学校へ行こう! ①
話のくくりとしては、第4幕目になります。
「えっ、誰あれ」
「ウチの制服じゃなくない?」
「知らないけど、今朝来たら座ってて……」
ひそひそ。
くすくす。
「何、あの髪の色……脱色……?」
「ちっちゃ〜い! ちょっと可愛くない?」
「誰か声掛けろよ」
ざわざわ。
[1-2]のプレートが掲げられた教室の片隅、窓際の最後列。
遠巻きに噂話を囁く生徒達の中心に、ひとりの少年の姿があった。
(うるっっっさい)
少年────銀滝白は、窓の外を眺めて必死に知らんぷりを決め込んでいた。
スカッとした青空に、遠く蝉しぐれが聞こえる。蝉もうるさいが、この教室に渦巻く囁き声よりはよほどマシだった。
(見世物じゃないんだよこっちは……全く、学校なんてロクなもんじゃない……!)
じろじろと不躾に見られているのを肌で感じながら、白はこっそりと溜息を吐いた。
◆ ◆ ◆
遡ること――――と言うほどでもない、つい昨日の話である。
朝八時。白は、普段通り馬崎の自家用車で出勤していた。住宅街を抜けビル群に分け入り、やっと事務所が見えてきた頃、助手席でゲーム●ーイを弄っている白に運転席から声が掛かった。
「白君」
「なに、ユーキ」
完全にオフモードでくつろいでいる白に、馬崎は少し躊躇いながら言った。
「――――この前も話しましたが、そろそろ学校に」
「行かない」
白は、ゲームの手を止めずに素っ気なく返す。
「何回その話されても、おれ、これ以外のこと言わないよ。これ以上喋って意味ある?」
馬崎は困った様に笑った。
「そうはいっても、僕は一応君の保護者なんです。これ以上、若い君の有限な時間を、無為に遊ばせておくわけにはいかない」
「いや、仕事してるじゃん」
今はゲームしてるけど、と自嘲気味に呟き、白は続ける。
「どっかのサボり常習犯と違って、おれは勤務時間中にゲーム弄ったこと一回も無いからね。勉強もしてるしさ」
戦闘要員の白は、平常時の仕事が少ない。お茶汲みや資料整理、掃除の様な雑務は一通り白が担当しているが、それでも大抵時間が余る。白はその余暇を、基本的に全て勉強にあてているのだ。
白は勉強が嫌いでは無い。特段好きでもないが、ゲーム脳が平常運転の白にとって、勉強は手応えのあるデイリーミッションだった。時折アイサが「今日の銀滝隊員の仕事はこれだ」と抜き打ちテストをどっさり渡してくるので、おちおち気も抜けない。アイサのテストで点を取りこぼすのは何となく癪だったので、現状白の学力は右肩上がりである。
「学校って、勉強しに行くところだろ。基本は皆に教えて貰ったし、そこさえ分かれば後は応用でいける。やってる感じ、これからも一人で出来そうだよ。なんかあったら自分で言うし、市販の教材で十分。ご心配なく、保護者サマ」
「……実のところ、勉強の心配はしていませんよ。白君は優秀だ」
今年頭の時点で、白の学力は小学校卒業程度だった。今、白のデスクに並べられている教材は、中学校三年程度のものだ。一般的な子供とは、集中力・記憶力・理解力どれを取っても桁違いである。
「じゃあ尚更いらないじゃん、学校とか。何教わるっての?」
「僕達では教えてあげられないことですよ」
馬崎の言葉に、白は小さく首を傾げた。
「そんなことある? 大人四人……いや、あの天然は確かにちょっとアレだけど……でもさ、特命係のみんながいれば、おれが『わかんなくて困る』ことなんて無くない?」
「随分『みんな』を信頼してくれているようで嬉しいですね」
「なっ……!」
白の顔が一瞬で赤く染まった。ゲーム●ーイから気の抜けた負けボイスが流れる。
「ユーキが変なこと言うからミスっちゃったじゃん!」
「照れちゃって」
「ない! そんなことは!」
白は手早くゲーム●ーイの電源を落とし、乱暴な手つきでバッグに突っ込んだ。二人の乗った普通車は、事務所の隣に建つ立体駐車場へ入っていく。
「あるんですよ」
「だからないって!」
「あるんです。僕達に教えられないこと」
ムキになって言い返す白へ、馬崎は静かにそう言った。白は溜息をついて、乗り出した身体を助手席のシートに沈めた。
「……わかんないよ」
「わかってるでしょう、本当は」
通勤の車で混み合っている駐車場をのろのろと進みながら、馬崎は淡々と続ける。
「同世代の子供達と集団生活を送る、という、ごく普通の体験です。この職場では永遠に得られない」
「……無理に得る必要があるとは、思えないけど」
俯いたまま、白は力無く言う。
「これからの長い人生で、たった三年ですよ。我慢できませんか」
「我慢、とかじゃなくて……」
白と同じ年齢の人間が、無作為に集められた場所。教育というレールが敷かれて、皆でその上を歩いている。
そういう、『ごく普通』の人達の為の場所。
(最初からレールの外側にいるおれが、今後の人生、そういう『普通』を必要とする場面が想像出来ない。
