二十四の話
牛頭法士は山桜の木々の合間に流れる小川を見つけた。花びらの降り注ぐそれは石竹色の花筏であった。しばらく見惚れていたい衝動に駆られる。場の氣の質が高い。周囲は平で開けている。
「ここにしよう」
ゴウは頷いた。言葉は無いが眼の力は強い。早く教えてくれと訴えている。
「まず氣法とは何か解るか?」
「氣ってやつを使って、速く動けるようになったり、力が強くなったりする方法?」
「うむ、間違ってはいない。だが、氣は常に使われているのだ。人間であるなら、手足を動かし触れたものを感じ、音を聴き、匂いを嗅ぎ、ものを見て、口に含んだ物の味を感じ、言葉を発する。それらの活動全てに氣は使われる」
「そうか・・・・やっぱり」
ゴウのその呟きは自らへ向けたものだろう。牛頭は構わず続けることにした。
「氣法はそこへ周囲の氣を借りて強化する。まずは、常に自分の活動において氣の流れを感じ取るのだ。氣法はまずその前段階から始まる。まあ、お前は既に出来ているようだがな」
「うん。なんとなくだけど」
「やはりな」
「氣法ってどんなことにも使えるの? 遠くのものを見たりとか聴いたりとか」
「人間の行う活動全てに氣法は使える。負った傷を速く癒すことも出来るようになる」
「そんなことまで・・・・」
「では、始めよう。魔術三段は既にユリから学んだな」
ゴウが一瞬目を見開いて頷く。やはり、あの時牛頭が起きていたことには気付いていなかったようだ。
「氣法にも発動までに三つの段階がある」
「氣法三段ってこと?」
「そうだ。だが、魔術三段と違って、それは学んで身に付け易いように作られたものだ。段階を踏まずとも、勘の良いお前のように氣法を使える者もいる」
「俺はクレハ婆が氣法を使っているのを見て真似しただけだよ。あれじゃ、強くなったり弱くなったりで、ちっとも上手くいかない」
「うむ。では目を閉じ、深く息を吸え」
ゴウはそれに従った。
「周囲の存在とその流れを感じ取るのだ。氣は五属性の中でも特殊な元素だ。他の風、火、地、水、四属性それぞれと必ず共に在る。つまり、氣は全てに宿っている。人間。草木。そこに住う生物。全てにな。その全ての氣の中に自分の氣も共に在ることを感じるのだ」
牛頭の眼にはゴウの氣がじわりと広がっていくのが見て取れた。
「うむ。やはりお前は勘が良い。それが一段目の『開氣』だ。周囲、果ては世界に向けて己を開くのだ。開けばより鮮明に周囲の氣を感じられるはずだ。そこで二段目、『結氣』だ。感じた周囲の氣へ己の氣を結ぶ」
「結ぶ・・・・」
ゴウがぶつりと呟く。牛頭法士は目を見開いた。ゴウの氣が周囲の氣と混ざり出したのだ。
「おお、これは驚いたぞ。結氣へ到るまで何年、何十年と鍛錬を摘む者も珍しくない。実際この俺も十年かかった」
「牛頭さんが十年も・・・・」
「そうだ。お前には天賦の才があると言えよう。結氣は、己と結ぶものを一とする。最初は大抵、これが頭で理解出来ても、体で理解出来ない。お前は頭で理解する前に、既に体で理解していた。これなら三段目の『流氣』も容易いだろう。もう一つ息を吸え。そして、結んだ氣が己の中へ流れ込むのを想像するのだ」
ゴウは再び大きく息を吸った。その瞬間、ゴウの氣が爆発的に膨れ上がった。ゴウの立つ地面が軋んで鳴る。ゴウの触れる空気が暴風となって吹き荒れる。
「凄い。だけど・・・・」
ゴウは自らの氣に驚いたのか、眼を見開いた。
「うむ、想像以上だ。だが、今のお前はお前自身の力に慣れていない。一旦、深く息を吐くのだ」
ゴウは牛頭に従い息を吐いた。吐き出される息に比例するように、ゴウの氣の流れも小さくなっていった。
「牛頭法士さん。これが、俺の力なの?」
氣法が解かれゴウの氣が通常の流れに落ち着くと、彼はその秘めた力を俯瞰するように両の手の平を見下ろした。
「そうだ。開氣、結氣、流氣。この一連の流れを氣法では『輪』と呼ぶ。今ゴウが行ったのはその一つ目、『一の輪』だ。一の輪は氣法の始動。己の持つ本来の力を引き出す」
「俺の持つ本来の力・・・・堕龍人ってやつの力」
「堕龍人の話はクレハ殿に聞くのが良いだろう」
「うん。そうするよ。それより、一の輪って言うんだから、二の輪、三の輪もあるんでしょ?」
牛頭法士は思わず笑みを漏らした。ゴウにとって自分の生まれのことよりも、今は氣法に興味があるらしい。
「そうだ。一の輪で広がった己を開き、更に広範の氣と結び、流れ込ませる。それを二の輪、三の輪と繰り返し氣を拡大していく。一の輪では己の力を引き出すに過ぎんが、二の輪以降はそれ以上の力が己へ流れ込むことになる」
「これ以上の力が・・・・今の俺に二の輪は出来るかな?」
「今のゴウならば、二の輪の氣に耐えられるだろう。だが、それは肉体の話だ。拡大し、流れ込む氣の量に、心の中の自己像が一致しなければ使いこなすことは出来ん」
「自己像か。なんだか、魔術と似ているね。これもまた、想像だ」
「その通り。魔術も氣法も想像力が要だ。まずは氣法一の輪で己の力を知れ。そして、その力を自在に操れるようになることを目標とするのだ」
「後三日で出来るようになるかな?」
「それは分からん。お前の才覚は俺の想像以上だ。もしかしたら、三日後には二の輪へ至っているやもしれん」
「そっか」
ゴウは小さく笑った。それだけ見れば愛想笑いにも見えなくも無い。しかし、無邪気に輝いた眼が期待に胸を膨らませていることを示していた。
「お前のような上達の早い者は試し合いの中で氣法を磨くのが良いだろう。実戦は動きながら氣を操るからな」
「試し合いって、牛頭さんと?」
「いや、俺にはそれほど時間はない。待っていろ。今のゴウに相応しい相手を連れて来る」
ゴウは不思議そうな顔をして頷いた。やはり思い当たる節がないのか。では、実際連れて来た相手を見たら眼を丸くするだろう。
ユリに影響されたか。牛頭法士は悪戯心が胸の隅にあることを認めていた。