四十七の話
シメグリの一族とその用心棒達は、コト川の源流へ向けて歩を進めていた。
ゴウの命宿らぬ体は、釣台に乗せられ丁重に運ばれていた。術士が交代でその体に魔術を施す。ゴウの肉体が腐らぬように冷気を当て続けるのだ。
二日過ぎた。一族が歩き辿り着いたその場所には、高さ五丈はあろうかという二つの大岩が門のようにそびえていた。
その合間からは小川がせせらいでいた。幾百もの木鈴が転がる様な小気味良い響きである。色を当てはめることを憚るほど透明な流れだ。自然と一族の皆が笑顔を浮かべる。それは、その流れがコト川の初めであることを示していた。
小川に添い歩を進め、大岩の門をくぐると果たしてその輝きは姿を現した。
「ここが目的の場所かい?」
ユリがクレハに訊く。
「うむ。そうだ。これがコト川の源流、『虹湧きの泉』だ」
泉はそのぐるりを岩に囲まれていたが、丁度正午の日が岩の合間から差し込み、その光を映して輝きを放っていた。
「虹が湧くのかい? それはまた素敵だねぇ」
「だが、それがただの御伽話の類ではないことは、この氣の流れの凄まじさが示している」
牛頭法士が言う。しかし、この回復ぶりは呆れるほどだ。つい先日の死闘がなかったかの様だ。
いくらヒナノの治癒術がてき面で傷が全て癒えたとしても、氣の力が戻らず常人なら歩くのもやっとのはずだ。
実際、タヂカとの闘いで重傷を負って癒された一族の者は、ここまで馬の背に乗ってやって来たのだ。
「ああ、泉の水面は穏やかだけど、湧き出して来る氣はこりゃ噴出だねぇ。尽きることのない間欠泉みたいさ」
「うむ。ジン大陸の命の源と言われる四大大河の源流か。想像以上だ」
「この泉の水は地の底からこんこんと湧き出している。大地の底に眠る氣と共にな。それは大地の命の息吹そのものと言っても良い。蘇生術にはこの力を借りる。さあ、正午の日の光が差すうちに始めるよ」
クレハは一族の者達に指示を飛ばした。
男達四人でゴウの体を泉の中央へ運ぶ。泉の水深は浅く、男達の踝の少し上程しかない。ゴウの体を水の中に横たえると、水面にその鼻先が出る。
クレハがゴウの頭を足元にして立つ。他の者達は泉の周りにぐるりと立ちそれを見守った。
アオシマ瑪瑙はクレハの首元でその輝きを増して、着物の内から光が漏れ出すほどだった。クレハがそれを取り出す。握るのは瑪瑙ではなく、光の塊であるかの様だった。
やはり間違いない。クレハは確信を持った。
クレハがアオシマ瑪瑙をゴウの胸の上に乗せる。そして、泉の底に両膝を付き、ゴウの額の上に手の平を置く。アオシマ瑪瑙が放つ光と、日の光と、それを映す泉の光とが合わさる。
クレハは氣を送り込むと共に、ゴウの在りし日のことを昔から順に想い出していく。そして、その記憶が今に至り重なった時、更に氣を込め言った。
「ゴウはここに在る」
その時、光は強さを増した。それは泉の周囲を白く染め上げるほどだった。
皆が光の眩さに手を覆う中で、クレハは、アオシマ瑪瑙が砕け散り、その粒子がゴウの体の中へ取り込まれていくのを見ていた。
ゴウの体に氣の小さな揺らめきが生まれ、瞬く間に激しい振動へと変化する。ゴウの体にタヂカが穿った傷が塞がっていく。命だ。ゴウに命が戻って来たのだ。
日は正午の天頂を通り過ぎ、泉は写す光を失っていた。真っ白に焼き付いた視界が元に戻っていく。
突如、ゴウが水中からガバリと起き上がった。泉の水を吸い込んでしまったのだろう。激しく咳き込んでいる。
「ゴウ!」
ヒナノが泉に分け入り、水しぶきを上げながら走って来る。
押し倒してしまうかという勢いで、ゴウの体に抱き付いた。その眼は既に大粒の涙であふれ返っていた。
「ただいま、ヒナノ、みんな」
ゴウは自分を取り囲む者達一人一人の顔に暖かな視線を送った。
クレハはゴウの表情を見て込み上げて来るものを感じた。感情が体を突き動かす。一族の長は、ゴウの体へヒナノと共に抱き付いていた。
「ゴウ!」
それを見ていた一族の者達は琴線に触れたのか、皆ゴウの名を呼びながら一斉に泉に入り集まって来る。
「おかえりなさい、ゴウ」
ミズキが涙混じりで言う。
「こいつは、たまげたな・・・・」
マサクニがいつもの頓狂な声を上げた。
「ゴウ、よくぞ戻って来てくれた」
水に腰を浸からせておくのも毒だ。クレハは優しく引き上げる様にゴウとヒナノを立たせた。
「戻してくれたのはみんなだよ。それに、変な感覚なんだ。すごく遠くにいたはずなのに、ずっとみんなの側にいた様な気がするんだ」
