田共高校の幽霊生徒 ⑤
今週は少し長めです!!
「何! 考え! てん! の!?」
「痛い痛い痛い放して、取り敢えず放して」
田共高校から少し離れた細道で、彩はようやく白の手を放した。
「力強過ぎない?」
「力も籠もるよ!! あんなところで名乗ろうとか馬鹿じゃないの!?」
彩は、白と初めて会った日を思い出す。
(警察庁警備局特殊事案対策課特命係として、特権を執行する。
――――おれは、“傀異”であるお前を、祓う者だ)
「私がほっといたら、ボラ部の部室でなんて言うつもりだった?」
「おれは警察だから、って」
真っ直ぐで悪気のない言葉と共に、先程まで掴まれていた手でポケットの中身を取り出す。細い黒紐でベルトに繋がれたそれは、紛うことなく警察手帳だった。
「やっぱり……」
「大抵これやれば、皆喋ってくれるから」
「そうかもしれないけど、TPOってあるじゃん……」
「……駄目だった?」
「少なくともあの場では、考えうる限り一番駄目……」
圭と理子は、好奇心のまま白を質問攻めにしただろう。ああ見えて一番常識人の樹里は、きっと白の言葉を信じない。警察手帳のレプリカを掲げるという奇行に納得できる理由が付くまで、心を閉ざしてしまうだろう。
捜査どころではなくなってしまう。
そもそも、そういった後付けの理屈より先に、一生徒が警察を自称すれば面倒の種になることは予想できたはずだ。それが白には分からなかったらしい。
力無くうずくまった彩に、白は戸惑いながら「ごめん」と言った。
「これまで問題になったことなかったから、そんなマズいと思わなくて」
「いや、いいよ。どうにか誤魔化せたっぽいし」
弾みを付けて立ち上がる。
「ただ、何か、白君が思ったよりズレててびっくりした。そりゃあ、学校も来ずに傀異退治なんかやってる時点で普通じゃないだろうけどさ」
「……まあね」
僅かに辛そうな返事を聞いて、彩は失言を悟る。
『普通じゃない』事で彼がどれだけ苦しめられてきたかは、察するに余りあった。
「えっと……」
「じゃあ、鹿島彩」
フォローしようと言葉を迷わせた彩を、白の言葉が遮る。
「誤魔化してくれたお礼に、お望みどおり色々教えてやる。おれに付いてきて」
白はそのまま踵を返し、細道をすり抜けるように早足で歩き出した。
「待って、色々と聞きたいんだけど」
「歩きながら聞くから」
白と比べて足の長い彩は、すぐに白に追いついて隣に並んだ。
「まず、白君が持ってる事前情報が知りたい」
「『田共高校の幽霊生徒』」
短いフレーズを返し、白はそのまま不機嫌そうに黙り込む。
「……それだけ?」
「それだけ。どんな異常が起こってるかとか、どんな傀異が想定されるかとか、一切情報ナシ。唯一聞いてたのが――――」
「――――協力者?」
「そ」
白は小石を蹴りながら、細い道ばかりを選んで進んでいく。
「協力者がいる。そいつに全部訊け。あの妖怪が提示した情報は、それだけ。結局協力者なんていなかったし、全然違うのが引っ掛かったけど」
恨めしげに彩を見上げる白に、苦笑で返す。
(期待してた協力者じゃなくて、私が引っ掛かっちゃった、ってことなんだろうな……)
しかし、白が続けた言葉は、彩の予想から外れていた。
「まさか、生徒じゃなくて、うさぎが釣れるとは思ってなかった」
「……!」
「察しが良いみたいで助かる」
うさぎについてしつこく訊いているな、とは思っていたが、考えてみれば他にも違和感はあった。
白は一度も、自分からうさぎに近付こうとはしなかった。
理子が――――うさぎを抱えた理子が隣に座ったとき、白は身体を強ばらせていた。
「あれがうさぎに見える目が羨ましい」
「……あれがうさぎ以外に見えたの?」
「うん」
「ちなみにどんな風に……」
「黒いネトネトの塊に目玉をいっぱいひっつけた感じ」
「うえぇ……」
言葉の響きだけで辟易するような描写に、彩は顔を顰めた。
「あ。じゃあ、もしかして、さっき理子のこと撫でてたのは」
「撫でたわけじゃない。傀朧を祓ったんだ」
「……何か、付いてたの?」
「うん」
