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塔を砕く魔王と、輪を繋ぐ龍。  作者: 十輪 かむ
見る者達よ
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六十七の話

 立ち並ぶ灯籠に明かりが灯っていく。位の低い魔術士達が、日の沈む頃に火を灯して街を回るのだ。


 ゴウ、ヒナノ、牛頭、ユリの四人は池の畔を歩いていた。こうした池はオウキョウの街のあちこちに湧いている。ここから水路が幾筋も流れ、街の人々の生活用水となっていた。


 少々遅くなってしまった。カエデの家で、シンに勧められるまま長く居座ってしまった。美味い茶に加えて、オウキョウで最近評判とされる上菓子を出されたのだから仕方ない。ユリは、縁側に出て庭も楽しみ、春の日に当てられるままうつらうつらと昼寝までしてしまった。


「宿まではまだ歩くの?」


 ヒナノが訊いてくる。


「ああ、もう少しさ。街の中心の川岸側からは少し離れた所にあるけど、その分宿代は安い。その割には小綺麗な宿だよ。もっと安い木賃宿も考えたけど、まあ、どうにかなるさ」


 向かっているのは「石多屋」という宿だ。ヒナノに語った通り、穴場という言葉がしっくりくる宿で、隠れ家の雰囲気すらある。事実、貴族が身分を隠して街を楽しむ際に使ったり、売れっ子の役者が逢瀬をするのに利用したりもする。これは、ヒナノとゴウが知るには少し早いし、口にするのも野暮だから決して教えはしないが。


 ふと、池の畔に腰を下ろし釣り糸を垂れている人物に目が止まる。灯籠の灯りにぼやと照らされて黒か紺なのかその着衣の色は判然としない、目立たぬ意匠である。目に止まったのは、その者が被る肩まで覆いかくさんばかりの大きな深編笠である。一瞬、この国で飼われている不吉な連中を想起してしまう。


 ユリの悪癖が働き、氣取る。氣の巡り、質。只者ではない。統制されていない粗野なものを感じることから、おそらく野良の魔術士、退治屋の類か。しかし、都ではこの位の人物と出会うのは珍しくもない。


「そこの女、術士と見た。火をくれぬか?」


 その者の後ろを通り過ぎようとした時だ。低く歪んだ声だった。中年から老年へ移る頃の男の声に思えた。


 ユリは立ち止まって、その男へ目を遣る。すると男はそれに応える様に深編笠を脱いだ。現れたその頭、その顔にユリは一つ息を呑んだ。牛頭法士も思わず脚を止め目を向けた。ゴウとヒナノもそれに釣られる。


「ほう、山羊族か・・・・」


 牛頭法士が男に声をかける。


「珍しいか、牛の。だろうな」


 頭に生えた三日月を思わせる弧を描いた二本の角、目の中央を横に割るかの様な潰れた四角の瞳、長く白い顎髭。男は山羊の獣人であった。


「山羊族の人か。俺、初めて会ったよ」


 ゴウが興味あり気に近付く。ヒナノも丸い目を更に丸くして関心がありそうだ。やはり山育ちは知らないか。いや、この二人なら知ったとしても、山羊族に対する偏見など持たないかもしれない。


「中々、面白い子らだ。都の者ではないな」


 山羊男は腰帯に差した煙管を抜き、同じく腰帯から下げた煙草袋から刻み煙草を取り出して、煙管の火皿に詰め出した。


「ああ、そうさ。それより火だろ。ほら」


 ユリは指先に魔術で火を灯し、山羊男へ差し出した。男は咥えた煙管でそれを受け取ると、煙をゆっくり食むかの様に喫み、誰もいない池の水面へ向けて吐き出した。


「美味い火だ。流石だな、火狂い」


 ユリのことを知っている。だが、驚きはしない。退治屋であるのなら、その異名と緋色の髪を結び付けて認識していてもおかしくはない。


「そいつはどうも。アタシも有名になっちまったもんだねぇ」


 ヒナノが丸い視線をユリへ向けている。ユリの有名に驚いているのだろう。


「牛の。お前も有名人であろう。名は牛頭。堕天者殺しの牛頭だったか?」


「ああ、そうだ。俺達二人を知るとは、お主も退治屋か?」


「昔はな。今は隠居して、こうして毎日釣り糸を垂れておる。しかし、お前らが組んでいるとはな」


「まあ、巡り合わせってやつさ。そろそろあんた、笠を被った方がいいんじゃないかい?」


 ユリは声を落として言った。周囲へ目を配る。通り過ぎて行く人の中にチラチラとこちらへ目を遣る者がいた。


「どうして? 煙草ぐらいゆっくり吸わせて上げればいいのに」


 ヒナノが不思議そうな顔をしていた。


「ふむ、『魔王万骨まおうばんこつ』の血か?」


 山羊の男がことも無げにその忌みを吐き出して、煙管に吸い付き煙を喫んだ。


「・・・・魔王」


 ヒナノの眼が宙を辿った。何かを思い出したのかもしれない。


「何? 魔王万骨って?」


 ゴウは強い眼をその男へ向けた。心に惹かれることがあれば、それが良しであれ悪しであれ興味を向ける。それがゴウの面白さであり、危うさでもある。


「史実に残る魔王の出現は、嘗て二度。一つは六百年前、凡ゆる破壊を極めた『魔王滅破まおうめっぱ』。一つは百年前に現れ、万のカムナをその骨に刻み、万の魔術を使ったとされる魔王万骨。いずれも、魔物を自在に使役して悪逆の限りを尽くし、多くの民を苦しめたとされる。魔王と呼ばれる所以だな。特に、魔王万骨は、出来たばかりのここオウキョウで大暴れをし、百年前と歴史としてはごく最近であることから、未だに深い忌みと憎しみを持ってその名が語られておる」



