十三の話
その山をオオコブ山とシメグリの一族は呼んでいた。高さはシヨウ山地においては末弟に当たる。しかし、頂には硬い大岩があった。木々は大岩に根を張ることが出来ず視界は開けて、周囲をぐるりと十里は見渡せるほどであった。
その大岩の上にクレハは立っていた。
目を緩く閉じ、鳩尾の前で合掌をして肩幅に足を開いて立つ。一見すると祈っているようである。
だが、その意識は天高くにいるであろう神々の元ではなく、各々が威風を構える山々やそこに繁茂する草木と、そこに住う野生の獣達との間を駆け巡っていた。
「広目」氣法を用いた索敵法である。
万物は氣を常に発している。そこに自分の氣を結び付けることにより、その場所や動き、達人ともなれば生物の感情をも察知することが出来る。
「婆様。そろそろ今日の天幕を張る場所を決めませんと」
クレハの後ろから声がかかる。ミズキだった。最も、彼女が来るのは分かっていた。
「うむ、そうだな」
クレハはゆっくりと目を開けた。
「首尾はいかがですか?」
「ワタシの『広目』の範囲は二里ってところだが、そこには賊はいないね。ワタシらの動きを探る為に一人や二人張り付けておいても良さそうなもんだが」
「それはこちらが広目を使うと踏んでのことでしょうか?」
「だろうね。襲撃なんていつでも出来るってことなんだろ。一族が辿る道のりは当に分かっているだろうし、それにさっきの襲撃だ。攻撃される直前まで一族の誰も気付かなかった」
「そうです。あれだけの人数が潜んでいたのに・・・・」
「どんな魔術か分からんが、ああやって大人数でも氣取られず、攻撃出来る術を奴らは持っているってことだ」
「恐ろしい術です。でも、それだけの魔術ならそう何回も乱用は出来ないはず」
「ああ、その魔術の使い手が普通の人間だったならな。もし、それが・・・・」
「堕龍人であったなら、ですか?」
「いや、やはりそれは考えないでおこう。もし、向こうに堕龍人が一人でもいればワタシらは終わりだからね」
「・・・・はい」
ミズキは顔を硬らせた。不安を膨らませてしまったようだ。
考えないでおこう。こう言われると人は益々それについて考えてしまうものだ。それが分かっているのに言ってしまったのは、クレハ自身がその可能性を思考の中核においてしまっている証左であった。
「ワタシの勘も、たまには外れて欲しい」
「え?」
風がその呟きを乱して、ミズキに届かないようにしてくれたらしい。
「いや、独り言さ。年取ると多くなるもんさ。行こう。天幕を張って晩飯の準備だ。今日は鹿の肝を焼いて食おう。精がつくし、疲れも取れる。どうせ向こう側はこちらの動きが分かっているんだ。こそこそ火を使わないなんてことは無しだ」
「確か干し柿の残りもあったはず。甘いものも食べましょう」
「ああ、それは良い」
クレハとミズキは山を下った。日は傾きかけ、空気はゆっくりと冷たさを帯び始めていた。鳥達の鳴き声も風が揺らす木々のざわめきも潜むことはなかった。だが、それはあまりにもいつもと変わらぬ山の音であり、空気であった。