ポスト 恋のビリビリ大作戦
雷鳴エレコと文学記のデート当日。尾行のため群衆に紛れやすい恰好、ということで、つっこは少し頑張ったワンピース姿で水族館前に現れた。だというのに。
「はい、ポーズ」カメラを頼まれたのであろう、どこぞのお兄さんがレンズを向ける先には、ニコニコとピースサインを構えるファミリーと、忍者。
「きえええい!!」
恐怖!奇声をあげながら何もない空間に突撃してくるJK。
つっこはイルカの描かれた撮影用パネルの前からラーメンを引っぺがすと、人気のないトイレ裏まで突っ走った。
「あんた何やってんの!」
「いや向こうが近づいてきて撮影し始めたからつい」
「その恰好くせになってない?今日は普通の服で透明化も無しって言ったでしょ!」
はいはい、分かった分かった。ラーメンはブツブツと言い、身体を一回転させる。するとたちまちYシャツを着た普段の彼が現れた。
「……」
「なんだその目は。羨ましいのか」
「羨ましくないもん」
つっこは隠れ中二病である。
「おほぉ~やっぱこれだよ~」
ベンチに座り、つっこはソフトクリームをペロリと舐める。緩んだ頬に手を当てる仕草に、ラーメンの顔はすこしだけ赤くなった。
「だけど久しぶりだね」つっこが突然いって、ラーメンは思わず「何が」とぶっきらぼうに返してしまう。
「二人で水族の館に来るのもさ」
「そういう言い方だと凄い伏魔殿のように聞こえるぞ」
そんな何ともないやり取りを交わすうちに時間はどんどん過ぎていく。ラーメンは水族館入り口で何度も腕時計を見返す記を眺め「雷鳴さん、来るかな」と言った。
既に時間は約束の5分前である。雷鳴さんが記にOKの返事をしているところを、実は確認していない。今日まで監視役を務めていたラーメンがつっこに告げたのは、つい先ほどのことだった。
「大丈夫。きっと来るよ」
「なぜそう思うんだ」
「あの人が、そう語りかけてくるから」
あの人?ラーメンがつっこの顔をマジマジと見た時「おうい雷鳴さん、こっちだ!」と、記の嬉しそうな声が聞こえてきた。
弾むような足取り、とは決して言えないが、確かにエレコがこちらに歩いてくる。つっこは口元のソフトクリームをハンカチで拭い、いきおいよく立ち上がった。
「よし、それじゃあ『恋のビリビリ大作戦』始めるわよ!」
「作戦名ダサッ」
派手な模様のウツボがつっこを睨んでいる。「えっぐい顔してるよな」ラーメンは隣で苦笑する。
「どんな時でも噛みつく気持ちは忘れていませんって顔よね」
はは、確かにそんな感じだ。ラーメンは笑って、なんだか普通に楽しいなと思った。そしてそれは、彼に妙な罪悪感を抱かせる。つっこは気まずそうな顔を覗き込み「別にいいんじゃない?」と、心を読んだような言い方をした。
「こっちもデートを装ってるんだし。あんたと私でこういうとこ来れば、まあ普通に楽しいでしょ」
あ、でも勘違いしないでよね、慣れてる間柄って意味だからね。
つっこはすぐさま釘を刺してから、記とエレコに目を向け、困ったように眉を下げた。
「あっちももう少し距離が縮まればいいんだけど」
さっきから記は一生懸命、目の前の魚について説明したり、おどけて見せたりしているが、エレコの反応は極めて薄い。
「俺は文芸部員だから、部長の肩を持つ言い方になってしまうけど、あれは無いんじゃないかな」
「……もうちょっと様子を見てみよう」
二人は尾行を続ける。しばらく観察していると、段々と分かってきたことがあった。
エレコは記に対して返事はしないが、ちゃんと水槽の中の生き物には興味を持っているらしく、特にウーパールーパーなど可愛い生物は食い入るように見入っていた。
記はもう、それだけで満足というように喋るのをやめ、今はただ微笑みながら見守っている。
そんな折、作戦にとってイレギュラーな出来事が起こった。
「あれ、雷鳴じゃん」
「ほんとだ。こんな所に一人で……って、一緒にいるの文学じゃない?」
以前つっこがチラッとすれ違った女子二人組との鉢合わせである。
「文学……あいつまた……」
二人組のうち気の強そうな方は記の姿を見るなり眉間にシワを寄せ「ちょっと、佐多!?」驚く相方を置いてツカツカと歩み寄る。
「へぇ、あんた達ってそういう関係だったんだ」
「あ、佐多さん!」
エレコはパッと輝くような笑顔を「作って」見せ、それから「そういう関係ってなんですかぁ?」と首をかしげた。
「付き合ってんじゃないの」
「違いますよぉ。ね、文学君、全然そんなんじゃないよね」
二人きりでいた時と全然ちがうキャラで水を向けられ、記は面食らいながらもなんとか「あ、うん、違うよ。そういうんじゃない」と返す。その覚束無さは、佐多さんを益々イラつかせたようで、彼女は冷たい口調で「だろうね」と言った。
「教室でのあんた達を知ってる。おおかた水族館にも文学が一方的に誘ったんだろうけど、雷鳴、あんたのそういう態度、どうかと思うよ」
「ええっと」
「その気が無いなら無いってはっきり言うべきじゃん?それか私達にするみたいに、嘘臭い愛想ふりまいてはぐらかすとか。とにかく、ただ黙ってるだけで構って貰おうなんて、見ててキモいから止めてくんないかな」
「よ……く分かんないけど、佐多さんは私が嫌いってことかな」
「好きになる奴なんて、そこの物好きくらいじゃね」
「……」
エレコは俯いてしまう。「ねぇ佐多、言い過ぎじゃない?」後からやってきたもう一人が遠慮がちに言い、佐多さんの「吉野は黙ってて」という言葉で、辺りは更に険悪な雰囲気になった。
「あの、そのくらいで……」たまりかねた文学が助け船を出すと「文学先輩!」そこへ新たな声が割って入る。
「海原さん?」
「こんなとこで奇偶ですね。ところでトイレってどこにあるか知りませんか。ツレがお腹こわしちゃって」
ああああああ、お腹いたいのおおおおおお!!!
