ポスト打ち上げ
昼から始まった社の清掃。
神秘的な森の中からつっこ達が帰ってきたのは午後3時過ぎであった。
「思ったより早く終わったな」
一息つこうと糸男の家に招かれたつっこ達。畳の上に腰を下ろした本屋が呟くと、糸男は頷いた。
「メガネの高水圧ジェットが大活躍したからな」
老人達のツッコミ曰く「業者かよ!」である。
「まぁそれでも大変だったよね。草もボーボーだったし」
ビッちゃんが自分の肩を揉みながらそう漏らすと、改めて糸男が礼を言う。
「みんなありがとう。自治会の一員としてとても助かったよ。約束通り家で採れたビワを持ってくるから、それまで自分の家だと思って寛いでくれ」
とは言ったけれど。
「なんで裸になってんだよ」
台所から居間に戻ってきた糸男が見たものは、上半身の服を脱ぎ捨てた猿であった。
「いや俺、家だと基本裸だし」
平然と言ってから何故か凛々しい顔つきをする。
「下のズボンは俺の遠慮分だからな!」
「実家じゃ全裸なんだな……」
胸を張る猿を前に、糸男は額に手をやるしかなかった。
「だがまぁ、猿はまだいいよ。女子も気にしてないみたいだし」
「男なのにこの乳首の綺麗さはどうよ、つっこ」
「なんかムカつくわね、京子」
むしろ妙な気にしかたをしている。
それはともかく、糸男にはまだ言いたいことがあった。
「誰だよ壁紙はり替えたやつ…」
「私はこっちの方が明るくて好きなんだ」
「犯人はヤス、いや京子か…。いや、俺も前にそう思ってその壁紙買ったんだけどさ。見てくれよ俺の家を」
畳にちゃぶ台、木造の天井。縁側ではチリンチリンと風鈴が鳴っている。
「典型的な田舎の家じゃん。超和風じゃん!」
まぁどう考えても斜めに入ってるNewYork!のロゴはおかしい。どこがやねんという話だ。
「そしてメガネ!」
糸男は糸目をくわっと見開いた(つもり)になって叫んだ。
「最初から気づいてたけど、何を設置してるんだ」
何を設置してると問われれば、彼は壁に看板を設置していた。
脚立まで引っ張り出して書いているのは「黒淵第2研究所」の文字。
「ふむ、やはりこういう物は外に付ける物」
「そうじゃない!」
普段わりと物静かな男はついに爆発した。
「お前らの家じゃないんだぞ!」
そこらじゅうにNewYork!の文字が乱舞してる中で、つっこ達は出されたビワを堪能していた。
「う~む、珍し美味いな」
「ほんと、甘くてみずみずしくておいし~」
「いやぁ、喜んでもらえて何よりだよ。壁紙戻せ」
糸男が何か言ったようだが聞こえなかった京子は、ふと思いついたことをみんなに訊いた。
「一番好きな食べ物ってなんだ?」
「俺はバナナかな」
「お前にはきいてない」
落ち込む猿は置いておき、皆がぼちぼちと答え始める。
「俺はパスタ」
「ラーメンじゃないのかよ。親父さん泣くぞ」
家業を裏切った子にツッコミを入れると、本屋は自分は明太子が好きだと発表する。
次いでメガネがカップ麺と答えてビッちゃんに健康の心配をさせると、そのビッちゃんは「アンジェロのティラミス」などと洒落臭いことをほざき、皆から温い笑顔を向けられた。そして意外にもつっこは「メロンパン」と可愛らしいところを見せ、京子はピロシキという変化球、糸男は蕎麦が好物だという。
「で、糸子は何が好きなんだ?」
夢中でビワをかじってる姿がリスみたいだと思いながら京子が訊くと、糸子は口の物をごっくんして答える。
「ビワ」
「え、でもお昼ご飯の時おにぎりって言ってなかった?おにぎり食べながら」
ビッちゃんが言うと、頷く。
「さっきまではそうだった」
「……」
なんて幸せな思考回路だと、一同は思ったという。
「それじゃ、前にケイドロで決まった罰ゲームをやって貰おう」
「京子あんたまだ覚えてたの!」
時間と共に有耶無耶にしようとしていたつっこの目論見は外れたようだ。罰ゲームというのは例の「自分の良いところを一つ発表する」という、微妙に恥ずかしい内容である。
「俺は焼肉12人前食ったことがあるぞ」
「出た。男子特有の大食い自慢」
よく食べる男はモテルというのは都市伝説なのだろうか。猿は女子陣営に「あ~はいはい」という視線を送られて落ち込む。
「俺は料理かな」
ラーメン屋の息子はやはりそれを挙げてきた。
