二十一の話
二つ刻ばかりシメグリの一族が歩を進めた頃だった。ヒナノは速く歩を進めたい浮き立った衝動に駆られた。毎年この時期にあの場所へ近付くとこの感覚になる。
「どうしたんだい、ヒナノちゃん。そわそわして」
ユリが不思議そうな顔をしていた。
「えぇ?」
思わず素頓狂な声を上げてしまった。周囲から笑い声が漏れた。
傍目から見ても分かるくらいに自分はそわそわしていたのか。恥ずかしさがこみ上げた。
「えっとね、ここを登るとね、見えて来るんだ」
「ヒナノはあの場所が好きなんだ。俺も好きだ」
ゴウの言う通りだった。
「へぇ、好きな場所か。どんな場所なんだい?」
「とにかく、ぱ~っとしててすごいの。こう、なんて言うの、ば~って」
ヒナノは手振りを付けて話した。しかし、言いながら自分が何を説明しているか分からなくなった。語彙が出て来ない。
「へ~、そうかい。・・・・そいつは楽しみだね」
ユリは苦笑いをしていた。酷く気を遣われた。
「う、うん。ほんと、すごいんだよ」
ヒナノは無邪気さを装って、恥ずかしさを隠してみた。しかし、それも周囲の大人達には見透かされていそうで、恥ずかしさが増すばかりだった。
そんなヒナノをくすぐるように頬を撫でて、小さな蝶がひらりと風に舞ったように見えた。ヒナノの腕にとまったそれは、石竹色(ピンク色)の小さな一片の花びらだった。
心なしか、一族の前方の脚が速くなったように思えた。見えたようだ。ヒナノの脚も自然と速くなる。
やがて見えたのは、目に見える山間を覆い尽さんばかりの石竹色だった。山桜の群生だ。一斉に咲き誇ったそれは一塊を成し、風に吹かれ花びらを舞い散らせる様は石竹色の雪で、降り積もった花びらは地をその色に染め上げていた。
「こいつは見事だね・・・・」
ユリがそう呟いたまま口を開けてその光景に魅入られていた。
「俺もあちこち旅して来たが、こんな景色は初めてだ。これは見事」
牛頭法士も見入っていた。
「でしょ、でしょ。ワタシ達はボウユウ谷の万本桜って呼んでるんだ」
ヒナノは自分のことのように自慢げだった。
「ボウユウ谷?」
「昔、この辺りには大きな都があったんだってさ。それが一夜にして滅んだんだって」
「よくある昔話だね。で、昔ってどれくらい前だい?」
「う~んと・・・・」
ヒナノは記憶を探った。教えられた記憶はあるのに、その内容の記憶は一向に出て来なかった。
「大陸に小さな国が乱立する頃、少なくとも千年は昔だと思われます。書物に記録は無く、口伝でのみ残っているだけですから」
母が代わりに答えてくれた。
「なるほど、その頃の文明は主に石を用いて住居を築いていたという。あの木々の間に転がる無数の岩はその名残かも知れん」
牛頭法士が桜の木々の間に転がる岩を指して言った。確かにこの辺りからあんな岩が増える。しかし、ヒナノはそんなことは気にも留めていなかった。
「ここに何かがあったのは間違い無さそうだ。この数の山桜が一斉に咲き誇るのは珍しい。場に特殊な氣の流れがあるようだ」
「元素の質が高いんだね。それに伴って、氣が活発に動いているよ」
「元素の質? ユリさんってそんなものも分かるんだね」
「ヒナノちゃん、それは誰にも分かるもんなのさ。何かを見て目を奪われる、心惹かれる。それが元素の質の高さの証なのさ」
「ふ~ん。そうなんだ」
「ヒナノ、それは教えたはずよ」
母のミズキが呆れた顔をしていた。
「そうだっけ・・・・そう、そうだったよね」
ヒナノは愛想笑いでごまかした。全然覚えていない。
「ねえ、牛頭法士さん。特殊な氣の流れって何?」
ゴウが牛頭法士に尋ねた。ゴウは勉強熱心だ。
「俺もはっきりとは分からん。だが、この場の力に合わせて、あの山の向こうから広がって来るものを感じる」
「あの山の向こうでしたら、コト川の源流があります。それの影響でしょうか?」
ミズキが牛頭法士を見上げて言った。
「うむ、命の大河の源流だったらその可能性は高い」
「そこも綺麗な場所だよ」
「そうか、それは用心棒云々抜きにして、行ってみたくなったな」
牛頭法士が微笑んだ。またあの無邪気な笑顔だ。威圧的な風体なのにこれで和らぐ。不思議な人だ。ヒナノは失礼だと分かりつつ、その顔に見入ってしまった。
「ここでメシにしたいな。桜を見ながら食べると旨いんだよな」
マサクニだった。隊列の後方にいたはずだった。いつもはのらりくらりとしているのに、キビキビとした足取りではしゃいでいるようにも見えた。
「花見かい。そいつは風流だね。酒も呑みたいね」
シメグリの一族は元日など特別な時ぐらいしか酒を呑まない。それも大人が嗜む程度だ。しかし、ユリは昼間から酒を飲むのか。風体通りだ。
「俺、婆様にかけ合って来るよ」
マサクニが駆け出そうと地を蹴った時だった。