六十三の話
カエデの住居は、南オウキョウでも上方と呼ばれる場所にあった。オウキョウの町人のほとんどは長屋住まいであるが、ここに住む者達は比較的裕福であり、土地を所有し戸建に住んでいた。
絵師としてそこそこ成功していると見るか、或いは他の生業があるのか。ユリのタチの悪い勘が働いてしまう。
「へぇ、これは瀟酒だねぇ」
キョウジに教えられたカエデの住居は、低いながらも土塀に囲まれ、その上から覗く邸宅の瓦葺きの屋根は黒く重厚だ。迎え入れる門も牛頭法士が通るには多少間口が狭く感じるが、その上に構える瓦葺きがどしりとした印象を与えている。
「ふむ、サムライの家にも見えるな」
牛頭法士がボソリと口にする。それはユリも思ったところだ。
「なんか立派だね」
ヒナノが素直な感想を漏らす横で、ゴウが頷いていた。
「そんじゃ、邪魔するよ」
ユリは悠揚と手を伸ばして門扉を開け、敷居を跨いだ。と、すぐ目の前に見える住居の戸口の向こう側に、一人氣取ることが出来た。ユリ達の到来を察したか、偶然か。シメグリの一族の長であるクレハの姉だ。前者であっても何もおかしくない。
「何か御用向きでしょうか?」
戸口を開け姿を表したのは、一人の男児だった。背丈と、若葉色の着物の下の骨格、肉のつき方から見るに、ゴウよりも年は下だろう。しかし、その榛色の瞳の強さは、ゴウのものに引けを取らない。思慮の深さ、意志の強さを感じさせる。多少の緊張は感じさせるが、佇まいと、落ち着いた氣の流れは、ユリの想定した年の頃にまるで似つかわしくない。
「あらら、これは可愛いねぇ。カエデさんのお弟子さんかい?」
そう発するユリの後ろで、牛頭法士が腕を組むのが分かった。彼も、この男児から何か感じとったらしい。しかし、この場面でその仕草は都合が悪い。牛頭法士が腕組みをするだけで、かなりの威圧を与えてしまう。
ユリはチラリと巨躯の相方へ視線を送った。それを受け取って、彼はすぐさま腕組みを解いた。機敏に察してくれる。こんなに自分を立ててくれる男は中々いない。
「いえ、カエデ、秋風は某の祖母にございます」
ユリは、この男児の背伸びをした礼儀正しい言葉遣いに、思わず笑みを漏らした。
「へー、クレハ婆のお姉さん、お孫さんがいるんだ」
ヒナノが声を上げる。いつもながら素直に驚きを口にする。しかし、それが功を奏した様だ。男児の眼の色が少し和らいだ。
「・・・・クレハ様? では、シメグリの一族の方々ですか?」
「うん、そうだよ。ワタシとこっちのゴウは、シメグリだよ」
ヒナノに指差されたゴウはゆっくり頷いた。その眼は男児から離れていない。彼も何か感じ取ったか。
「そうでございましたか。それはそれは遠路遥々。申し遅れました。某、名をシンと申します」
シンはそう言うと、深く一礼した。
「これはこれはご丁寧に。アタシはユリ。退治屋やってる。で、こっちが相方の牛頭法士。そっちがヒナノに、そっちがゴウだよ」
シンがよしなにと、もう一度頭を下げる。そのユリの雑な紹介に、ヒナノが後ろで何か言いた気で言葉を呑み込んだのが分かった。
「しかし、生憎、カエデは何処かへ旅中にございます」
「いつ頃お帰りになるか分かるかい?」
「申し訳ございません。カエデは時折筆と紙を持って、行先も告げずふらりと旅に出ては、ふらりと戻って来る故・・・・」
「いつ頃戻って来るか分からないってことかい。そいつは困ったねぇ」
ユリの頭の中ですぐさま算術が始まる。まず浮かんだのはカエデの帰りを待つまでの滞在費だ。都のまともな宿はどこも高い。これは安価な木賃宿を選ばざるを得ないか。
それであっても、いつカエデに会えるか分からない以上、路銀が底をつく恐れがある。滞在中に魔物を狩って身銭を稼ぐ必要がある。これは日常のことである為、さして問題はない。問題は、テイワの動きだ。ユリの勘が当たる様なことがあるならば、何かしらに巻き込まれるかもしれない。オウキョウでの滞在は短いに越したことはない。
「せっかくお越し頂いたのです。中へどうぞ。今、茶をお淹れ致します」
シンが客人を招き入れようと、掌を家中へ向けた。ユリは牛頭法士へ視線を送ると、彼は軽く首肯して見せた。
「じゃ、折角だから、ちょいと上がらせてもらおうかねぇ」
