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エボルブルスの瞳―特殊事案対策課特命係傀異譚―  作者: 揺井かごめ くろ飛行機
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月夜の少年 ②


 声に導かれて屋上に身を潜めた少女は、ひたすらに助けを祈った。

 しかし、一向に声の主は現れない。


「ど コ  デ  で、テてテ〒て キ てェ え」


 化け物の声と足音が、次第に近付いてくる。

 今更の様に震えが大きくなり、歯の根があわずガチガチと音を立てる。


 がしゃん。


 背後の瓦礫が崩れる。動けずにうずくまる少女の背に、ひたりと冷たい感触がする。

 化け物の髪が、ゆっくりと少女の手首に巻き付いた。湿気を帯びた冷たい髪が、少女の体温を奪っていく。


「みィ、 ツ ヶ夕」


 ――――ああ。

 バチが当たったんだ。


「……ごめん、みんな」


 少女は、諦めきった表情で小さく懺悔した。

 自分だけ助かろうだなんて、考えなければ良かった。


 ――――そうすれば、皆と一緒に――――。


 少女は巻き付く髪を無抵抗で受け入れる。細い毛束が頬を這い、少女の口をこじ開けた。


「いっ、シょ ――――わたしと、一緒、に」


 寂しげな声に、少女はそっと目を閉じる。




「そこまで」




 じゃきん、と断ち切るような音と共に、少女の体を締め付けていた髪の毛が緩んだ。

 軽い着地音につられて、少女は再び瞼を開く。



「解析に手間取った……ったく、女ベースのカイイとは相性悪いんだよな」


 少女と化け物の間を遮るように、小さな少年が立っていた。

 紺のパーカーの上に着込んだ学ランが風にはためく。肩にかかるほどの長さまで無造作に伸びた髪は緩くうねり、春を内包した様な赤みがかった灰色をしていた。

 片手はズボンのポケットに突っ込まれ、もう片方の手でかったるそうに頭を掻いている。


 少年は頭にやっていた片手の掌を化け物に差し出し、外側の指から滑らかに握り込んだ。


「ぐ  ギ ぎぎ ……?!」


 化け物は困惑した様に呻く。

 少年の手の動きに沿って、化け物の髪の毛はしゅるしゅると小さくまとまっていった。絡まり、捩れ、化け物の体に巻き付く。


「な、二  しタ……!」

「さあ、何だろうね」


 少年は雑に返事をすると、少女に振り向いた。


「大丈夫? おじょーさん」


 気取った言葉と共に、小さな体に不釣り合いな大きいヘッドホンが揺れる。長い前髪から覗く瞳が、ワインの様な深い赤紫色を煌めかせた。


 声と同じく、あどけない顔の少年だった。大きな吊り目に細い眉が無表情と相俟ってキツい印象だが、可愛らしい顔立ちをしている。透き通る様な白い頬は月の光を受けてより白く、少年の色素の淡さを引き立てていた。


