六十五の話
つぶらな瞳に映るのは、柏餅であった。黒い鼻の奥へ、柏の葉の清涼な香りを吸い込む。白い手で包みの葉を広げると、その手と同じく白い、丸い餅が姿を見せる。
「もう、いいよね・・・・」
ミシロは、頭に被っていた笠を脱ぐ。そして、白餅の奥に潜むであろう餡子へ向けて尖った歯を突き立てた。
「う~ん、愛らしい」
突如降って来た声に、ミシロはビクリと一つ短く飛び跳ねた。目を向ける。そこには既に、男装の痩躯、シナツが立って悪戯な目で見下ろしていた。彼女は前触れもなく吹き、くすぐる風だ。
ミシロは噛み取った白餅と餡子の甘味を味わう間もなく、それを喉奥へ飲み込んでしまった。
「シナツ様・・・・もうよろしいので?」
薄く湧き起こる怒りを抑えつつ、ミシロは尋ねる。
「うん。ミシロをこんな辺鄙な場所にずっと待たせておくのも悪いからね。スパッと終わらせて来た」
弾む様に言うが、何人か処している。その感覚は魔術を介してミシロへと伝わって来た。怖い人だ。
ミシロがいたのはアスカの街をグルリと囲う城壁の外。その南側であった。人はいない。魔物も現れる様子もない。街の喧騒も届かず、聴こえるのは鳥の囀りぐらいなものだ。術の届く範囲で、集中出来る場所としては最適だった。
この場所で詩分の術を行うように言われたのは、つい先ほどだ。シナツはいつも突然で、いつも全てを言わない。
「しかし、日転輪の欠片を取引の材料とするのは、いくらシナツ様でも行き過ぎでは?」
精一杯澄ました表情を作って言う。ミシロの癖の様なものだ。が、裏腹にその内は色々と乱れていた。シナツならこの乱れを氣取っているのだろう。それが分かっているからこそ、より乱れる。彼女がミシロを愛らしいと言うのは、これを含めてのことだろう。
「ああ、いいのいいの。どうせこれからジン大陸は大混乱になるだろうから、あの女狐・・・・じゃなかった。『青孤』様にはそれに乗じて事後承諾でいけるよ」
軽く言ってくれる。ビャクレイを治める元首をこうも軽く扱うとは。だが、それはシナツが青狐を軽蔑している証左でもあるのだ。
「な・・・・」
窘めなくてはならない。いや、でも・・・・。絡まった想いが、ミシロの口からごく短い悶えとなって出た。
「まあ、単純に金で取引することも考えたんだけどね。でも、あの類の人は金じゃ動かないよ。もっと興味をそそる面白いお話じゃなきゃ」
「日転輪の欠片は、お話なのですか?」
「お話さ。あの物自体に価値はない、ガラクタだよ。でも、あれに込められた大王家の象徴ってお話に、人々は動かされるのさ」
「はあ・・・・」
理解出来る様な、出来ない様な。ミシロは自分でも呆けた顔をしているのが分かった。その顔を見て、シナツはニッと一つ大きく口を横へ広げて笑った。
「んじゃ、行こっか」
「どちらへ?」
「狛犬達を迎え入れる場所さ。こんなにデッカい街じゃやりにくいからね。と、その前に小腹が空いた。僕にも柏餅ちょうだい」
シナツが手の平を差し出す。ミシロはもう一つ買っておいた柏餅を懐から取り出して、彼女へ渡した。シナツは渡されるなり、柏の葉を引き剥がして白餅へ大口を開けて齧りつく。
もう少し、お淑やかに味わって食べてくれないものかな。綺麗なお方なのに。そんないつもの想いが小さな芥となってミシロの胸を靄りとさせた。