田共高校の幽霊生徒 ⑦
静まり返った校舎の外側をぐるりと大回りして、正門の隣にあるドアへ辿り着く。
ボランティア部の部室に通じる、冷えた金属のドア。
「最初に言っとくけど」
ぼんやりと薄荷色に発光する鍵をつまみ、白は念押しするように彩の目を見つめた。
「これから入るのは、傀異のテリトリー。絶対、おれから離れちゃ駄目。おれより前に出ても、駄目。なんか気付いたら大声でおれに伝えること。いい?」
白が言葉を重ねる度、彩の周囲の空気が硬質に冷えていくのを感じる。緊張の汗でじっとりと湿った肌が、心地よく冷えていく。
(これは、多分)
結界だろう、と、何の根拠もなく思った。守られている、という実感だけが、彩の肌を包み込む。
「……わかった」
胸の前で拳を握りしめ、彩は強く頷いた。
(怖くないと言えば、嘘になる。でも――――大丈夫だ)
目の前の小さな少年が、とんでもなく頼りになることを、彩はこの上なく知っていた。
その表情を確認し、白は鍵を引き戸の鍵穴に差し込んだ。無機質な音を立て、鍵が回る。
「開けるよ」
彩が頷く前に、白は躊躇いなくドアを開け放った。
「……っ、ちょっと!」
そのままズカズカと無遠慮に校舎へ入っていく。彩は慌てて後を追う。
「危ないんじゃ……!」
「平気。いや、平気って言い切るのも変か……って、ちょ、むぐっ!?」
咄嗟に伸ばした手に、温かく柔らかな感触があった。恐らく白だろう。彩はこれ以上離れないことだけを意識して、それに触れたまま返事をした。
「これ白君で合ってるよね!? 取り敢えず電気点けないと。なんにも見えない!」
部室を照らす光源は、正門近くに立っている一対の街路灯だけだ。それも街路樹にほとんど遮られ、室内で動くにはあまりにも心許ない。
掌から熱が離れる。代わりに冷たく骨張った手が彩の指先を捕まえた。
「……大丈夫、大丈夫だから落ち着いて。電気つけるから」
宥めるような言葉と共に、手が引かれる。されるがままに付いていくと、パチンと音がして照明が点灯した。急な明るさに目が眩む。
「安心して、ここには居ないから」
心なしか小さな白の声につられて部屋を見回す。うさぎのゲージは空だった。
「居ない……」
「移動してるんだよ。多分、被害者のところに」
不機嫌な声に彩が振り向くと、白は顔を真っ赤にして、しきりに口元をこすっていた。
「どうしたの?」
「ばっ、だって、あんたがっ! ……いや、なんでもない」
「?」
さきほど触れたのが白の唇だったことに気付けない彩は、眉をひそめる。
「元はといえば、白君が準備もせずにとっとと先行っちゃうのが悪いんだからね」
「ああ、確かに悪かった。ちょっと動かないで」
白は彩の顔に手を伸ばし、両掌で彩の両目を覆った。
「……屈んで」
「動かないでって言われたけど?」
「うるさいな。屈んで」
「はいはい」
中腰になった彩の目元に、ふっ、と鋭い呼気が掛かる。目の奥で、青白い火花が爆ぜた。
「もう動いて良いよ」
白が手を離す。彩はゆっくりと目を開け――――。
「え?」
――――目に飛び込んできた光景に、思わず声を漏らした。
部室の壁、床、天井、机にソファに掃除ロッカー。全てが薄ら水色の光を帯びていた。光の濃淡はまだらで、うさぎのゲージに近いほど色が濃い。
「ちょっとだけ目を良くした。どう見える?」
そう問いかける白は、ひときわ色が濃かった。ターコイズブルーの光を纏った顔が彩を向く。
「あー……壁、とか、なんか、全体的に、光って、る?」
「眩しくない?」
「平気」
「何色に光ってる?」
「薄い水色。白君だけなんか濃い色してる、青っぽい」
「ん。色以外は? 人の顔とか、文字とか、見える?」
「見えない」
「よっし!」
嬉しそうに小さくガッツポーズする白。何も分からず首を傾げている彩に気付き、白は取り繕うように咳払いをした。
「成功だね。多分、それで暗いところも見えると思う」
白が廊下へ続くドアを開ける。促されるまま廊下へ顔を出すと、暗いはずの校舎全体が微かに白く発光していた。床には、四足獣が足を引きずって歩いたような、水色の跡があるように見える。
「どう?」
「床に、足跡がある」
「大丈夫そうだね。追うよ」
「分かった」
部室の電気を消し、二人は足跡を追った。
「電気、消すんだ」
「ああ、まあ、保険だよ。校舎に入ったのは気付かれてるかも知れないけど、近付いたことがバレなければ奇襲ができる。殴って倒せるヤツだといいけど……」
白は、歩きながら手を握ったり開いたりした。その動作と連動するように拳が青色を増していく。
「あ、そうだ」
「何?」
「喋ろう」
「え?」
白の足りない言葉に困惑していると、白は「あー、えーと」と言葉を探しながら続けた。