 ――――美しい。


 美しい少年だと、少女は素直に思った。


 返事もせずに見とれる少女に呆れたのか、深い溜息を吐いて、少年は再び化け物に向き直る。


「立てる? 動けそうなら下がってて、危ないから」


 跳躍。

 少年はふわりと宙を舞い、化け物の頭上に立つ。


「ナに な ナん な ナ、ナ……」

「何……? 何者か、か……まあ、警察の下っ端だよ。一応あれやっとくか」


 小さく咳払いし、少年は学ランのポケットから警察手帳を取り出した。


「警察庁警備局特殊事案対策課特命係として、特権を執行する。

 ――――おれは、“傀異(カイイ)”であるお前を、祓う者だ」


 凜とした声が屋上に響く。少年はけだるげに手帳を仕舞い、再び跳躍する。


「あガ が、ガ力゛がギぎ――――!」


 化け物は咆哮を上げ、絡まりきった髪を無理矢理引きちぎって少年に差し向けた。軽やかに身を躱しながら少女から遠ざかる少年を追い、屋上を髪の塊がのたうつ。


 瓦礫や廃材が粉々に砕かれて飛び散るが、少年には当たらない。見えない壁が瓦礫を弾いている様だった。


「そろそろ良いかな」


 少年は立ち止まり、破壊されたパイプ椅子の脚を拾う。ひしゃげた鉄パイプは先端が潰れて鋭く尖っている。

 止まった標的()めがけて、化け物の髪が巨大な槌のように振り下ろされた。


「っ、危ない!」


 少女は思わず叫んだ。少年が一瞬少女を見遣り、小さく笑って口元に人差し指をあてる。


 髪が振り下ろされ、屋上の床全体にヒビが入る。

 少年は紙一重の動きでそれを躱し、化け物に肉薄する。


 そして体の中心に、深く鉄パイプを突き立てた。


「がっ……!」


 喘鳴と共に、化け物の髪が力を失っていく。ぬらぬらとした光は消え、細くちぢれ、化け物の頭からズルリと抜け落ちる。


 そこに残ったのは、骨と皮だけの醜い人型だけだった。

 足下に転がったガラス片に映る虚像が、化け物自身にそれを見せつけた。


「なん、で」


 化け物は、ぎょろりとむき出しになった目から大粒の涙をこぼした。


 ――――皆と、一緒が良かった。

 ――――普通の髪。普通の顔。普通の体。

 ――――普通に、恋だってしてみたかった。


「……嫉妬、疎外感、そして憧憬。お前の正体は、容姿にまつわるそんな感情だよ」


 少年が、静かな声で化け物に語りかける。


「醜い感情で勝手に生み出されて、辛かったんだろ。わかんないけど」


 少年は、化け物が見つめていたガラス片を踏み砕いた。


「もう、終わった話だ」


 化け物は、月の光に融け消えた。

 崩れる口元が最後に一瞬だけ、小さく微笑んだ様に見えた。


「やっぱ、女ってわかんねーわ」


 少年はぼそりと言うと、顔を上げて少女を睨み付けた。


「ねえ」

「は、はいっ!」

「なんで?」


 思わず姿勢を正した少女を見る少年の目は、冷たかった。


「な……?」

「なんで、こんなとこに来たのか訊いてんだよ、おじょーさん。危ないってわかんなかった?」


 小馬鹿にする様な口調に、少女はかちんと来て反論する。


「それは……!」

「楽しい肝試しのつもりだった? 幽霊なんか出るわけ無い、とか思ってた?」


 少女は閉口せざるを得なかった。

 確かに、少女は反対した。しかし他の四人は、きっと少年の言ったとおりだ。

 止められなかった責任から、逃げるつもりはもう無かった。


 少年は興味を失ったのか、少女から目をそらし、面倒くさそうにスマホを弄って耳元に当てた。


 少女の見たところ、存在感のあるヘッドホンは使われなかった。飾りなのだろうか。


「あー、もしもし? 終わったけど……は? そんなのおれの仕事じゃ……おい、待てよ! ……くそっ」


 ぶつり、と乱暴に電話を切る音が少女にも聞こえた。少年は不満を隠さずに再び少女を睨む。


「行くぞ」

「え?」

「下だ下。とっとと降りて……ああもう、面倒だ」


 少年は少女につかつかと歩み寄り、その腕をぐいと引っ張った。バランスを崩した少女の脚を軽く足で払い、細い腕で少女を横抱きにする。


「えっ、えぇ!? 怖い怖い怖い!」


 あまりに頼りない感触に、少女は悲鳴を上げた。高校生にしては大柄な少女に対して、少年は小学生の様な背丈である。そんな相手に体重を預けさせられた少女の心境は、不安の一言に尽きた。


「うるさいなぁ……カイイ相手より騒いでない、おじょーさん?」


 少年は呆れ顔で少女を見下ろし、次の瞬間には――――。


「暴れんなよ、っと」


 ――――ビルから飛び降りていた。


「いっ……、

 嫌あぁあああああああぁぁぁ!!」


 少女の絶叫が廃墟にこだまする。


「うわっうるっっさ! おじょーさんビビりすぎ!」


 二人は大きく弧を描き、廃ビルの駐車場めがけて落下していく。少年が空中で足踏みすると、落下速度が急に減速した。重力を感じさせない浮遊感と共に、少女も冷静さを取り戻す。

