ポスト 漂う犯罪臭
「あの、雷鳴さんって先輩なんですよね。同学年はだいたい名前知ってるし。雷鳴先輩って呼んだほうがいいですか」
「雷鳴先輩……」
あれ、なんか凄い嬉しそう。「先輩」と呼ばれることによほど慣れていないのか、ラーメンが心の中で首を傾げるほど、彼女の口元と頬はヒクヒクと弛んでいる。澄まし顔は無理やり取り繕っている感じが丸出しだった。
「はは、好きに呼びたまえ」
たまえ?
「その髪、雷鳴先輩は不良なんですか?」
「エレコ不良じゃないもん。いい子だもん!」
キャラ安定しねえええ!
「地で金髪なんですか、そうですか。そんな日本人、ハーフ以外でいるのか疑問ですが、たしかに雷鳴先輩は不良って感じじゃないですね」
「当たり前だよ。ちゃんと寝る前には甘いものは我慢するし、歯も磨くんだよ?」
うーん、この子供っぽいのが素の性格だろうか。だとしたらやりにくいなとラーメンは思う。
「そっか、好きな人いるんだ。それじゃあ仕方ないね」切なげな微笑み。これが理想、あるべき先輩の姿である。しかし。
「うわーん、雪尾くんのバカバカバカあああ」こうなってしまったらどうだ。
(俺にはとても収拾つかないぞ)
つけてきた決心がもう一度揺らぐ。「あのさ、雪尾くん」その瞬間を狙ったかのように、予想通りの質問が投げ掛けられた。
「付き合ってる子とかいる?」
(来たっ。どうする。ここは適当に『いないけど、今は誰とも付き合う気になれない』とか言うか?)
いや、見え透いた嘘は俺には10年早い。ラーメンは覚悟を決め、口を開いた。
「彼女はいません。でも好きなやつは……」
「友達はいる?」
「は」
何の話をしているんだ。戸惑っているところへ更にもう一つ、決定的に不自然な質問が加えられる。
「その人達は、人間なんだよね」
空はいつの間にか真っ黒く曇っており、遠くにあった雷雲が頭上で不吉な音を鳴らしている。
ラーメンの背中にじっとりと汗が滲む。エレコの質問が何を示唆しているか分からないほど察しの悪い彼ではないが、やはりこう答えるしかない。人間ですよ、当り前じゃないですか。
「じゃあ死ね」
バリバリと引き裂くような音が、屋上を震わせた。
「えっ、なに」
ラーメンは尻もちをついている。さっきまで立っていた場所のコンクリートは大きくひび割れ、めくれあがっている。
(これ、雷鳴先輩が……?)
考えている暇はない。落雷は、光った時にはもう、落ちているのだ。
バク転のタイミングは勘だった。閃光から目を腕で守ったまま、衝撃波により、ラーメンは数メートルを強制的に移動させられる。何とか態勢を保ったまま停止するも、すぐに次が来ることは分かっている。落雷を回避するには、とにかく動き続けるしかない。
(このまま逃げてても埒が明かないぞ……そうだっ)
高速で走り回っていたラーメンは唐突に向きを変える。その先は雷を操っている張本人。
「自分がいるところには落とせないだろ!」
最後に回避した落雷の衝撃も利用して、エレコを捕獲するべく跳躍する。空中で目が合い、天に伸ばしていたエレコの腕がゆっくり下がる。そして指先が、ラーメンの額を向いた。
バチッ。放射された電撃を受け、ラーメンはエレコの足元に沈む。うつぶせに倒れているため見えないが、見下ろす彼女の顔は多分、笑っているだろう。
「勘違いだよ。私はN粒子を電気エネルギーに変換できる。原初の波動が届く範囲ならどこでもね」
「雷鳴先輩は……アーソンマンと同じ組織……なんですか」
「違うよ。私は一人、どこにも所属していない」
「じゃあ何故」