……それに)
歯切れの悪くなった白に、馬崎は、優しい声音でそっと問うた。
「……怖い、ですか?」
白の顔が歪む。
「怖いよ」
ぽつりと零れたのは、今にも泣き出しそうな声だった。
「おれはもう、一度だってあんなの見たくないんだ。ねえ、知ってるでしょ、係長」
絞り出すように、白は言った。
「……おれは、人間じゃ無い」
「……」
馬崎は、返す言葉が見つからず、黙って車を止めた。そのまま、白の背中をごしごしとさする。
「……ちょっと、痛いよ係長。力加減どうにかなんないの」
白はその手を払いのけ、いつも通りの調子で皮肉を吐いた。
「今日なんもない日だったよね。有休使う、終業時間までには戻る」
そう言い捨てて、白はさっさと車を降り、一人で駐車場のエレベーターへ姿を消した。
「……ちょっといじめ過ぎちゃったかな」
白を見送る馬崎が独りごちていると、助手席の窓からノック音が聞こえた。
振り向いてぎょっとする。
満面の笑みを浮かべたアイサが、こちらを覗き込んでいた。慌てて車を降りる。
「おはようございます、アイサさん」
「おはよう優貴、どうやら朝から元気に振られたようだね」
「……どこから聞いてたんですか?」
「何も聞いていないし、全部聞いていたさ」
相変わらず煙に巻く様なことを言って、アイサは目を細めた。
「白は頭が良い。恐れというのは、頭の良い生き物の特権だ」
「……まあ、僕にも、分からなくはないんですよ」
「『僕も頭の良い生き物なので』、って?」
「違いますよ空気読んでください、そこ張り合いませんから――――白君が怖がっている理由ですよ」
馬崎は、特命係に関係する情報の管理を任されている。白の過去や、彼の関わった凄惨な事件の資料にも目は通していた。アイサが行ったという事情聴取の内容も、軽く聞きかじっている。
彼が、彼の友人をその手で殺していることも。
当然、知っていた。
「学校に通う子供達は、確実に白君より弱い。彼が万一暴走すれば、あっけなく死ぬ」
どちらからともなく歩き出す。
エレベーターは使わない。言葉を交わしながら、ゆっくりと階段を降りる。
「その点僕達なら安心だ! スケバン想術師に傀具を知り尽くした元軍人、そして貴女はとびきり胡散臭い」
「私の安心要素、胡散臭い以外になかったのかい? そもそも胡散臭さは安心要素たり得るのかい?」
「結城さんは今のところ非力ですが、貴女が拾ってきた人材だ。その内化けるでしょう。僕はもっと非力で化ける予定もありませんが、彼のメンタルコントロールに長けています」
「ねえ、胡散臭い以外に」
「特命係にいれば、誰かの命を奪うことは無い」
「……」
「困るんですよ、安心して貰っちゃあ」
馬崎は、明るい声のまま突き放すように言った。
「彼は、誰かに止めて貰わなくても、自分で自分を止められる様にならなければいけない。それが普通にならなければいけない。でないと」
「回りに強者がいないとき、自分の力に怯え続ける羽目になるね」
「そういうことです」
「ついでに私は胡散臭い以外に」
「特にないです」
「それは残念」
アイサはしつこい言及をあっさりと引き上げ、「それにしても」と続けた。
「君らしくないね、優貴。もう七月だぞ? 一学期も後半に差し掛かるというこの時期に、突然『学校へ行け』だなんて。合理主義はどこへ行った?」
「どこへも行ってませんよ。学校に行くよう諭すのはここ最近挨拶みたいになってましたし、本当なら夏休み明けに合わせてせっつく予定だったんですが……偶然『いいもの』が手に入りまして」
「ほう?」
アイサの目が悪戯っぽく光った。馬崎は苦笑し、ビジネスバッグから一枚の紙を取り出してアイサに渡した。
「これです。昨晩、長官から届いていました」
「私が見て良いものなのかい?」
「元々、事務所に着いたら皆さんに相談するつもりでしたからね。それに、今見なくてもどこかから情報仕入れてくるでしょう、貴女」
「そんなことはないさ、優貴の情報網には敵わないよ」
「思ってないでしょう」
「おもってるおもってる」
適当に馬崎をあしらいつつ、アイサは紙を一瞥し、丁寧に折り畳んでサマーコートの内ポケットへ仕舞った。
「これは良い土産ができた」
アイサはそれだけ言って、階段から飛び降りた。軽々と数十段先の地面へ着地する。
「今日は何も無かったな。私は外回りに行く、終業時刻までには戻るよ」
どこかで聞いた様な言い回しだった。馬崎の頬が引きつる。
「君の『いいもの』、暫く借りるぞ」
「えぇ……コピーですから問題はありませんが、無くさないでくださいよ。僕達が扱っている紙切れは全部重要書類なんですからね。分かってますか?」
「わかってるわかってる」
からからと笑いながら遠ざかっていく背中に、馬崎はとびきり大きな溜息を吐いた。