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塔を砕く魔王と、輪を繋ぐ龍。  作者: 十輪 かむ
真中へ集いし [二の巻 始]
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五十三の話

「うん。気持ち良い風が吹いて来た」


 緩りとした歩調に合わせる様な風であった。


 両手を伸ばすと、袖の振りがひらりと揺れる。その深碧にも見える瞳に映る景色は、新芽の芽吹き出した草木が広がる平原であった。


 鬱金色の伸びるに任せた長い髪、猫の様な悪戯を含んだ大きな眼、低く筋の通った鼻、小さな顎に不釣り合いに大きく横に広がった口。


 顔立ちから少女にも妙齢の女性にも見える。細身で高い背丈に、内に纏う着物は男性のものだが、肩にかける領巾は女性のものである。その為一見しただけでは男か女かは分からない。


「シナツ様、もっと急ぎましょうよ」


 獣人の彼女が、眉間に皺を寄せ甲高い声で急かして来る。


 二つの尖った耳をピンと張り苛立ちを示している。もっとも、そうした顔も愛らしい。と、シナツは口元を緩めた。


 黒目がちなつぶらな瞳がそう感じさせるのだろう。いや、白い体毛に覆われた顔の中で、鼻の頭だけがちょこんと黒いのもその理由だ。彼女の纏う薄桃色の着物も、その愛らしさを引き立てている。


「う~ん、ミシロ。君は愛らしいね」


 細い指の間を広げて、ミシロの頭の上で手の平をぽんぽんと弾ませる。


「ワンコみたいに扱わないでくださいよ。ワタシは狼の獣人ですよ」


 そう言われる度に疑いたくなる。


 ミシロの身の丈は五尺にも満たない。狼族は大柄で、女性でさえ六尺を超えるのが通常だ。しかし、この気位の高さは狼族らしいとも言える。


「まあまあ、女同士なんだから気楽な旅をしようじゃないか」


「シナツ様はお気楽過ぎでは? このままだと、お約束には間に合いませんよ」


「約束かぁ。僕が遅れてもどうにかなるでしょ」


「なりません」


 ミシロは語気を強めて言った。その表情の怒りの色がより濃くなる。そして、より愛らしくなる。狙い通りだ。


 シナツは堪らず再びミシロの頭に手を伸ばした。


「よし、よし」


「もう、知りませんからね」


 そう言いつつ、ミシロはシナツの撫でる手を振り払いもせず受け入れていた。いつもの型だ。諦めか、慣れか。


「何故シナツ様の天意を使わないんです? あれを使えばオウキョウまでひとっ飛びなのに」


「う~ん。気分かなぁ。ゆっくり旅したい気分だったからさ。それに天意ってズルしてるみたいで面白くないし」


「シナツ様って、ほんっと、お気楽ですよね! ビャクレイはおろか、この大陸が変革されるかもしれないのに」


「いやぁ、そんなに褒められると照れちゃうよ」


「褒めてません。呆れてるんです! もう!」


 ミシロは、速足でスタスタと歩き出してしまった。怒った後ろ姿も愛らしい。


 シナツの大きな口がニヤけて横へ大きく広がる。だが、少々怒らせ過ぎたか。


 シナツは、ミシロの歩くその先に目をやった。


 先程から気になっていた。瓦屋根のこじんまりとした建家と、そこにひらめく幟旗が見える。


 旗は風に踊っているが、書かれている文字は遠目からでも読める。お団子、甘酒。茶屋だ。丁度良い。


「ミシロ、あそこの茶屋でお団子食べよう」


 小走りになり、ミシロの腕を引っ張る。


「ちょっと、シナツ様」


 ミシロが困惑と抗議の混じった声を上げる。そんな時間などないと言いたいのだろう。


 構うことはない。甘い団子一つその口に放り込んでやれ。そうしたら、それを楽しむ時間なんていくらでも湧く。


 シナツは、ミシロの腕を引いたまま走る速度を上げた。


「みたらし団子、二つくださいな!」


 茶屋の店先にたどり着くなり、シナツはそう声を上げた。


 急に立ち止まる彼女の肩口に、ミシロは額をぶつけた。小さく短い悲鳴が上がる。

「ほらほら、ミシロも座って座ってぇ」


 膨れつらのままのミシロを、空いている縁台の一つに無理矢理座らせる。


 先客は一人か。シナツ達と同じく、旅の途中と思われる老婆が一人座り、ゆっくりと茶をすすっていた。白髪で顔には深い皺が刻まれているが、頬は引き締まり眼光も鋭い。背筋は丸まることなく、しゃんと伸びている。


