田共高校の幽霊生徒 ②
昼休み。
チャイムと共に、彩の背後から、椅子を蹴って立ち上がる乱暴な音がする。
「ねえ」
不機嫌な声が頭上から降ってくる。彩が顔を上げると、座っている彩とそう変わらない位置に銀滝白の顔があった。
「ちょっと来て」
「……なんで?」
分かりきった質問を口にした彩に、白は目を細める。
「あんたも訊きたいコトあるんじゃないの、お嬢さん」
「鹿島彩。同い年だよ」
「……そうかよ、鹿島彩。で? 来るの、来ないの?」
彩は答えず、教室を見回した。いつの間にか教室中の視線を集めていたのに気付く。
少し気まずく思いつつも、普段一緒に昼食を取っている四人へ軽く目配せする。全員がニヤつきながらサムズアップしたのを確認し、放課後の質問攻めを覚悟しながら、弁当を持って席を立った。
白に続き、足早に教室を出る。
「ちょっと」
「何?」
「そっち、何も無いよ」
彩は、上りの階段へ足をかけた白を呼び止めた。一年生の教室は最上階にある。白がそのまま階段を上っても、施錠された屋上への扉があるだけだ。
「大丈夫」
白はスラックスのポケットから鍵を取り出し、人差し指で回して見せた。
(なんで屋上の鍵なんか……とか、訊くのは野暮かな)
白と屋上に出る。コンクリートが直射日光で炙られ、陽炎が立ち上っていた。
「あ゛っっつ゛……」
白が呻きながら手でひさしを作る。二人の髪が風に煽られる。彩は暴れるスカートを軽く押さえて白を見た。
前髪から覗いた透き通るような白い額に、幾粒もの汗が光っている。
「向こう、陰になってるみたいだよ」
給水塔を指差す彩に、白もこくりと頷いた。
小さな日陰へ間を詰めて座る。焼け付く日差しは防げるが、熱された空気は避けられない。
「暑いね……」
「……お嬢さん」
「彩」
「鹿島彩。口は固い方?」
「もちろん」
「あっそ。じゃ、それ信じるからな」
白はそう言って右手を掲げ、頭上をぐるぐるとかき混ぜてから軽く握って、そのまま親指をぴこぴこと動かした。
(面白い動きしてるのに、顔はめっちゃ真面目だ……)
シュールな光景を見守る彩の頬に、かすかに冷気が触れる。じわじわと空気が冷え、汗が引いていく。
「あ、涼しい」
「だろ、今エアコンつけたから」
その言葉に思わず顔を上げるが、そこには何もない。何の変哲もない青天井が広がっているだけだ。
「そういう概念で冷やしてるってコト。結界の中だけだから、ちょっとでも陰から出ると暑いよ」
概念、結界。その語群に、彩はようやく理解する。
――――彼は今、あの夜と同じ不思議な力を使っているのだ。
「アイサから聞いたんでしょ、おれ達の扱う傀朧とか想術とか、その辺りの話」
さも当然のように白が言う。
言葉の意味はさておき、白が『何を言ったか』彩が理解するまでに、数秒の時間を要した。
恐らくこれは、致命的な失言だ。
「……初耳だけど」
「はぁ!?」
急に上がった大声で彩がビクリと身を震わせた。その様子を見て「あっごめん」と小さく謝ってから、白は「マジか……」と頭を抱えた。
「アイサの言ってた協力者って……いやでも……偶然……? 紛らわしい……クソ、あの妖怪やりやがったな……絶対知ってただろ……」
小さな体を更に小さく丸めた白は、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜながらぼやく。
ようやく落ち着いたのか、おもむろに顔を上げた白は、気まずげに「あ゛ー……」と口火を切った。
「今みたいな、こういうのさ、その……」
「わかってるよ。誰にも言わない」
「助かる……」
「言わないけど、その代わり」
胸を撫で下ろす白を真っ直ぐ見つめ、彩は確かな口調で言った。
「きちんと教えて、傀異について」
白は驚いた顔で彩を見つめ返した。
「……自分が何言ったか分かってる?」
「分かってるつもりだよ。傀異についての簡単な説明だけは、あの女の人から聞いてるから。アイサさん、だっけ? 多分、白君がさっき言ってた人」
だよね? と問う視線に、白は黙って頷く。
「アイサさんは、『知れば知るほど寄せやすくなる』って言ってた。
それから、これもアイサさんに教えてもらった事なんだけど」
彩はいたずらっぽく笑った。
「私は、『愚かな割に頭は悪くない』んだって。
――――協力者、多い方が良いんじゃない?」
午前中、彩はずっと考えていた。
これまで学校を休んでいた白が、こんな中途半端なタイミングで登校した。その理由には、彼の特殊な仕事が関係しているのではないか。
そして、先程の「協力者」という言葉で確信した。
彩は廃墟での一件で、傀異の存在を大まかに知っている。知る事で傀異を寄せられるなら、囮役くらいにはなれるだろうと踏んだのだ。
白は少し考えてから、質問で返した。
「『愚か』ってとこ、直そうとは思わないの?」
「人間は愚かなものだよ、って、あの人なら言いそうじゃない?」
「質問に質問で返すなよ」
白は、自分を棚に上げて顔をしかめた。
「確かに、まあ、言いそうだけどさ。それとあんたの愚かさとは別だろ」
「そうだね。でも、私はもう、繰り返すつもりは無いよ。愚かな私が原因で大事な人を傷付けないように、できる事ならなんだってやりたい。
だから、知りたいの」
彩は、一言ひとことを噛み締めるように口にする。
その真摯なまなざしに、白は深い溜息で応えた。
「わかったよ。捜査協力を依頼する。正式に書類を発行するから、明日印鑑持ってきて」
想定外の言葉が返ってきて、彩は慌てた。話は終わりとばかりに自分のポケットからシリアルバーを取り出した白の腕を軽く掴む。
「ちょっと待って」
「何、なんか不満?」
「そ、そんなにちゃんとしたかんじなの……?」
「いや、一応おれ公務員だから。離して」
彩は、そっと手をひっこめながら、不登校に銀髪の不良高校生から公務員という言葉が出てくる違和感を飲み下す。
「大丈夫かな、そんな大事にしちゃって」
「ビビってるならやめたほうがいいよ」
図星を突かれ、彩はこっそり歯噛みする。
「やめないけど」
「やめないんだ」
やめるわけがなかった。
「やめないし、協力するからにはちゃんと教えてよ? 私にとっては、そこが一番大事なんだからね?」
「はいはい、わかってるよ。それより弁当食べないの? 時間無いけど」
白はポケットから取り出したスマホを軽く振る。画面に映る数字は、昼休みが残り10分もない事を表していた。
慌てて弁当を開く彩を尻目に、白はどこからか取り出したパック牛乳を啜って呟いた。
「なんか……すっごい面倒な事になっちゃったな……」
なし崩し的に協力関係になった二人。次回からいよいよ捜査に乗り出します。