ラーメンは自分で演技が下手だと言っていたが、下手とかいう次元ではなかった。
「(何これヤバイ)ごめん。僕、ここは初めてで分からないんだ。あ、だけど雷鳴さんはよく来るって言ってたよね」
「えっ私ですか」戸惑うエレコにつっこが畳みかける。
「案内お願いできませんか。御覧の通り大変なことになってますし」
ひああああ、今朝たべたアジがっ、アジの開きがっ、仲間の元へ帰ろうとしてえええええ!!!
「うん……じゃあ、ついてきて下さい……」
流石のエレコも阿鼻叫喚を前に断れなかったようで、三人は記を残してそそくさとその場を離れるのだった。
休憩所に入るなり、ラーメンは「ふうっ」と息を吐いて素に戻る。
「えっ、まさか」つっこがジリリと後退ると、彼はカンカンになって怒った。
「んなわけあるか、演技だって知ってるだろ!」
「いやあまりにも迫真?だったからつい」
タハハと笑うつっこに「あの……」と、か細い声が掛かる。
「あ、エレコちゃ……雷鳴先輩。雪尾のお腹は大丈夫ですから気にしなくていいですよ。しばらくしてあの二人がいなくなったら文学先輩と合流しちゃって下さい」
「やっぱりあのチケット、あなた達が文学君に渡したんですね」
「……お節介、でしたか?」
エレコは目を伏せて頷き「困るんですよお」と言った。しかし、つっこにはその理由が分からない。いや、何となく感じてはいたが、本人の口から聞かなくては気が済まなかった。
「私、雷鳴先輩が何したいのか、全然わかりません」
「あなたは知ってるべきでしょ」
突然の刺すような口調に、つっこはキグリとなる。
「えっ」
「……私のことはほっといて下さい」
エレコは背を向け、早足で去っていく。
「今の、かもめに言ったんだよな。知ってるべきって何をだ?」
「分かんないけど……エレコちゃん、凄く辛そうだった。多分あれが、あの子の本当の顔」
二人は追うことが出来ず、遠くに見える金髪はやがて人ごみに紛れた。
記の目の前を、魚の群れが泳いでいる。もちろん彼らがコミュニケーションをとっているようには見えないが、だからこそ水槽の中は平和とも言えた。一定の距離を正確に保ち、彼らは互いを傷つけることなく、互いが消え去っても気に病むことなく、平穏に生きている。
だけど、僕らは人間だ。アクリル板にうっすら映った自分の顔は、記にいっそう知らしめている。
「文学くん」
「ああ、雷鳴さん。戻ったんだね」
正直そのまま帰ってしまう可能性も考えていた。背後からの声に、自ずと笑顔で振り返る。
「あの二人ならもういないから大丈……」
「文学くんは、どうして私に構うんですか」
ほとんど初めてに近いまともな会話は、ストレートな質問だった。虚を突かれた記は一拍の間を置き、水族館内の客達に目を向ける。
「人はどうして水族館に来るか、分かるかな」
「いえ」
「知的探求心、海への本能的な回帰、デートの雰囲気に適しているから……。理屈をあげれば色々出てくるんだろうけど、基本はやっぱり『なんとなく』だ」
頬を掻き、照れ臭そうな顔が、エレコに向き直る。
「なんとなく惹かれるからじゃあ、納得いかない?」
「はい」
「おりょ」
困った顔にクスリと、このとき初めて、エレコは記に笑顔を見せる。
「でも再確認できました。人間の行動には理屈じゃない部分があって、それでいいって」
「そうだね。人間の心は魚の生態よりも難解だ」
「じゃあまず魚の生態からですね。まだまだ色々、教えてくれるんでしょう?」
「ああ、もちろんさ」
先ほどと打って変わり、楽し気な雰囲気で、二人は次の部屋へ入っていく。ラーメンは「何だかんだで上手くいったんじゃないか」と言った。しかしつっこが黙りこくっているので、「気にするなよ」と付け加えられる。
「『知っているべき』っていうのはなんか、言葉の綾ってやつで、別にお前を恨んでるわけじゃないだろ」
現にチケットの件だって彼女、今は楽しそうにやってるわけだし。慰めるラーメンにつっこは首を振る。
「そうじゃないの。恨むとか恨むとかじゃなくてあの発言は……」
その時、けたたましい警報ベルが鳴った。それはどうやら今しがた記とエレコが入った部屋からのようで、二人は顔を見合わせると、固まる群衆の合間をぬって通路を駆ける。
部屋の入口に到着すると、その部屋で展示している生物の名が、どうしても目に留まった。
「電気ウナギ……」
つっこの口調には嫌な予感がはっきりと表れていた。