 少年の足が地面に着く頃には、驚きよりも諦めの方が勝っていた。


 何が起きても、もう驚くまい。


「あー、離してくれる?」


 ばつの悪そうな少年の声で、少女は自分が少年の首にしがみついていることに気付いた。心なしか耳も赤く見える。


「あ、ごめん」


 少女は特に意識するでも無く少年から離れた。少年の顔は幼くも美しいが、幼いので何も感じない。

 少年は温度差に拍子抜けしたように「お、おう」と応えた。


「ありがとう、助けてくれて」


 少女は頭を下げ、すぐに顔を上げてビルを見上げた。


「でも、まだ中に」


「お仲間が心配かい? 大丈夫さ、四人とも無事だ」


 唐突に、廃ビルの入り口から長身の美女が姿を現わした。

 腰まで伸びた長い髪と青いストールをなびかせ、靴音高く二人に歩み寄る。夏の装いとは思えない黒いロングコートが夜風にはためいた。


「アイサ! てめぇ何してたんだよ、全部押し付けやがって!」


 少年には目もくれず、美女――――アイサは少女の顎についと人差し指を滑らせた。

 少女を射すくめる瞳は、吸い込まれる様な深い青。

 見つめられた少女は頬を赤らめる。


「ほら、お嬢さん。耳を澄ましてご覧」


 不思議な響きの声が囁く。言われるままに耳をそばだてると、遠くからサイレンの音が聞こえていた。

 救急車だ。


「四人全員、よく眠っているよ。捕えられた他の人達も等しく夢の中だ。悪い、夢のね」


 アイサは薄い唇を持ち上げ、ミステリアスに微笑んだ。


「おい、無視すんな“妖怪”!」

「おやおや、被害者を格好良くお姫様だっこしたにもかかわらず意識されなかった、残念な銀滝(ぎんたき)隊員ではないか。何だ、嫉妬か?」

「はっ、ハァ!? ちげーし! 見てたんなら手ぇ貸せよ!」


 アイサに煽られ、少年は分かりやすく狼狽えた。


「女の子を射止めるには、まずその身長からだな。好き嫌いするから大きくなれないのだよ、銀滝隊員」

「うっせー! まじうっせー! 関係ないだろ今!」


 少女は苦笑する。

 子供っぽく言い返す少年は、年相応に見えた。


「ああ、悪いねお嬢さん」


 がなる少年を押しとどめながら、アイサは少女に笑いかけた。

 ――――少年と同じ「お嬢さん」が、こんなに上品に聞こえるのは何故だろう。


「私は水戸角(みとかど) アイサ。警察庁警備局特殊事案対策課特命係のクールビューティー、アイサお姉さんだ。覚えなくて良いよ。この痛々しいかっこつけ少年、銀滝(しらず)の上司だ」

「やめろ、もう言うな頼むから」

「なんだ、もうギブアップか? 情けないぞ銀滝隊員」


 水戸角アイサ。

 銀滝白。


 少女は二人の顔を交互に見ながら、小さな声で繰り返す。

 銀滝、白。命の恩人の名前。

 何となく、どこかで聞いたことのある様な響きだった。


「我々は国家公務員の中の化け物専門チームでね。怪しい者じゃあ無い。こんな風に、医療機関との連携もばっちりだ」


 アイサの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、救急車が駐車場に到着した。十台以上の救急車が、けたたましいサイレンと共になだれ込んでくる。次々にストレッチャーと救急隊員が出てきて、廃ビルに入っていった。


「アイサさん! 救急車到着しました!」


 最後尾の救急車から出てきた女性が、転がる様にこちらへ駆けてくる。

ふわふわとしたミディアムショートと、もてあまし気味の大きなバストを跳ねさせながら手を振る女性は、他の二人と違って夏物のパンツスーツをきちんと着ていた。ようやく警察っぽい外見の人が出てきて、少女は少し安心する。


「それは見れば分かるよ、佳澄。にしても早かったな、ご苦労ご苦労」

「ご苦労ご苦労、じゃありません! アイサさんが仕事しないから、私すっごく忙しかったんですよ! もうっ」


 ぷん! と効果音が聞こえてきそうな愛らしい仕草で、佳澄は怒りをアピールする。


「はは、佳澄は怒っても可愛いな。心配には及ばんよ、ちゃぁんと被害者のケアをしていた」


 躱す様に笑ったアイサは、少女に向き直って真面目な顔をした。


「さて、だ。お嬢さん、お名前と連絡先、ついでに事の顛末を教えてくれるかね? 細大漏らさず教えて欲しい――――なぜ、こんな事になったのか」




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