 氣を引く人だな。シナツは、その老婆に一瞬興味を奪われた。


「しょうがないですね。少しだけですよ」


 シナツの隣でミシロがすました顔を作っていた。だが、この愛らしい彼女が甘味に目がないのは分かっている。このあたりも狼族としては稀有だ。


「いらっしゃいまし。どうぞ」


 おっとり間延びした声だった。歳の頃は二十歳そこそこだろうか。


 若い娘が、盆に茶と団子を乗せて運んで来た。眉が太く若干田舎臭さを感じるが、目鼻立ちは良い。


「おっ、君、別嬪さんだねぇ」


 シナツが軽口を投げると、娘は微笑みで応えた。言われ慣れている印象だ。この器量なら当然か。


「シナツ様、さっさと食べて行きますよ」


 ミシロが急かす。


 既に左に茶の入った湯飲み、右には串刺された団子を手にしていた。言葉はシナツへ向けられたものだったのだろう。


 が、その口と眼は団子へ向けられていた為、何処か空回っていた。


 ほど良い焦げ色の付いた団子に琥珀色の葛餡が照りを与えて、それを写すミシロの眼も輝かせていた。


「いただきまっ・・・・」


 言い終わらぬうちに、ミシロは串から団子の一つを噛み取る。


「うんうん。ゆっくりお食べ」


 団子を頬張るミシロの頭を軽く撫で、シナツもその甘味へ手を伸ばそうとした時だった。


「サヨ!」


 一人の男が走って来るなり叫んだ。


 それが自分の名だったのだろう。茶屋の娘は、男へ向けて飛び跳ねる様に視線を移した。

 

 男は上背はないが、がっしりとした体付きである。顔が四角で首が太い。男の眼は血走り鼻息が荒い。走って来た為か、違う理由か。


「イチタさん」


「おっと、こいつは・・・・」


 茶屋娘の声に震えが混じっていた。シナツは団子へ手を伸ばすのを止めた。


「サヨ、俺の、俺の嫁になってくれ。頼む」


 男はサヨの前に跪き、両の手の平を合わせた。


「あら・・・・」


 ミシロが団子を咀嚼する口を押さえながら、その様子に見入っていた。


 求婚か。中々面白い光景ではある。シナツは思わず薄ら笑いを浮かべてしまった。

 

 だが、このイチタという男の猪突猛進ぶりと、それを見るサヨの恐れを含んだ眼だ。少々厄介な男かもしれない。


「堪忍して。イチタさん。何度来られても、無理なの」


 やはりな。シナツはそう心の内で呟きながら、息を一つ吐いた。


「そうか。・・・・なら仕方ねぇ。嫁になってくれねぇなら、お前を殺して、オラも死ぬ!」


 イチタは立ち上がるなり、懐から匕首を取り出した。血走った眼と狂った呼吸の拍子が、男の言葉が本意であると示していた。


 光る切先に茶屋娘の恐怖に歪んだ顔が映る。その口から息とも悲鳴ともつかない音が漏れ出している。


 イチタの突然の凶行に、サヨは脚を竦ませて動けない様だ。


「もう、しょうがないな」


「待って、ミシロ」


 団子を皿に置き立ち上がろうとするミシロを、シナツは制した。「何故に?」そんな表情をミシロが向ける。


「おおおお!」


 殺意に染まった雄叫びが上がる。イチタはサヨへ突き立てようと匕首を振り上げた。その瞬間だった。


「イッ・・・・!」


 突如、イチタの匕首を持つ手が何かに弾かれた。

 

 シナツは、足元に転がった刃を踏み付ける。それと共に地面に落ちたのは湯飲みであった。


「まったく、ゆっくり茶を飲みたかったんだがね」


 隣の縁台で老婆がゆらりと立ち上がった。

 

