三十九の話
岩土を巻き上げ、空氣を刃と成す。タヂカの触れるものは全て無慈悲な殺戮道具と化していた。
クレハが受けた先程のタヂカの一撃は氣法を四の輪まで広げていた為、運良く死なずに済んだ。骨格の弱いクレハにとってタヂカの一撃は致命傷になり兼ねない。瞬き一つも氣を緩めることは許されない。
「俺が前に出る」
ゴウがタヂカへ突進し、肘でその拳を受け止める。頑強な体だ。堕龍人が故か。常人が行えば、たちまち骨が砕け皮膚の外へと飛び出すだろう。いや、腕そのものがなくなるかもしれない。
「よし」
マサクニが素早くタヂカの後ろへ回り込み斬り付ける。だが、浅い。すぐさまタヂカの裏拳の逆襲が迫る。
マサクニはそれを地にへばり付くようにかわし、タヂカの腋の下へ向かって払い斬る。これも浅い。タヂカの一撃に恐怖があるのか、今一歩踏み込みが足りない。
「地の型、崩岩」
ゴウがタヂカの懐へ潜り込み、肘で当身を放つ。頑強な肉体同士がぶつかり合う衝撃で空気が震えた。
タヂカに効いた様子はなかったが、呼吸が一瞬乱れた。それをクレハは見逃さなかった。
「水の型、壊波」
クレハはタヂカの胸元へ飛び込み、その分厚い胸板に鎧の上から手の平を押し当てた。と同時に、内に脈打つ心臓へ向けて氣の波を放った。
人の体は水だ。波を伝え内側から破壊することが出来る。
「グフッ」
タヂカが咳き込み、一歩大きく後ろへよろめいた。そこへマサクニが待ち受けていた。顔の横で刀を水平に構え切先をタヂカへ向け、低く腰を落とす。
「風の型、音貫」
全身の力を切先へ乗せて、音を貫くほどの速度で突きを放つ。
が、タヂカの背に僅かに刃が食い込んだだけでそれは止まってしまった。
「ほう、折れぬか」
タヂカは薄笑いを浮かべた。
マサクニは素早く刀を抜き間合いを取る。
しかし、それは遅かった。タヂカははるかに速く間合いを詰めマサクニの首を掴み上げていた。
「貴様は速い。俺が見たところ、この一族でも一番だろう。だが、この俺が貴様より遅いと思ったか?」
タヂカはマサクニを無造作に放り投げた。マサクニの体は突風に煽られた木葉のように吹き飛び、山肌に激しく打ち付けられた。
致命傷なのか、マサクニの氣の流れを感じない。
「マサクニさん!」
ゴウが叫ぶ。
「さあ、一人減ったぞ。もっと愉しむことにしよう!」
タヂカは氣を昂らせた。それに触れた霧が消し飛ぶ。
「氣法・・・・二の輪」
ゴウの氣が爆発的に膨らむ。二人の氣によって、最早先ほどまで周囲が霧に覆われていたことなど嘘のように晴れ上がっていった。
「二の輪だと? ゴウは昨日氣法を覚えたばかりだぞ。しかし、これでは・・・・」
ゴウのタヂカを睨み付ける眼。あれは怒りだ。強い感情は強い力を生む。
だが、感情は恐ろしく不安定であり、そこから得られる力もまた不安定なのだ。
「待て、ゴウ!」
「うおおおおお!」
クレハの制止もその耳に届かなかったのだろう。ゴウが雄叫びを上げながら、タヂカへ突進していく。クレハはこんなゴウの姿を見た記憶がなかった。
「そうだ、それだ!」
タヂカは高笑いを上げながらゴウの攻撃を受け止めた。
ゴウは突き、蹴り、ウメガイによる斬り付けと、次々と繰り出していく。そのどれもが凄まじい速度だ。
しかし、そのどれもが力任せだ。技と呼べる代物ではない。タヂカも同様に力任せの拳を繰り出す。
「馬鹿者が!」
その叱責はゴウへ向けたものでも、タヂカへ向けたものでもある。
これがタヂカの求めたものだろう。己が欲望を、感情を、あるがままに拳に込めて振るう。これでは野性の猿と変わらない。
早く止めなければ。このままでは、ゴウは肉体が擦り切れるまで拳を振い続けるだろう。
しかし、このゴウとタヂカの間に割って入るのは自ら死を選ぶようなものだ。
「いってぇ・・・・。やっぱ堕龍人は凄いな。三の輪まで広げたのに、こりゃ、骨にヒビが入ってるな」
