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日常とは斯くも儚く


 朝餉(あさげ)の支度を終えた母が席に着く。

 僕の向かいに座った母は横に座る幼い妹、茉莉奈の頭を優しく撫でると、「それじゃ、食べよっか」と言い朗らかな笑みを浮かべた。


 優しい時間、穏やかなひと時、なにものにも変え難い日常の一コマ。

 僕は温もりを噛み締めるように朝食を食べた。


 それからしばらくして、憂鬱な時は嫌が応にもやってきた。


「いってらっしゃい焔愛(えんま)。 今日も頑張るのよ!」


「にーにぃ、いって、らっしゃーい」


 いつも気合を送るかのように盛大に見送ってくれる母と、見様見真似で拳を握りしめる妹。

 僕は二人の姿に緊張をほぐされて、玄関を跨いだ。



 僕がこれから向かうのは学校(じごく)だ。

 子供であるならば避けては通れない、いわば宿命づけられた場所。


 行きたくないなんて言ってられない。

 母が必死に働いて集めた金、一文だって無駄にはしたくなかった。


 だから僕は学校(じごく)へは休まずに行った。

 あと半年の辛抱だ。中学校なんて卒業してしまえば僕の勝ちなんだから。




 学校に着くと、スリッパを借りる。

 上履きなんて遥か昔に燃やされたから、だから僕はいつも緑色の、来客用のスリッパを履く。

 先生方も面倒事には関わりたくないんだろう、誰しもが僕がスリッパを履いている事を黙殺していた。


 教室に着くと、まず椅子に散りばめられた画鋲を元に戻して、机に書かれた罵詈雑言に目を通す。

 よくもまあ、毎日懲りずにやるものだ。この熱意を何か他に向ければいいのに。

 などと考えて僕が安易に机に腕をつくと、そこには薄く瞬間接着剤が張り巡らされていて、火傷したかのような痛みに襲われた。無理に引き離そうとして皮膚が千切れそうになる。今日の午前は腕に貼り付いた接着剤を剥がす時間になりそうだ。


 やがて午前の授業が終わる。そして一番憂鬱な時間がやって来る。

 教室の空気が浮き立ち和気藹々とする給食の時間だ。


 別に食べる事は嫌いではなくむしろ好きだ。

 母が作る肉じゃがを食べるといつだって表情がだらしなく綻ぶ。

 けれど、給食は別だ。

 牛乳瓶には、雑巾を絞った汁が入れられている。

 野菜の隙間から覗く細切れにされたミミズの肉片を見ると僕は不快感を露わにし、それを見てクラスメイト達は喜んだ。


「今日も残さずに食べてくださいね」


 先生がそう言うとみんな快活に返事をする。

 けれど僕は顔を顰めたまま、喉がめくれそうな思いに打ちひしがれていた。


 昔、先生に相談した事がある。

 けれど、先生は無関心に話を流し、何もしてくれなかった。 僕は、先生達からすれば触れるべき生徒ではないのだ。触れてしまえば、問題の大きさに直面するから。だから先生は僕の存在をなかったみたいに扱う。


「あー、焔愛君。残しちゃ、、、だ め じゃ な い か」


 クラスのリーダー格である赤毛の少年、暁月 真道はそう言うと、僕の口に無理やり料理を詰め込んだ。

 そして喉奥までねじ込むと、牛乳瓶に入った汚水を喉に注ぎ、無理やり口を閉じさせられた。


 僕はあまりもの不快感にむせ返り、鼻から汚水と料理が混ざったモノを吹き出した。


「うーわ、きったねぇ。 ははははは」


 彼が笑うと皆んなもゲラゲラと笑った。

 気持ち悪い同調、絶対の不文律であるかのような僕へ対する連帯感。


 絶対に負けてなるものか。絶対に休まない。心まで屈してなるものか。

 そう心にいつも誓う、、、、、、けれど。



 ああ、こんな場所に転校してくるんじゃなかった。





 ○




 家に帰ると妹の茉莉奈が勢いよく飛びつき、僕は茉莉奈を優しく受け止めた。


「にーにぃ、おか、えりぃ。 えへへー」


 まだ辿々しいけれど、純粋な言葉。その言葉に、僕の心は和らぐ。


「ああ、ただいま茉莉奈」


 優しく茉莉奈の頭を撫でると、僕は茉莉奈を抱いたまま居間に行く。

 居間では母が料理をしている最中だった。


「おかえりなさい焔愛。 今日も学校、楽しかった?」


「うん、楽しかったよ」


 心を細針がつつくように、チクリと痛んだ。

 いつもの事だが、やはり母に嘘をつくと胸が苦しくなる。 けれど、これ以上母に心労をかけるわけにはいかない。 毎日夜に仕事に行き、深夜遅くに疲れ果てて帰ってくる母を見ている。

 さらには空いた時間で家でできるバイトもしている母を僕は苦しめたくなかった。


「学生の本分はお勉強だけど、やっぱり青春を楽しまなくちゃね」


 顎先に手を当てて、茶目っ気のある語気でそう口にした母は、テーブルに出来たてのスイートポテトを三つ置いた。


「焔愛が楽しんでくれてるなら、母さんも頑張り甲斐があるわ! さ、オヤツ食べましょ」


 仲良く、三人で卓を囲み、熱々のスイートポテトを頬張る。 甘い、とても甘く優しい味。

 この時間だけは、壊されてなるものかと、僕は強く願った。




 それから夕食を終え、一家団欒の一時を過ごした後、僕らは眠りについた。










 数刻が経過した深夜、大炎が家を包み込んだ。


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