四十九の話
酒宴も終わり、シメグリの一族が寝静まった頃。クレハは一人切り立つ大岩の上に座っていた。
胡座を組む足元には酒徳利が置かれている。周りには石ころの他何もない開けた場所である。
コト川の源流へ赴いた際には、この場所で星を見ながら一人酒を飲むのがクレハの密かな楽しみであった。
だが、今回は一人でとはいかなそうだ。杯をもう一つ用意しておいて良かった。最近の勘の冴えはクレハ自身も怖いくらいであった。
「へぇ、星見酒かい? こいつはまた風流だねぇ」
ユリがやって来る。星空の明かりしかないのにも関わらず、彼女の緋色の髪は鮮明であった。クレハは隣へ座るユリに、杯を手渡した。
「こいつは用意が良いね」
渡した杯に酒を注いでやる。ユリはそれを遠慮する素振りも見せず、一気に呷った。見た目に反さない女だ。空になった杯にもう一献注いでやる。
「で、何が聞きたい?」
言いながらクレハも自分の杯に酒を注ぎ、舐める様に一口含んだ。
「流石勘が良いねぇ。聞きたいのは、祈りってやつのことさ。アタシは、あのアオシマ瑪瑙はこの杯みたいなもんだって思ってる。肝心なのはそこへ注がれる酒。つまりは祈りの力の方さ。何に対して、どんなことを祈ってるんだい?」
「・・・・ここに在る」
「へっ?」
ユリの呆気に取られた声を横に、クレハは夜空の星を見ながら酒をもう一口喉に流し込んだ。
「もっとこう、神様に感謝するとか、そういったことはないのかい? それとも、それも秘中の秘なのかい?」
「いや、ワタシが伝えられたのはそれだけだよ。歩きながら、己が今ここに在ることを確信する。それだけさ」
「そいつは単純過ぎて、逆に分からないね・・・・・。どういう意味なんだい?」
「それは伝えられていない。それもまた、自分で考え各々で答えを出さなければならないってことだろう」
「なるほどねぇ。シメグリの一族は考えさせるのが好きだねぇ。つまりは考えること自体が力ってことなんだろうね」
ユリも星を見ながら酒を自らに注ぐ。
「それもあるだろう。だが、ワタシの考えでは、己に宿る最も強い力を感じろということだと思っている。想いや感情は、あるきっかけでとても強くなれば、逆にとても弱くなりもする。酷く不安定なのだ。その様なものを祈りとして運ぶなら、我らはとうの昔に歩みを止めてしまっていただろう」
酔いが回って来たのか、クレハの口はいつもより回った。回り過ぎて余計なことまで話してしまったかもしれない。
「ありがとうねぇ。そいつは貴重なことを聞かせてもらったよ。差し詰め、追加報酬ってところかい?」
「いや、ここまで話したんだ。ワタシも聞かせてもらうよ。お前と牛頭の目的をね」
ユリは杯の酒を飲み干し、もう一献注ぐ様に促した。酔いたいのか、酔わなければ話せないことなのか、クレハは再びその杯に酒を注いでやった。
「アタシの目的はちっぽけなもんさ。魔物へ、鬼へなっちまったある男を、人へ戻すことさ」
ユリの視線は遠くの夜空の更にその先にある様だった。
「理の外を覗いてまで目的を為そうとは、その男はユリの想い人か?」
「まあね」
ユリは短く笑った。
「だけど、牛頭法士は違う。あいつは力を広め、人々を平に成そうとしているのさ」
「平にか。それはまた・・・・」
不自然なことを、と次いで出そうになったのを、クレハは呑み込んだ。理の外を望むのだ。不自然であって、当然だ。そして、その目的がとてつもなく大きいこともだ。
「ゴウとヒナノちゃんは巻き込まないつもりさ。アオシマ瑪瑙の替わりになるものが見付かったら、すぐに一族へ戻してやるさ」
「・・・・よろしく頼む」
クレハの勘がまたゾワゾワと働いた。ゴウとヒナノの帰還はもっと先になるだろう。二人の成長の為ならそれもしょうがない。だが、当たって欲しくない勘である。酒に酔った勘だ。当る訳がない。
クレハはそれを確かなものにする為、もう少し酒に酔うことにした。生憎、その連れも横にいる。肴になる星空もある。