白は何でも無いように言う。
「住吉理子。あの人、全身に色んな傀朧をベタベタ付けてたんだ。害は無さそうだったけど、見てて気持ち悪いから祓わせて貰った。
多分懲りてないよ、あれ。髪の毛の傀異と出くわした後、何ヶ所か悪い領域に立ち入ってる。
まあ、悪いものをはじく体質みたいだから、さっきも言った通り、生活に害は無さそう」
「はじく?」
「陰気なものと相性が悪いんだよ。どんなに泥水を浴びても、撥水加工のレインコートを着ていれば汚れないでしょ? そんな感じ。本来なら良い事だけど、あの人的には残念かもね。多分一生オカルトとは無縁だと思う」
「……そっか」
それを聞いてほっとする。
彩が内心胸をなで下ろしていると、白が不意に立ち止まった。
「着いたよ」
白が指差す方を見上げると、寂れたテナントビルの中腹に『■■■■対策課 田共事務所』と書かれた看板があった。肝心の部分が酷く擦れていて読む事が出来ない。
白の後をついて階段を上る。無言のままドアノブを捻り、振り向きもせずに室内へ入っていった白に恐る恐る続くと、愛らしいスーツの女性と目が合った。
「もうっ、白君! ただいま、は……」
お説教も尻すぼみになり、女性はぽかんと口を開けて彩を凝視する。
忘れるはずもない。『あの夜』に彩を抱きしめてくれた、あの女性警官――――佳澄だ。
「ただいま」
「……はっ!」
白の返事で我に返った佳澄は、混乱したまま言葉を紡いだ。
「おかえり、じゃなくて、えっ、えっ!? 誰その子!?」
「同級生」
「うそーっ! 甲斐さん! 白君がお友達連れてきました! お友達!!」
「友達じゃなくて同級生! 話聞けよ、全く……」
佳澄が事務所の奥に向かって呼びかけると、資料の積み上がったデスクの隙間から、壮年の男性が顔を覗かせた。甲斐と呼ばれた男性は、柔和な表情と落ち着いた声色で「いらっしゃい」と彩に微笑みかけた。
(おっ、大人の男の人だ……!)
普段やんちゃな特質の人物ばかりに囲まれている彩は、大人っぽい人物にめっぽう弱い。
頬を染めて会釈を返す彩を見て、白はやれやれといった風に溜息を吐いた。
「佳澄ちゃん。とりあえず座って貰って、お茶でも出してあげようか。僕も仕事が一段落付くから、そちらに行くよ。珈琲をお願いしてもいいかい?」
「了解です! 白君はココアだよね。貴女は何がいい? 紅茶とか緑茶とか玄米茶とか、お茶とつくお茶なら大体あるよ!」
「じゃあ、玄米茶で」
「はーい」
ご機嫌に返事をして流し台へ引っ込む佳澄を見送ると、白はソファへ荷物を放り投げ、自分もそのままどかりと座る。
「座ったら?」
促されるままに座り、部屋をぐるりと見渡す。雑多な日用品や紙の資料でごちゃついた事務所。魔境へ迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。
「甲斐さん、カッコイイでしょ」
「っ!」
潜めた白の声に図星を突かれ、勢いよく白へ振り向く。しかし、その表情がいたく自慢げで、彩は表情を緩めた。
「白君も甲斐さんのこと好きなんだ」
「好きってゆーか、尊敬してる。おれもああなりたい」
仕事を終えて伸びをする甲斐を眺める白の目は、混じりけの無い羨望に満ちていた。
「……身長大きいから?」
「そこは羨ましくない。おれはこれから伸びる。今の段階で平均より少し小柄なことなんて、一ミリも気にならない」
見え透いた嘘を枕に、白は続ける。
「甲斐さんは強いし、巧いから」
「巧い?」
「武器の扱いも、人の扱いも――――自分の扱いも。全部巧くて、だから強い」
「褒めてくれてありがとう、白君。全部聞こえてるよ」
ストレッチを終えた甲斐に呼びかけられ、白が赤面してフリーズする。
「でも、良いのかい? その子にそんな、まるで僕達が戦闘集団みたいに取れる紹介をしてしまって」
「大丈夫。こいつ、鹿島彩だから」
「……ほう?」
彩の名前が出た途端、甲斐の表情が変わった。彩の斜め向かいに腰掛け、まじまじと彩を見る。
(なっ、ナイスミドルに見つめられている……!)
