四十一の話
タヂカは貫いたゴウの体を投げ捨てた。
まるで塵のように扱う。クレハは腹の底から怒りが沸き起こった。全身を巡る血が熱い。その血で臓腑が焼け焦げる想いだった。
「お前は、殺す!」
クレハはウメガイの刃先をタヂカへ向けた。
「クソ、クソ、クソ!」
マサクニが刀を構えタヂカを睨み付ける。その眼には涙に滲んでいる。
「良い憎悪だ。仇を獲るか? もっとも、お前達には無理だがな」
言い捨て、薄笑いを浮かべるタヂカへ向かって、クレハとマサクニは走っていた。無理だと分かっている。だが、クレハは自分の怒りを止められなかった。マサクニも同様だろう。
しかし、次の瞬間だった。タヂカとの間へ割って入るかのように二つの影が現れた。
クレハとマサクニは思わず脚を止めた。これは見覚えがある魔術だ。その影はすぐさま人の形へ成した。
背を向けて立つ二人のそれも見覚えのあるものであった。二本の角を頭の頂に持つ雄牛の獣人。緋色の髪の着物を優美に着崩した女。牛頭法士とユリであった。
「お前達、何故?」
「クレハさん。話は後だよ。この野郎、やりやがったね」
「タヂカ、貴様は絶対に許さん」
二人の声色は怒りを帯びていた。ゴウの変わり果てた姿を見たのだろう。
「マサクニ、早くゴウをヒナノちゃんの元へ連れて行くんだよ」
「お、おう」
ユリに言われた通り、マサクニはゴウを素早く抱え上げ、駆けていった。
「鬼ユリよ。こうしてお前が瞬転移で現れたということは、俺の兵達とイビとオボロは葬ったということか?」
「そうだねぇ。きっちり始末を付けてやったさ」
「そうか、それは面白い。牛頭に加えてお前のような強者と闘えるのか。僥倖だ」
タヂカが笑い声を上げる。この男はどこまでも闘うことしか考えていない。
「あんた、自分の部下がやられてどうも思わないのかい? 最低の屑野郎だね」
「いや、惜しい。イビもオボロも他に替えようもない逸材だったからな。だが、俺は今この時の方がもっと惜しいのだ。闘えるこの時がな」
タヂカはまたもや氣を猛らせた。一体どこまでこの男の氣は膨らむのか? それを身に受けているだけで、肉体が擦り切れてしまいそうだ。
「タヂカよ。お前の相手をするのはこの俺だ。ユリとクレハ殿はもう下がっていろ」
牛頭法士が前に出て振り向く。その眼から受ける印象は昨日までのものと違っていた。別人かとクレハが一瞬思ったほどだ。冷酷。そのような言葉が合うかもしれない。だが、それは他を寄せ付けない何らかの決意にも見える。
「クレハさん。アタシらはもう下がろう。みんなの怒りは牛頭法士が晴らしてくれるよ」
クレハとユリは牛頭法士を残して一族の皆の元へ走った。
そこでは皆がゴウを取り囲み、怒りと悲しみの声を上げていた。
その真ん中で、ヒナノは懸命に治癒の魔術をゴウに施していた。他に治癒術を使える者も、その癒しの手をゴウへ向けていた。
「ヒナノ。ゴウは、ゴウは・・・・」
クレハがヒナノへ駆け寄る。しかし、ヒナノは答えず治癒術を施し続けていた。
「ヒナノ?」
「クレハ婆。傷が、ゴウの傷がどうやっても塞がらないの。どうしてかな? こんなの、こんなの変だよ・・・・」
ヒナノがボソボソと呟くように言った。その眼からは涙が止めどなく流れ、泣き顔に崩れていた。
ヒナノの言う通り、ゴウの傷は全く塞がる様子がなかった。
治癒術は、周囲の元素の力を借りて命から発する自己治癒力を促進する術だと聞く。傷が塞がらないということは、自己治癒力がその体にないということだ。ということは・・・・。
「心音も消え、氣の流れも消えている・・・・」
クレハが静かに言った。それにヒナノは何度も首を横に振って答えた。治癒術も一向に止めようとしない。
「ヒナノ・・・・」
ミズキがヒナノに歩みより肩に手をかける。ミズキも言葉が出ないようだ。その眼からも涙が溢れていた。
「クソ、タヂカめ」
「弔いだ!」
「やってやる!」
一族の血気盛んな男達から声が上る。
「やめろ、お前達!」
そんなクレハの制止も聞かず、男達はタヂカへ向かっていく。
その時、炎の壁が男達の目の前へ噴き上がった。これには怒りに満ちた者達も脚を止めるしかなかった。
「いかせないよ」
ユリだった。
「何故だ?」
「邪魔するな!」
再び男達から声が上がる。怒りは収まっていないようだ。
「あんたらがいっても無駄死にするだけさ。武術の鍛錬をしているあんたらなら、その力量差が分かるだろ? そんな結末を迎える為に、毎日歩いて祈りを捧げてきたのかい?」
ユリの言葉に返答出来る者はいなかった。頭に血が上っている状態なら尚更言葉が出ないだろう。
「そうだ、お前達。ワタシらは生きるんだ。タヂカなら、きっと牛頭法士が倒してくれる。それにゴウなら、ゴウであるなら、もしかしたら・・・・」
クレハの勘が再び働く。
「それは、蘇生術のことかい?」
クレハはユリへ返答する為に、ミズキの元へ歩いた。
「アオシマ瑪瑙を」
ミズキはクレハに言われたものを懐から取り出した。それは薄くぼんやりと光っていた。
一族の長であるクレハはこれの持ち主だが、こうしてアオシマ瑪瑙が光るのを初めて見た。そしてそれは伝え聞いたことと一致している。クレハの勘はやはり当たっていた。
「このアオシマ瑪瑙は輪を繋ぎ、輪を癒す言われている。しかし、それは本来の力を隠す為の方便だ」
「方便? 嘘なのですか?」
ミズキが眉を寄せる。一族達もまた同様な顔付きだった。
「嘘ではない。本当のことを正確に言っていないだけだ。そして、真実は代々長にしか伝えられていない」
「へぇ。で、そいつを教えてくれるのかい?」
「ああ。今がその時だからな。真実は、小さき輪を繋ぎ輪を癒した後、大きな輪を繋ぐ者を呼ぶ。もし、その者が倒れる時、それを癒す。こうしてこれが光る時は、輪を繋ぐものが倒れたという証」
「なるほどねぇ、つまりそれが、輪を繋ぐ者が、ゴウだってことかい?」
「そうだ」
一族の間にどよめきが起こる。それは戸惑いとも期待とも思えるものであった。
「しかし、蘇生術はここでは施せん。コト川の源流へ、その力が必要だ。だからお前達、皆で生き、ゴウをそこへ連れていくんだ」
クレハの言葉に一族の者達は頷いた。それはさっきまで怒りに我を忘れていた男達も同様だった。
「よし、じゃあ、ヒナノちゃん。こっちへ来な」
ユリがヒナノに手招きをする。
「え?」
「アタシと一緒に前に出て障壁を張るんだ。皆で生きるには今はそれが必要さ。才能があるあんたには存分に奮ってもらわないと」
「ヒナノ、行きなさい。ワタシも術士のみんなも後ろから助けるわ」
ミズキがヒナノの背を押す。ヒナノはそれに頷き、意を決したようにユリの元へ向かった。その眼に残る涙は、ヒナノ自ら拭い去り振り払った。