 シナツの眼はしかと捉えていた。イチタの匕首を持つ手を湯飲みを投げて弾いたのは、この老婆であることを。


「な、なんだババア!」


 男が自分より一回りも二回りも小さな老婆に凄む。だが、当の老婆は眉根の一つも動かさない。


「情けない男だ」


 老婆が独り言の様に吐き捨てる。だが、返ってそれがイチタに突き刺さってしまったらしい。


「ぶっ殺す!」


 その殺意の矛先が一瞬で切り替わる。イチタは、老婆へ向け拳を振り上げ突進していた。


 老婆の顔へ狂気の塊が届く刹那だった。


 老婆が、男の伸ばした腕へ素早く手の平を絡ませた様に見えた。それと同時にイチタの体が空でぐるりと回り、脚を天に背を地へ向けていた。


 シナツは、男が地面へ背を打ち付けるまでの間、その顔が怒りから驚愕や恐怖が入り混じった表情へ変わっていくのを眺めていた。


 地面へ背を付けるイチタの腕を、老婆が片手で捻り上げる。その腕にまるで力が入っている様子はない。赤子の手を捻る。まさにその様相であった。


「痛い、痛い! 離せ! 離してくれよ!」


 苦悶の表情でイチタは大声を上げた。


「うむ。では、その娘に謝れ。そして、二度と来ないと誓え」


「言う! 言うから離してくれよ!」


 老婆はイチタの懇願に応え、その手を離した。


一瞬、イチタは再び飛びかからんとする気配を見せた。だが、老婆の一睨みで大人しくなり、地面へ膝を折りたたみ正座となった。


「す、すまなかった。サヨ、オラは二度とこんなことはしねぇ・・・・」


 イチタは耳を側立ててやっと聴こえる声で言い、サヨへ頭を下げた。


 茶屋娘はそれを受けて戸惑いの表情を浮かべるばかりで、短い返答さえもその喉奥から出せない様子であった。


「いや、御老人。あんた、やるねぇ!」


 シナツが素っ頓狂に声を上げる。このまま見ていても、ことが進みそうにない。


「だけど、まあ、念の為さ。ミシロ」


「はい」


 シナツの要求に、ミシロがすぐさま動く。


 懐から白紙の札と筆を取り出すと、流れる筆致で何かを瞬時に書き上げた。丸や直線が組み合わされた渦を為す図形。カムナだ。


「はい、これをじっと見て」


 ミシロがイチタの前へ札を掲げる。言われた通りに、男の眼がそれに吸い寄せられる。


現世うつしよ


 ミシロはその魔術の名を口にすると、イチタの頭頂を軽く叩いた。彼の瞳孔がぼやりと広がる。


「はい、これ持ってください」


 ミシロがカムナの書かれた札をサヨへ渡す。すると、イチタは突然わなわなと震え出した。

 

 その視線の先にはサヨが不思議そうな顔で立っている。


「え? あの・・・・」


 サヨが短く声を発しただけだった。イチタの顔は見る間に蒼白になり、腰を抜かしたのか、這う様にサヨから離れていく。


「た、た、助けてくれぇ!」


 イチタはやっとの様子で立ち上がると、訳の分からない言葉を発しながら走り去っていった。


「うん。流石、ミシロ。覿面だね」


 シナツの賛美を、ミシロはただお辞儀をして受け取った。


「あの、これは?」


 未だにサヨは不思議そうな顔を浮かべていた。魔術の類をあまり見たことがないのだろう。


「ミシロがあのイチタって男へ魔術をかけたのさ。イチタにとってその札を持った者は、世にも恐ろしい魔物に見えているはずさ」


 現世。対象となる者の心深くに巣食う最も醜いものを引き出し、眼前に魔物の姿として見せる術だ。心の弱い者なら、それを見て更に己の醜さを増大させ、眼前の魔物も恐ろしく変化させ続ける。ただ魔物の幻を見せる術とは似て非なるものだ。