どぎまぎして視線を泳がせる彩に、甲斐は再び微笑みかけた。
(破壊力が……高い……!)
完全にゆであがっている彩を尻目に、甲斐は白へ問う。
「興味深いね。白君、何故彼女を連れてきた?」
「今回の任務の協力者として」
「なるほど。アイサさんの仕込みか」
「多分ね」
「対価は?」
「傀異の知識だって」
「ほう。変わったお嬢さんだな」
「えっと……」
頭が冷えた彩は、恐る恐る挙手する。
「なんで、私が鹿島彩だと興味深いんですか……?」
彩の質問に、甲斐は少し考えてから返答する。
「君は、サザナミ製薬本社跡地であった事件のことを覚えているね?」
サザナミ製薬本社跡地。あの夜に肝試しを行った廃ビルのことだ。
「……はい」
「本来なら、君はそれを覚えていてはいけないんだ。僕達の仕事に関わった民間人は、ルールに則って、基本的に記憶改ざんの処置が施される――――君のお友達みたいにね」
彩は息を吞む。
理子は、毅は、樹里は、圭は、あの日の出来事を忘れていたのではなく『忘れさせられていた』のだ。
傀異の存在は秘匿されているのだから、当然と言えば当然だろう。
ならば、しかし。
「じゃあ、どうして、私は覚えているんですか?」
「アイサさんの決定だから、ですよ。はい、玄米茶です」
答えたのは佳澄だった。
マグカップの並んだトレーをテーブルに置きつつ、甲斐の隣に腰掛ける。
「道理で、なんだか見たことある気がしたんですよね……白君がお友達連れてきた! ってところに気が向きすぎちゃいました」
「だから同級生」
「はいはい。彩ちゃん、さっきはすぐに気付けなくてごめんね。私のこと、覚えてるかな?」
「もちろんです! あの時はお世話になりました」
「えへへ、どういたしまして」
照れ笑いをすぐに引っ込め、佳澄は真剣な表情をつくる。
「でも、彩ちゃん。ここに来たってことは、覚悟は出来てるってこと、だよね?」
「はい」
即座に頷いた彩に、佳澄は満足げにうんうんと頷いた。
「話はこっそり聞かせていただきました。では、これより!」
佳澄は立ち上がり、どこからか現れたキャスター付きのホワイトボードをくるりとひっくり返す。
「傀異および傀朧についての講義を始めます! 社外秘なのでノートは不可! 頭にたたき込んで下さいねー!」
「……え?」
「お返事は?」
「?? は、はいっ!」
「よろしい!」
唐突な展開について行けず他の二人を見ると、甲斐は苦笑し、白はわざとらしくそっぽを向いた。
「ごめんね、付き合ってあげて」
「……この天然、教えるのは下手だけど情報まとめるのは上手いから。知りたいことは全部分かると思うよ。じゃあ、おれはこれで」
そそくさと立ち去ろうとする白を、佳澄が呼び止める。
「白君どこ行くの?」
「……学校の勉強の復習しに、係長のデスクに」
授業なんて出ていなかった癖に、という言葉が彩の口をついて出る前に、佳澄が両手を打って嬉しそうに言った。
「えらい! 頑張ってね~。じゃあ、私達も頑張ろうか!」
いつの間にか甲斐も奥のデスクに戻って仕事を再開している。
二人の反応は気になるが、元々彩の目的は『傀異について知ること』だ。
彩は、腹を決めて佳澄に向き直った。
「はい! よろしくお願いします!」