ユリ達四人は招きを受け入れた。シンの後ろに従い、玄関と次の間を抜け、表座敷へ通される。床の間には空を舞う鳥の掛軸が掛けられ、それを引き立てる様に花が一輪控えめに飾られていた。その横には木の曲がりを生かした歪み柱が主張していた。部屋の中央には湯を立てる為の炉があり、そこへ茶釜が置かれている。既に茶器も用意されているのを見ると、常日頃から来客が多いのか、それとも客人がやって来るのを分かっていたのか。
「これは、カエデ殿の作か?」
牛頭法士が掛軸に見入りながらシンに訊いた。
「はい。祖母の作には鳥が多ございまして」
シンは手早く座布団を並べながら言った。
「ふむ、見事だ。失礼する」
牛頭法士はそう言うと、無駄のない所作で敷かれた座布団の上へ胡座を組んだ。シンは自分が誉められたかの様に笑顔を浮かべながら一礼した。笑うと年相応の無邪気さが現れる。
「なんか、この部屋暗いね」
ヒナノが無遠慮に言った。悪気はないのだろう。思ったことをつい口に出してしまう、彼女の癖だ。
「失礼致しました。今」
シンは障子戸の方へ手を伸ばして空を扇いだ。瞬間、ユリの眼には魔術が放たれたことが写った。
音もなく障子戸が開く。よく磨かれた縁側と手入れの行き届いた庭が姿を現したが、ユリの関心はそこにはなかった。
物を動かすのは初歩の魔術だが、放魔に至るまで淀みがなく、瞬きほどの僅かの間で行われた。しかも、戸は音もなく開いた。放つ力が強過ぎれば大きな音を立てるし、弱過ぎれば戸は開かない。無駄な力を一切加えず、操作出来ている証拠だ。
「ほう・・・・」
牛頭法士がシンを見ながら、そう言葉を漏らしていた。ユリと同じことを思ったのだろう。
「綺麗なお庭だね」
ヒナノが庭へ眼を向け甲高い声を上げた。その横で、ゴウはシンをジッと見ていた。彼も気付いたか。
「ありがとうございます。ささ、どうぞお座りになってください」
ユリもヒナノもゴウも、勧めを受け入れて座布団の上に座った。
「では」
シンが茶釜へ向けて手をかざした。そこへ元素が集まり放たれる。
魔術を受けた茶釜は、その蓋の隙間から湯気を立ち昇らせた。それもほんの一呼吸の間であった。
火を放たず、熱のみを伝える魔術「些火不」だ。
「えっ、すごい・・・・」
ヒナノが小さく感嘆の声を上げる。彼女もようやく気付いたか。
その声をよそにシンは小慣れた手付きで茶を淹れた。白磁の湯飲みに淹れられた茶を四人それぞれの前へ差し出す。
「頂くよ」
ユリが真っ先に湯飲みに手を伸ばし、茶を口に含む。渋みが主張せず、甘味と旨味が口から鼻へ抜けた。
湯を魔術で温めようとするとどうしても沸騰する程に強く放魔しがちだが、これは熱過ぎることもなく温過ぎることもなく、適温に温められている。
「こいつは見事だねぇ。あんたその年頃で相当な術士だよ」
「とんでもございません」
「誰に教えてもらったんだい?」
「基本は母から学びました。カムナは書物から。後は見様見真似で。オウキョウには優れた術士が多ございますから」
「じゃあ、見ただけか・・・・すごいね」
そう言うゴウも、他人の技を見ただけで吸収してしまう才覚の持ち主だ。いつも通り表情は変わらないが、嬉しそうな顔に見える。ゴウのこの無表情も最近読める様になってきた。
「そのお母さんは今日どうしてるの? お父さんは? お爺さんは? シン君一人だけ?」
ヒナノが矢継ぎ早に訊いた。
「祖父は某が生まれる前に亡くなったと聞きます。父と母は、お恥ずかしい話なのですが」
シンは何やら含んだ笑いを浮かべながら、自らの湯飲みにも茶を淹れた。ヒナノは答えずらい質問をしてしまったかもしれない。
「父は腕の良い退治屋でもあるのですが、祖母同様放浪癖がございまして、ふらりと家を出て行っては戻らず、母はそんな父に呆れ果て、二年ほど前に三行半を書き残し出て行きました」
「それはそれは・・・・」
ユリの下衆な勘が働く。三行半を突きつけられたのは放浪癖が原因だけではないな、と。しかし、それを今ここで確かめようとは思わない。このシンからは何か縁を感じる。そのうち自然と答え合わせが叶うだろう。これも勘だが。
「なんか、ごめんね。答え辛いこと聞いちゃって・・・・」
ヒナノが眉尻を下げる。憐れみと自戒か。彼女のコロコロ変わる表情は見ていて飽きない。ユリは口元へ溢れる笑みを、湯飲み運んで隠した。
「いえ・・・・」
シンは首を横へ振り、茶を一口啜った。
「あんた、術位はいくつだい? アタシの見立てじゃ、中一位でもおかしくない」
術位とはアマツの国で魔術の成熟度に応じて与えられる位のことだ。上から大中小。更に各一位、二位、三位と分かれる。即ち、九段階の位から成る。