「ちなみに得意料理は?」
「ビーフストロガノフ」
「親父さ~ん」
ラーメンが頑なにラーメン屋カラーを拒んだところで次はいよいよつっこの番となった。
(どうしよう、思いつかない)
普通なのが特徴とすら言える、平々凡々な人生を歩んできたつっこ。成績も運動神経も並盛トッピング無しである。
期待に満ちた眼差しに囲まれ、窮地に立たされた彼女の口から出た回答は。
「う、うなじが綺麗だねってたまに言われる…かな」
「……」
チリンチリンと風鈴の音が響く。
田舎の木造家屋に不思議な沈黙が訪れてしまった。
「男子諸君、こういう時は君らの出番だぞ」
京子がやたら優しい顔つきで丸投げし、男子をピンチに追い込む。
「お、おう。うなじ、ね。確かに言われてみるとあれだね、綺麗だね」
「お、俺も昔から思ってたぞ。かもめのうなじは日本一だって」
「あれだあれ。まるでキリンのような」
「猿、褒めてるか?それ」
「黙秘」
口々に出る男子のフォロー?をプルプル震えながら聞いていたつっこは耐え切れずに叫んだ。
「殺して!誰か私を今すぐにぃぃぃ!!」
え~、でもでもつっこのうなじってマジで綺麗じゃん。浴衣とか似合いそ~う。
とか言っちゃうところがビッちゃんのビッちゃんたる所以である。女子の必殺技「似非カワイイ」攻撃を前に、つっこが野獣の眼光を灯し始めているそんな風景を背景に。
京子が感じた妙な視線。別に怖いとか、嫌な気分になるものじゃない。だけど、こちらからは見えない何かがこっちを見ているような……。
「なぁ糸男。この家、なんかいるのか?」
「えっ」
ギクリという反応は何かを知っているようにも見えるし、とつぜん気味の悪いことを言われてギョッとしたようにも見える。
「えええ!ちょっと、怖いこと言わないでよ!」
お化けなどより遥かに恐ろしい野獣が後ろにいるとも知らず、ビッちゃんが悲鳴を上げる。
「けっこう古い家なんだろ?座敷童でもいるんじゃないか」
本屋は割と平気な口のようで、興味深そうに居間から縁側まで続く畳を眺めている。
京子はついにグルルルと唸り声をあげ始めたつっこの肩を叩いて言った。
「よし、つっこ。座敷童を探しに行こう。案外糸男の部屋のベッドの下にいるかもしれない」
「それだけはやめろ」
今度のギクリはとても分かりやすいものだった。
カッチコッチと時計の針が5の数字を跨いでしばらく。
にぎやかし達が帰った糸男宅に田舎の静けさが戻り、風鈴が主導権を取り戻したとばかりにチリンチリン鳴いている。
糸男が居間に戻ってくると、トランプが散らばるちゃぶ台をジッと見つめる和服の幼女がいた。
「出てきちゃダメだろ、姉さん」
糸男が短く咎めると、その明らかに糸男より年下に見える幼女は、ぷくっと頬を膨らませた。
「だって退屈なんだもん」
声まで舌足らずにそう言われては本気で怒るわけにもいかず、糸男は苦笑する。
「まぁ、気持ちは分かるけどさ」
幼女は訳あってこの土地から離れられない。だからまるで妹にするように、糸男は姉を甘やかしていた。
「親父もなんで土地と縁を結ばせたのかな。俺と姉さんが繋がりを持っていれば外にも連れていけるのに」
「さぁ?魂どうしがどうこうとか、逆鵺の力がなんたらとか言ってたけど、わかんないよ」
依代云々の話は、修行という名の放浪に出た糸男の父だけが知っている。幼女本人は知らないと言うか、興味が無さそうだ。
「あの子達、また来るんでしょ?」
そう言って、幼女はトランプを一枚つまみ上げる。そのまま然る場所に置けば、七並べ完成だ。
誰だよ~、10止めてるやつ。
彼女の脳裏には先程までの糸男の姿が浮かんでいるんだろう。ふいに少しだけ大人びた顔つきで、それこそ姉らしく、彼女は言う。
「あんな楽しそうなセーちゃん久しぶりに見たよ」
「そうかな」
恥ずかしさと申し訳なさのない交ぜになった表情で、糸男はポリポリと頬を掻く。
「トランプやろう、姉さん」
「うんっ」
今度は見た目相応の無邪気な笑顔を見せると、幼女はトランプをせっせとかき集め始めた。
「あ、あとさ」
「うん?」
半分くらい集め終わった時、ふいに幼女の手が止まる。
糸男が「どうした?」という顔を向けると、彼女は妙に真剣な顔つきで言った。
「壁紙は戻そう」
「ああ、必ず」