「なんでも良いから、なるべく喋ってるのが良いんだ。しりとりに魔除け効果があるって話、聞いたことない?」
「ごめん、無い」
「別にいいよ。普通無いと思う」
素っ気ない返事の後、白はほとんど間を開けずに続ける。
「人間の言葉は人間にしか分からないから、それを紡いで人間以外が入れない結界を作る、って考え方なんだってさ。お互いの安否確認もできる。気休めにしかならないけど、慣れれば想術を使わずに結界を張り続けられる。
自分の身体見てみなよ。色がちょっと濃くなってるでしょ」
言われて両手を目の前にかざしてみると、確かに仄青く発光している。
「便利だよ。どう?」
「どうって言われても、私にはよくわかんないけど……」
「喋って」
彩が言い淀むと、白が行間を埋めるように言葉を繋いだ。
「なるべく継ぎ目が無いように。ゆっくり喋るのも、時間が稼げて良い。こういうときに会話を繋げるコツは、相手に渡すとき、分かりやすい言葉を使うことだよ。それから、相手を良く観察すること」
「観察……」
「そう、観察」
彩は白を見るが、白は廊下の足跡ばかり見ていて彩に一瞥もくれない。どこをどうやって観察しているのだろう、と彩は小さく不満を抱いた。
そもそも、同級生との会話すらままならなかった白に会話術をレクチャーされているのが不思議だった。
(友達との雑談は全然できないのに、機能的な会話は得意、なのかな)
その歪さは、平穏な生活を送ってきた彩にとって少し後ろめたく、同時に頼もしさを感じた。
彼は、こんなに幼げな外見をしていながら、れっきとした傀異の専門家なのだ。
「ほら、喋って」
「ご、ごめん。わかった、喋るよ」
足跡は、三年生の教室に続いていた。六クラスある三年生の教室全てに出入りして、二階へ上がる階段へと続いている。
「でも、これ、しりとりじゃなくていいの? しりとりなら絶対途切れないし」
手近な教室を開くと、教室中が水色に塗りたくられていた。ボランティア部の部室に似ている、と彩は思った。
「しりとりより、あんたと色々共有しといた方が良いと思ってさ。知りたいんでしょ? 傀異のこと」
「うん、知りたい」
「食い気味に返事するじゃん。良いよ、そんな感じ」
足跡を辿り、階段を上る。
「大抵の傀異は、夜に活発になる。なんでか分かる?」
「まあ、なんとなくそうだろうな、とは思うけど、なんでって聞かれても答えられないかも。怖いから、とか?」
「惜しい。半分正解」
二階。二年生の教室が並んでいる。それらを繋ぐ廊下は、一階の廊下同様に足跡で汚れていた。しかし、足跡が出入りしている教室の数が、一階と比べて明らかに少ない。
「なんで怖いか、って部分が正解になるんだ。夜が怖い、と思うのはなんで?」
「暗いから?」
「正解」
「暗いっていう言葉は、見えないとか、知らないとか、わからないって意味で使われるでしょ。怖いものっていうのは、得体が知れないから怖いんだ。
そして、得体が知れない相手のことを、人間は想像する」
「あ」
「そういうことだよ。だから夜は傀異にとって都合が良い。誰もが暗い闇の中に、ありもしない恐ろしいものを探してしまうから。まあ、ここまで全部、あの妖怪の受け売りなんだけどさ」
「妖怪って、アイサさんのこと?」
「それ以外に、妖怪って言葉が相応しいヤツを、おれは知らないよ」
廊下を突っ切り、更に階段を上る。
「今回の事件についても、あいつがどこまで分かってて、どこまであいつの手の内なのか、全然わからない」
「あはは、そんな感じだったね」
三階。一年生の教室がある階。
足跡は、真っ直ぐに一つの教室――――彩達のホームルーム、1年2組へ続いている。
教室を出た足跡は、無い。
白が唇に人差し指を当てて目配せをした。彩も頷き、口をつぐむ。視界の端で、彩の四肢が青色を深めているのがわかった。
教室のドアにはガラス窓がついており、外から中の様子が分かるようになっている。そっと覗き込むと、教室の中央に佇む青白い人影が見えた。
「――――っ!」
思わず悲鳴を上げそうになった口を必死で塞ぐ。
(樹里だ――――!)
後ろ姿だけでも分かるほど見慣れたシルエットが、樹里の机の前に立っている。
そして、その背後に、ゆっくりと蠢きながら近付く塊があった。
子供がクレヨンで書き殴ったような、歪な形の塊。その色は暗く、褪せたような藍色をしていた。
(ここ、で、まって、て)
白が彩の顔を覗き込み、口の動きだけで言う。彩は再び頷いた。
(たすけて、あげて)
彩が真似て口を動かすと、白は自信ありげに笑ってきびすを返した。
気付いたら会話劇になっていました。白は仕事熱心な上にアイサがスパルタなので、必要な事は必要なだけ覚えているし実践できます。
次回こそ、本格的に傀異とバトります。