「某は、まだ十になったばかり故、術位を頂いておりません。この国では十二になるまで術位は与えて頂けませんから」
「十? ワタシはてっきりゴウと同い年ぐらいだと思ってたよ!」
ヒナノが眼をまん丸にした。
「年が足りなくても、あんたみたいな才覚の持ち主だったら、術位をもらえるはずさ。ああ、そうか。この国じゃ吹挙人が必要だったねぇ」
「吹挙人って? 山育ちはヤダな。ワタシなんにも知らないや」
「自らを嫌悪せずとも良い。ヒナノは若い。知識ならこれから身に付ければ良い」
牛頭法士の声は野太いが、どこか優しい。ヒナノはその言葉に、顔を明るくして頷いた。素直だ。
「吹挙人ってのは、『この子凄いですよぉ』ってお上へ申し出来る人らのことさ。大三位以上の術士に認められてる。吹挙人が、術位を与えている『術士院』へ上申すれば、まあ、大抵は通るさ。アタシの知り合いに何人か大三位以上の術士がいるよ。紹介してあげようか?」
「いえ、有難いお話ですが、術位を頂くとそれに縛られることが増えると聞きます。某は未だ将来を決め兼ねております故」
「確かに、術位を持つとお上からあれやこれと命じられるし、戦となったら駆り出されるからねぇ。でも、その分アタシら野良の退治屋なんかよりも身入りもデカいし、地位も高い」
「ふうむ、しかし・・・・」
シンが顎に手を遣る。誰かを真似たのか、自ずと滲み出したのか。どちらにせよ、子供の風情ではない。
「まあ、この国は民に悩める余地を与えてくれるからねぇ。存分に悩めば良いさ。術位は、嫌になったら抜けることも出来るしねぇ」
横でヒナノが張り子の様に何度も頷いていた。彼女の母ミズキも術位を抜けて、シメグリの一族へ嫁いだのだった。
「シン君はすごいね。魔術もだけど、氣法も使えるみたいだし」
会話の間が空き、ゴウがそう言葉を差し込んだ。ずっと切り出したかったのかもしれない。シンは一つ息を呑み驚いた顔をした。
「確かに、某は氣法を使えます。しかし、何故それを?」
「氣法が使える人達って佇まいが独特なんだ。己の肉体と、そこを巡っている氣と結び付きが強い。肉体の中に輪が常に在る感じなんだ」
「ゴウ、あんた・・・・」
今度はユリが驚いた。教えもしないのに、もうそれが見抜ける様になったか。氣法を学び始めて一月余りと思うと、凄まじいばかりの成長速度だ。
「うむ。大したものだ。確かに、ゴウの言ったことは氣法を使える者の特徴に当てはまる。しかし、そうであっても、使えない者もいる上に、その逆の者もいる」
「逆の者って、己とそこを巡っている結び付きが弱いのに、氣法も使えるってこと? 魔物みたいだね。鬼ってやつ?」
鬼。ゴウは何気なく言ったのだろう。しかし、ユリの体の内が無意識に反応してしまう。もやりとした塊が喉奥に沸き、それを吐き出す様に彼女は一つ短く咳をした。
それに牛頭法士が顎を引きながら視線を送る。「すまぬ」その眼が短く語っていることが分かった。
「その様な者に出会うのは稀だがな。全てに例外があると、心得ておけば良い」
「うん。全てに例外か・・・・面白いね」
ゴウはそう言って無表情に腕組みをした。とてもそう思っている様には見えない。面白いのはゴウの方だ。
「ところで、シンは誰に氣法を教えてもらったんだい?」
話題を逸らすと同時に、ユリの興味を持ったことを訊く。
「祖母にいつも鍛えられております。しかし、初めに教わったのは、出奔した父でして」
「なるほどねぇ」
ユリの見立てだと、シンはこの歳で既に広目を使えるほどに氣法の熟達度が高い。それは彼の才覚だけでなく、教える者の資質も高いからだろう。
「尚のこと、カエデ殿に会ってみたくなった。それと、お前の父上にもな」
これは牛頭法士の悪癖なのだろうか、それとも良癖なのだろうか。目的を其方退けで、すぐに好人物に会いたくなる。
「父には・・・・。いえ、父は今いずこにいるのやら皆目見当もつきません。祖母も早く戻って来られると良いのですが」
シンが茶を啜る。その様から、彼が祖母のカエデに強く影響を受けていることが想像出来た。
ユリも茶を啜りつつ、庭に眼を遣る。じわりと温い穏やかな春の日だ。こんな日にはフラフラと考えもせず彷徨い歩いてみたくなるものだ。
カエデの帰還はまだ先になりそうだ。旅に、それが想うがままであるならば尚更、道草はつきものであるからだ。
なら、こちらも足止めを楽しんでみようか。ユリにそう思わせたのは、シンの淹れた茶のせいなのかもしれない。