「それが、山羊のおじさんと何か関係あるの?」


 ゴウが続けて訊く。普通の大人ならここで止めもしようが、生憎ユリも牛頭法士も普通ではない。彼の好奇心のままにさせておく。それに、ゴウの様な宿命を背負った者は、遅かれ早かれ知る必要がある。


 山羊の男はもう一度煙を食み、吐き出した。


「魔王万骨は、儂と同じ山羊族だったのだ。万骨は、地と火の堕天者によって滅せられたが、民の憎しみは消えず、同族の儂らへ向けられた。魔王と同じ血だ。再び山羊族から魔王が現れるかもしれないとな。儂も若い頃はよく嬲られたものだ」


 男が遠い眼をする。その風情は苦く甘い菓子を口に含んでいるかの様だ。変質的にも見えるだろう。だが、ユリには、それが返って凄味を感じさせるものとして映った。


「そんなの、おじさんと関係ないじゃん」


 ヒナノの、子犬が吠えるが如くの声が上がる。彼女ならそう言うと思った。


「ありがとな、嬢ちゃん。面白い子だ。だが、その義憤に駆られた想いもまた、儂らを踏み躙って来た人々と同じく、内に巣食う魔物を呼び起こすのだ。残忍で浅はかな魔物をな」


 それを言われ小首を傾げるヒナノの横で、ゴウはただ静かに強い眼をしていた。その内に複雑な想いが湧き起こっているのだろう。彼は顔の肉ではなく、眼に情が現れる。それが顕著である分理解してしまえば、世間並の人々よりもその感情を読み易いとも言える。


 山羊の男もゴウへ顔を向け一間眼を細め、その長い顎髭を撫でた。


「さて、そろそろ帰るとするか。今日はよく釣れた」


 男は、煙管の火皿を逆さにして灰を落とした。その瞬間、ユリは暗がりの中で僅かな放魔が為されたのを見逃さなかった。灰が消えた。火で焼き払ったのでもなく、瞬転移でどこかへ飛ばしたのでもない。おそらく、滅却だ。魔術で以って灰を消し去ったのだ。滅却のカムナは複雑で、練るのも放つのも難度が高いはずだ。これを息する様に扱える。やはり只者ではない。


「お家は近くなの?」


 ヒナノが訊く。


「ああ。近くだ」


 男は再び深編笠を被った。立ち上がり、肩に釣り竿をかけて持ち、片手に魚籠を持った。手首にも指にも力が込められず持ち上がるその魚籠を見て、ユリは思った。空、なのだろうと。


「御仁。名を訊いてもよろしいか?」


 牛頭法士が低く柔らかく訊いた。


「名か。そうか、お前らとは、またいずれ会うかもしれんな。マカクだ」


「マカク殿か」


 牛頭法士へ向けて、マカクは一度頷いて見せた。そして、背を向け歩き去ろうとするのを、何かの想いが引き止めたのだろう。脚を止め、振り向いた。


「子ら二人。名を訊いておこう」


「ヒナノ」


「ゴウ」


 二人は即座に答えた。


 マカクが、笠の向こうで眼を細めて笑った氣がした。


「ヒナノにゴウか。面白い子らだ。良い師も側におる。お前らの名も、儂が生きている内には遠くのどこかで聞くことになるだろう」


 それを言われ、ヒナノの顔が日の様に明るくなる。本当にころころ表情が変わる子だ。対してゴウは、強く一つ頷いた。それが自分の役目だと言わんばかりだった。


 歩き去るマカクの姿は、並び立つ灯籠の灯りを受けながらも、深くなっていく夜闇にじわりと紛れて見えなくなった。あの意匠の衣のせいでもあるのだろう。


「なんだか、不思議な人だったね・・・・」


 既にヒナノの顔の灯りがぼやりとしていた。正邪も判然としない何者かに化かされた後にも見える。


「ああ、旅をしていると、たまにあんな人間に出会すのさ。オウキョウへ着いて早々運が良いねぇ」


「そうだね。運が良い」


 ゴウの言葉に喜びが込められているのを感じた。彼と付き合いの薄い人間なら、それを読み取れず抑揚のない無感情な言葉だと取ってしまうだろう。


「うむ、山羊族のマカクか・・・・」


 牛頭法士は腕組みをし大木の様に立っていた。その眼はマカクの消えた夜闇へ向けられている。


「どうしたの、牛頭さん?」 


 ヒナノが牛頭法士の顔を見上げた。


「いや、遠い昔、俺がテイワで武者修行をしていた頃、その名を聞いたような気がしてな」


「あれはアタシが見たところ、相当な術士だよ。少しくらいは名が通っていても、何もおかしくはないさ」


「そうか。ユリがそう言うのなら、そうなのだろう」


「さあ、宿へ急ごうかねぇ。みんな腹も空いたろ?」


 ユリへ皆が頷く。宿へと歩き出す一行の中で、ユリはもう一度マカクの消えた闇へ振り返った。何かが引っかかる。池へ灰が舞い落ちて立った波紋の様な、ごく僅かな違和感だ。だが、それが気のせいであったことなど、これまでに何度もある。


 ユリは、歳を重ねていく度に疑り深くなっていく自分に嫌気が差しながら、これが気のせいであって欲しいと宛のどこか分からぬ願いを夜闇に漂わせるのだった。


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