「あのね、雪尾くん。ゴーレムが人間の味方をするほうが不自然……ううん、地球で生まれたゴーレムならそれも仕方ないのかもしれない。だけど私は月で生まれたゴーレム。住んでいた場所を奪われて、大切な人を失って、恨むなって方が無理な話」
天に向かって腕が伸びる。ざわざわと風が騒ぎ始め、雷鳴が神の怒りのようにのたうっている。ダメージの残る身体で何とか振り仰いだラーメンは、そこで渦巻く雷雲の塊を見た。
上弦民の月器に劣るとはいえ、エレコの作り出す電気エネルギーは街一つをまかなうものだった。それが一条の稲妻に集約すればどうなるか。
焦ったつっこは京子の制止を振り切り、飛び出した。
「エレコちゃんダメっ。アレを落としたら学校まで粉々になっちゃう。友達もいるんでしょう!?」
「友達なんて、作れるわけない」
馬鹿、かもめ、何してんだ。ラーメンが叫ぶと同時に青白い光が頭上から迫り……。
「え」
……呆気にとられるエレコの前で、巨大な稲妻は白い棘に吸い込まれた。メガネは白衣から伸びた棘を引っこめ、事もなげに言う。
「充電の協力、感謝する」
人間のくせに、私の電撃を。エレコが目の前の出来事を信じられず、立ち尽くしていると、後ろから声がする。
「あまり人間を嘗めない方がいい。ま、彼は特別だけどね」
急いで振り向くと、黒いジャケットを着た男がサングラスをずらし、赤い瞳を晒している。
「あ」
記憶封じの力がエレコを捉え、クタクタと膝から崩れ落ちる。素早く抱き止めたサイレントの腕の中で、彼女はうわ言のように呟いた。
「忘れ……たくない。マス、ター」
一筋の涙が流れ、瞼が降りる。
「すまない、気持ちはよく分かるよ」
深い溜め息がつかれたところで、ラーメンがフラフラと立ち上がる。
「サイレントさん」
「大変だったね雪尾くん。大丈夫なのかい?」
「はい、なんとか動けるくらいには。それで、雷鳴先輩の記憶を封じたんですよね。前に格上には効かないって言ってましたけど」
「雷鳴エレコの中に俺のマスターの術が残っていた。マスターは過去に強力なゴーレムを専門とした記憶封じの役目を負っていて、雷鳴エレコもその一人だったんだ」
「最近まで術が効いていたということですか。それがどうして」
「先日の現象が原因だろうな」
「ああ」
世界と僅かな時間でも繋がったのだから、N粒子に宿る記憶を読み取っていても不思議ではない。
ラーメンは理解し、質問を変える。
「雷鳴先輩をどうするんですか。やっぱり監禁、とか」
「いや、結局のところ俺の記憶封じは延命というか、応急措置だからね。今の彼女はいつ記憶が戻ってもおかしくない不安定な状態だ。監禁生活なんて非日常を過ごさせるより、今まで通り学生として過ごして貰った方が術の効果も維持しやすいだろう」
そこでだ。サイレントがラーメンに何やら話していると、つっこを先頭に京子、メガネがやってきた。
「雪尾、大丈夫?」
「それじゃあ雪尾くん、任せたよ」入れ違いに、サイレントはエレコを抱え、屋上から跳び去る。驚かなくなった自分がヤバイなと思いつつ、つっこはその背中を見送る。
「あの人って」
「悪い人じゃないよ。雷鳴先輩を家まで送るってさ」
「ならいいけど……そういえばさっき、何か話してたわよね」
「頼まれごとさ。重要な任務を任されたんだ」
重要な任務?聞いていた三人の頭上に疑問符を幻視したラーメンは、どう説明したらいいかと考えを巡らす。そしてようやく思いついた言葉を、人差し指を立て、爽やかな笑顔で言った。
「女子高生の、監視だ」
他に言い方は無かったか。