「はあ、魔術ですか・・・・」


「その札を持ってさえいれば、あの男は遠ざけられるよ」


「・・・・ありがとうございます」


 サヨはまだ掴み切れないといった表情だったが、そう言って深く頭を下げた。


「ほう、大したものだ。心を操る魔術か。狐族や狸族が得意とするはずだが、狼族が使うとは珍しい。しかも、中々に熟達した術士と見える」


 老婆がミシロへ感心の眼を向ける。


「ええ、そうですかぁ? 確かに狼族のワタシが魔術なんて珍しいですよね。狼族のワタシが。ウフフッ」


 ミシロが嬉しさで持ち上がる頬を手の平を当てて隠そうとするが、隠し切れていない。


「え? お犬様かと・・・・」


 茶屋娘は、聴こえるか聴こえないかの声で、誰もが抱くであろう疑問を漏らしていた。


 まあ、狐も狸も、狼も、皆ワンコだからな。シナツは口には出さず心の内で呟くに留めておいた。


「ところで、おぬし。悪戯に他人を試そうとするでないぞ」


 老婆が刃の様な視線をシナツへ向ける。


「いやぁ、やっぱ、バレてたか。こいつは申し訳ない」


 シナツは、鳥が餌を突く様にヒョコと頭を下げた。


「しかし御老人、あなた相当に名の通った使い手とお見受けする。宜ければ、お名前をお教え頂きたい」


 シナツは神妙な真顔と言葉を作った。


「名か。まあ、良いだろう。減るものではないしな。名はカエデ。号を秋風として、オウキョウで細々と絵師をやっておる」


「へぇ、絵師さんか」


「ワタシが名乗ったのだ。おぬしも名乗ってもらうぞ。もっとも、ぬしらは名乗れば減りそうだが」


「むむ、そこまで見抜いてるかぁ。僕はシナツ。で、こっちはお供のミシロ。ビャクレイからオウキョウへ物見遊山がてらに旅してます。まあ、それ以上は言うと色々減っちゃうから、詮索しないでね」


「・・・・喰えん奴だ」


「よく言われます。でも、喰えないのはお互い様でしょ」


 シナツの送った強い視線に、老婆も呼応して返した。


「まあまあ、腹の探り合いは甘酒でも飲みながらにしない? ご迷惑かけたんで、奢りますよ」


「・・・・いや、せっかくだが、少々急ぐ用があるのでな」


 カエデはそそくさと出立の準備を整える。


「それは残念。んじゃ、サヨちゃん。甘酒二つお願いね」


「はい、只今」


 サヨは小気味の良い声で応えると、店の奥へ駆けていった。


「では」


 カエデはそう短く言うと、店を後にした。シナツがその背に手を振る。


 歳を感じさせぬ足取りだ。脚幅も大きく、歩調も速い。見る間にその姿は小さく見えなくなっていった。


 横ではミシロが眉間に皺を作って、何か言いたげな顔をしていた。流石に気づいたか。さっきまでおだてられて喜んでいたのが嘘の様だ。


「ミシロ、あの御老人どう思う?」


 シナツはみたらし団子を手に取り、その一つをかじり取った。


「はい。十中八九、アマツの『鳩』か『鴉』ではないかと」


 ミシロは眉間に皺を寄せたままだった。そうした顔も愛らしい。


 シナツは茶を啜り喉の奥へ団子を流し込んだ。茶はすっかり温くなっていた。


「まっ、だろうねぇ」


「いかが致しますか? 消しますか?」


「やだなぁ、ミシロ。物騒なこと言わないでよ。そんなつもりないよ。それに、あのカエデさん、相当な使い手だよ。チンピラ相手だったとは言え、氣が微塵も乱れていなかった。あれは僕でも、本気を出さなきゃいけない」


「では・・・・」


「僕らは、これまで通り、ゆっくり旅するだけさ」


「・・・・シナツ様は本当にお気楽ですね」


 ミシロは眉間の皺に加えて頬を膨らませた。


 これは甘酒を加えたくらいでは機嫌良くなりそうもないな。でも、不機嫌な顔で甘味を頬張る彼女の姿も、それはそれで愛らしいだろう。


 シナツはそれを想像して思わず笑みを浮かべ、その顔を覚られまいと茶をすするのだった。

 

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