自分だけ安全な場所から見ているなんて、考えたくもなかった。
(だけど、今の私に何ができる? 考えろ、考えろ――――)
『キィ――――……ン』
唐突に、耳障りなハウリング音が彩の思考を止めた。ざらついた断続的なノイズ音が、校内中のスピーカーから一斉に流れる。思わず止まりそうになる足を、彩は無理やり動かした。背中に冷汗が伝う。
(何!? 敵!?)
『おびえなくていいよ』
ノイズのおさまったスピーカーから発されたのは、聞き覚えのある声だった。
『また会ったねお嬢さん』
「は、え、アイサさん!?」
『Proprio così! その通りだ、鹿島彩。君の輝けるトリックスター、アイサお姉さんだよ』
「言ってることは相変わらず意味わかんないですけど、アイサさん、こっちの声聞こえてるんですか!?」
『言うねえ。君のそういうところ、私は気に入ってるよ。でも、今はそんな些末なことに気を取られている場合じゃないだろう?』
些末だろうか、と顔をしかめる彩に、アイサは真面目な声音で言った。
『白は校庭にいる』
彩は、はっと息を呑む。間髪入れず、アイサが続ける。
『しかし、今行ってはいけない。どんなに君がそれを渇望しようとね。わかっているだろうが、君は戦闘において、完全にお荷物だ。足手まといだ。端的に言って邪魔になる』
「アイサさんこそ言うじゃないですか! さすがに酷くありませんか!?」
彩は、どこで聞いているかもわからないアイサの為に声を張り上げる。外から聞こえる破壊音は、先ほどから大きく激しく、勢いを増していた。小さな声ではかき消されてしまう。
『酷くないさ、事実を述べたまでだ』
「事実や正論は人を傷付けるんですよ」
『覚えておこう』
「絶対嘘じゃないですか、それ」
会話しながら、彩は確信する。
『嘘じゃあないよ、私は嘘が嫌いなんだ。私が私として喋るときは、正しいことしか口にしたくないんだよ。一度噓を口にすると、言葉の価値が落ちるだろう?』
「ああ、そうですか!」
『だからこれも本心だ。鹿島彩、君はやはり頭が悪いわけじゃないね?』
「それはどうも!」
走りながら大きく振っている腕が、うっすらと青色を濃くしている。
結界だ。
アイサは、彩の周りに言葉の結界を張るために、音でのアプローチをとっている。
「あの気色悪いうさぎの怪異は、白君と一緒に校庭へ出たんですよね!? 結界を張る必要、ありますか!?」
『うさぎじゃない。あれは獏だよ。確かにあれは、白との戦闘で手一杯だ。こちらに危険は及ばない。
しかし学校には、特に夜の学校には、不埒な概念が渦巻いているのさ。
君のように引き寄せやすい特質を持ってしまった子猫ちゃんが無防備に迷い込んだら、簡単に拐かされてしまうんだよ』
彩の視界は、白によって何かしらの術を施されている。特に説明は受けなかったが、彩は、傀異の素である傀朧が青く可視化されているのではないかと推測していた。
来るときは白っぽかった渡り廊下が、今は青みを帯びている。色の濃淡は常に揺らめき、何かのシルエットが蠢いているようにも見える。
彩は、その意味について考えるのをやめた。
「そうなんですね! せいぜい気を付けます!」
『ああ、気を付けたまえ。私としても、君が痛い目を見るのは都合が悪い。白が悲しむからね』
彩はボランティア部の部室へ駆け込み、テラスへの扉を開け放ってから、うさぎのゲージをしっかりと抱えた。
「アイサさん!」
『なんだね』
「これを、甲斐さんに届ければいいんですよね!?」
『ああ、そうしなさい』
それを聞き終える前に、彩は校舎を飛び出した。正門前で待ち構えていた黒いバンのライトが点く。
『それが済んだら、ちょうど頃合いだろう』
校舎から、アイサの声が追いかけてくる。
『白のところへ行ってあげなさい。忠勝には話をつけてある』
「そういうことだ、彩ちゃん!」
バンの後部ドアが開き、甲斐が運転席の窓から顔を出した。
「焦らなくていいから、とりあえずカゴを車に積んでくれ」
彩は甲斐へ向けて頷き、後部座席にゲージを積み込んだ。座席にゲージが固定されたことを確認し、バンから降りて呼吸を整える。
「彩ちゃん、これを」
甲斐が、車に乗ったまま、全面形のガスマスクを彩へ手渡した。ためらっている余裕はない。甲斐の指示に従って、慣れない手つきでガスマスクを装着する。
「アイサさんから伝言だ。『時が来るまで待て。ガスマスクは外すな、首に下げたものの事を忘れるな。破裂音がしたら――――』」
――――ぱぁん!
甲斐の言葉を遮り、銃声のような音が一帯に響き渡った。
「『――――走れ』!」
「はい!」
甲斐の号令と共に、彩は弾かれたように走り出した。正門から校庭までは、さほど遠くない。彩の目が校庭の惨状をとらえるまでに、時間はかからなかった。
そこかしこが抉られ、ボロボロに荒れ果てた校庭。青い霧が一面に充満し、その中心に、人影が立っている。
「――――白君!!」
名前を叫び、校庭への階段を一段飛ばしで駆け下りる。
駆けつけると、白は立ったまま意識を失っていた。彩が触れると、糸が切れたようにその場で崩れ落ちる。
「白君、しっかり!」
名前を呼びながら抱え上げるが、白の首は力なくガクリと天を仰いだ。
いつの間にか頭上には、影ができるほど明るい月が出ていた。月明りが、チアノーゼで青紫がかった白の頬を照らす。紫色の唇から漏れる呼吸も弱々しい。
(酸欠を起こしてる)
明らかに、この濃霧が原因だった。手元に酸素吸入器など無い。彩のガスマスクを譲っても、今更手遅れだろう。第一、彩はガスマスクを外すなと指示されている。
(ガスマスクは外すな、『首に下げたものの事を忘れるな』)
彩は白を地面におろした。首からガラス玉のペンダントを外し、腕ごと大きく振る。ガラス玉は弧を描き、遠心力によって加速する。
「白君――――」
渾身の力で、彩は腕を振り下ろした。
「起きて!」
ぱん、と小さな破裂音がした。途端、彩の視界が真っ青な光で染まる。
「っ!」
目を細めた彩の視界から、光が一瞬で引いた。その光は白の体に収束し、あっという間に染み込んでいく。
「かはっ!」
白の呼吸が、正常に戻った。意識は戻らないようだが、顔色も普段通りだ。
(……とりあえず、どうにかなった?)
彩は、安堵の息を吐く。しかし、光が引いた視界に再び立ち込めた青い霧で我に返る。
(そうだ、まだ駄目だ。はやくこの場を離れないと)
彩は白を背負い、可能な限り足早に甲斐の車へ戻った。
「おかえり、お疲れ様」
車窓に肘をかけて手を振る甲斐に、彩は力なく応えた。
「……つかれ、ました」
アイサさんは万能ですね。
『田共高校の幽霊生徒』に出てきた獏の傀異は、亜未田久志さん(Twitter→https://twitter.com/amida_kuji_001)のアイデアをお借りしております。
亜未田さんに、心からの感謝を申し上げます。
次回、エピローグです。