「側にだと?」
「うん。ずっと見てた」
「ずっとか? 牛頭法士とタヂカの闘いもか?」
「うん。でも、何も感じないから、夢を見てた様な感じだった」
「うむ・・・・そうか」
クレハはそう言葉を返すしかなかった。何分、蘇生術を使ったことも、それを使って生き返った者と話すのも、齢を重ねて来た長い年月の中で初めてのことだったからだ。
「そいつは面白いねぇ」
その声の方へ皆が眼を向ける。ユリだった。ユリも、その隣に立つ牛頭法士も泉の中へ脚を入れてなかった。牛頭法士は遠慮してのことの様だが、ユリは裾を濡らすのを嫌ってのことの様に思えた。
「用心棒代、しかと頂いたよ。アオシマ瑪瑙ってやつが鍵みたいだね。それが全ての力を繋いでいる様に見えたよ。でも、砕けちまったからなぁ・・・・」
「クレハ婆、そのアオシマ瑪瑙の替わりになるものはないの?」
ゴウが真っ直ぐな眼でクレハを見た。クレハの勘がざわざわと働き始めた。
「あれと同じ様な力を持つものがあると、聞いたことはある」
「どこに?」
「行く気なのか?」
ゴウは深く頷いた。それを見ていた一族の者達はざわ付き始めた。
「俺がこの体から離れている時に見えたんだ。みんなの祈りがあのアオシマ瑪瑙に繋がっているのを。だからあれはここになくちゃいけない」
「確かに、あの石は皆の祈りを繋ぎ、四つの大河の源流へ運ぶものだ。源流はその祈りに呼応して地の底から命の源を湧せると、ワタシも教えられた。しかし・・・・」
クレハの視界の隅でユリの眼が光るのが見えた。口を滑らせてしまったか。
いや、今となっては、この一族にユリと牛頭法士に聞かれてまずいことはもう残ってはいない。
それよりも今はゴウのことだ。アオシマ瑪瑙は砕けてしまった。と言うことは、もうその役目を終えた証なのだ。
しかし、あの類のものが必要なくなったわけではない。祈りを繋ぎ運ぶものがなくなった今、果たして大地は命の源を川に乗せて流してくれるのだろうか? それはクレハにも分からない。
「サラサ国にアオシマ瑪瑙と似た力を持つものがあると聞いたことがある。それ以上のことは、ワタシは知らん。しかし、この国の都オウキョウに、本来はこの一族の長になるはずだった者が住んでいる。ワタシの姉のカエデだ。姉ならもっと詳しく知っているだろう」
「婆様、では・・・・」
ミズキは覚った様だ。
「ああ。ゴウに行ってもらう」
ゴウの眼の力が強くなる。
「クレハ婆、ありがとう」
ゴウはクレハへ深々と一礼した。クレハにはゴウの体を巡る氣の質が変わったのが分かった。以前よりも更に活発に巡っている。
「シメグリは離れるのも自由なら戻るのも自由だ。実際、お前の父母も、ヒナノの父も、このワタシも一度離れた。ゴウが行きたいと言うなら、ワタシ達は送り出そう。それと、ヒナノ」
「はい」
ヒナノがその丸い眼差しを向ける。
「お前も一緒に行ってやれ。存分に外の世界を観て来ると良い。お前達二人の力が共に在れば、どの様な旅も怖れることはないだろう」
「はい!」
ヒナノが跳ねる様に一礼する。その眼はキラキラと輝いていた。
ミズキは暖かな笑みを浮かべながらヒナノの姿を見ていた。その頬を一筋涙が流れた。
「次の目的地は決まったね、牛頭法士」
ユリがゆるりと声を上げる。
「うむ。手掛かりは見えた」
「ってことさ。クレハさん、アタシ達もゴウとヒナノちゃんと一緒に行かせてもらうよ」
ユリの申し出にクレハは一瞬戸惑いを感じた。一族の為に命をかけてくれたとはいえ、この二人からは得体の知れなさは消えないのだ。
しかし、この二人と共に行くなら怖いものなど何もない。それにゴウとヒナノの更なる成長に繋がる良い師になるやもしれない。
「ユリ、牛頭法士。頼まれてくれるかい? 報酬は・・・・」
「おっと」
ユリが手の平を広げ、クレハの言葉を制する。
「アタシ達はもう共に旅をする仲間さ。報酬なんていらないよ。まっ、餞別だったら頂くけどね」
「ユリ」
牛頭法士の短いたしなめにユリが肩をすくめる。
「牛頭法士さん、ユリさん。よろしくお願いします」
ゴウが二人へ向かって深々と一礼する。
「やった。ユリさんと、牛頭さんと旅が出来るんだ・・・・」
ヒナノの眼は遠いどこかを見ていた。その頭の中はもう既に旅をしている様だ。
シメグリの大人達はゴウとヒナノへ笑顔を向けていた。しかし、その眼は皆どこか寂しげだった。
クレハはふと泉に映る自分の顔を見ると、同じ顔をしていることに気付くのだった。