その声にクレハは驚き振り向いた。マサクニだった。脇腹を押さえ、右脚を引き摺っている。
「マサクニ、お前・・・・」
「死んだフリです」
飄々ととんでもないことをマサクニは言う。
「死んだフリだと? 氣が止まっていたぞ」
「父さんの家に伝わる秘伝で『息霞』って技です。氣の流れを一時的に止めるんです。まあ、秘伝だから、滅多じゃないことでは使うなって言われてたんですけど、今は滅多なことなんで」
「そのような技が・・・・ワタシも無知だね」
「タヂカの隙を伺って斬ってやろうと思ってたんですが、この中には入っていけないや。でも、使いどころ間違ったかな」
「そうだな。こうなったのは、お前にも責任はある」
「・・・・すみません」
「しょうがない。ワタシが二人の動きを弱める。その間にタヂカを斬れ。しかし、あれが斬れるか?」
「とっておきを使えば、一太刀だけなら」
「それでも奴の動きを止める程度だろうがな。やらんよりはマシさ。いくぞ」
クレハはゴウとタヂカの元へ素早く走り寄り、両腕を大きく広げた。氣法を四の輪まで一瞬で広げる。
「水の型、氷花狂咲」
次の瞬間、二人を取り囲む空気が凍て付き、白い結晶が二人の体を覆った。虚を突かれたのもあってか、ゴウとタヂカの動きは明らかに鈍った。
「やれ!」
クレハが呼ぶまでもなく、マサクニは既にその間合いにいた。納刀し柄に手をかけている。その氣の輪が広がっていく。
「居合、鉄輝」
マサクニの抜き放った刀は光を放っていた。そこへ濃密な氣が凄まじい速度で巡っている。鞘走りで加速した刃は、タヂカの脇腹を深く斬り込んだ。
さしものタヂカも痛みを感じたのか、脇腹を押さえ動きを止めた。
ゴウも目が覚めたように動きを止め、マサクニを見ている。
「貴様! 水を差しおって!」
タヂカが怒りの表情をマサクニへ向けた。効いている。この表情が何よりの証拠だ。
しかし、それで喜びを感じてはいけない。クレハの勘が働く。
「跳べ、マサクニ!」
しかし、マサクニは傷を負っていることに加え、大きな技を放った疲弊もあった。クレハの声に反応が遅れた。
その時にはもうタヂカは拳を振りかぶっていた。あれで動くのか? 殺られる。
クレハはマサクニの一瞬先の死を覚悟し、思わず眼を閉じた。
「うっ、何だ、これは?」
タヂカの驚きの声が聞こえた。しかもそれは頭上からであった。その声へ視線を向ける。
浮いている。タヂカの巨体が空へ浮いている。
ゴウがタヂカへ向かって手の平を広げている。これはゴウの天意だ。
「でかしたぞ、ゴウ」
「クレハ婆、マサクニさん。下がって」
クレハとマサクニはすぐに距離を取った。
ゴウは手の平を振り下ろす。それに呼応してタヂカは地へ落下し、その身を強く打ち付けた。平伏すタヂカの体は、周囲の岩土も巻き込むように尚も地へ沈み続けた。
「こ、こりゃあ・・・・」
マサクニが頓狂な声を上げる。クレハもつられて同じ声を上げるところだった。
「これは、ゴウの天意は、単にものを動かす力ではない。これは重力、あるいは、引力だ。だとするなら、この力、とんでもないものだぞ。言うなれば、星の力そのもの」
マサクニは今一掴み切れない表情だった。シメグリの一族で育ち外の世界を知らない者にとって、重力だの引力だの言われても掴めないのは当たり前だろう。
「餓鬼。遊びは終わりだ。貴様のその天意、それは雨風を操るのとは訳が違う。その天意を持った者は生かしておけぬ」
タヂカはゆっくりと起き上がり、ゴウへ向かって歩いていく。タヂカの持つ力の天意か。その身に受ける地を割るような凄まじい重さもものともしない。
「いかん、ゴウ! 逃げろ!」
「遅いわ!」
一瞬だった。クレハの眼でもそこへ至る動きがまるで見えなかった。一瞬でタヂカの手刀はゴウの胸を貫いていた。