ポスト インプリズン
県内唯一の繁華街、天野町。とあるビルの地下を、男が一人歩いている。
「ウーイ。酔っ払ってないでーす」
酔っ払いはいつもそういう。事実、彼は道に迷っていた。
「ああ、ああ、やっと見つけた。俺の二軒め~」男は千鳥足でゆき、一つのドアにつきあたる。
「来たよう、さやかちゅわ~ん」デレっと鼻の下を伸ばしてドアを開けると、戸口に背の高い男が立っていた。
「さやかちゅわん?」
「はーい、記憶消去、一発3000円ポッキリでーす。つーわけで俺の目を見てね」
サイレントはサングラスを外す。
酔っ払いは警察に扮した組織の構成員に連れられていく。認識阻害結界は正常な認識能力のない人間に対して不備があるな。真面目な考察と、「あーあ、僕ちんも飲みにいきたーい」不真面目な愚痴をこぼし、サイレントはドアを閉めた。
サイレントは雪尾白羽の所属する組織、「共存派」の一人である。彼を含め構成員はみな、もっとましな名を望んでいたが、もう一つの候補が「白羽ちゃんと愉快な仲間たち」であったため、諦めている。
ここはそんな、ちょっとどこまでがシリアスなのか分からない「共存派」の所有する施設。数あるなかでもゴーレムや月の民を監禁しておくための牢獄、収容所であった。
「うぉおおおお」
独房の中で振りかぶるのは結界槍のゴーレム、ランスギフターである。
「俺の前に、壁はねえっ!!」
放たれた槍は壁、鉄格子に張られた膜に弾かれ、消えてしまう。ゴン。同時に天井からタライが降ってきて、ランスギフターの頭に直撃する。
「ぐぉぉ」
ダメージは無いがメンタルをやられる。頭を抱えて悶える姿を、フワフワとした女の声が笑った。
「クスクス。カッコ悪いですねぇ」
「くそっ、出てこい、プリズンマスター!」
どこにいるのか分からないので天井を睨み付ける。
「抵抗は対偶の悪化を招くと分かりませんか」
「くっ」
「もう一人のお友達は早々に諦めて優雅な囚人生活を送ってますよ。ほら」
突然、壁が透明になり、隣の独房が丸見えになる。タンスやテーブル、冷蔵庫など一通りの家具が揃っており、独房というよりはビジネスホテルのような様相であった。
ランスギフターがあてがわれた床にゴザを引いただけの人権ファック寝床と違い、ちゃんとしたベッドに寝そべって、アーソンマンはダラダラとテレビを見ている。
「あのやろう……」
ランスギフターが歯軋りしていると、ふいに立ち上がったアーソンマンはテーブルに近づいた。
「えっまさか」
ボトルからグラスに赤ワインを注ぎ、クルリと回して香りを嗅ぐ。
「ほぉ、悪くない」
「悪いわ!」
すると向こうからも聞こえているのか、声に反応してこちらを向く。
「……!!」
驚愕の顔をする。ということは見えてもいるのか、アーソンマンはひきつった顔でベッドまで後ずさり……。
「決まり手は上手投げか」
そして何事もなかったかのようにテレビを見始めた。
「てめぇっ」
この壁どけろ、一発ぶんなぐる!しかし壁は殴りつけてもびくともしない。ガンッ。ガンッ。ガンッ。ゴン。タライ落下。
「うう……」ランスギフターはうずくまり、シクシクと泣き始めた。
「おい、いい加減むだな抵抗はやめろよ」
気づけばそばにアーソンマンが立っていた。
「壁は……?」
「さあな、出したり消したり出来るんじゃないか。そういうゴーレムなんだろ」
「……」
プリズンマスターの情報は脱獄を考えれば最重要であるが、とりあえずランスギフターはこの牙の抜かれた犬を一発殴らねばならない。だが残念ながら、二人の近接戦闘における能力には、さしたる差が存在しなかった。
拳はアーソンマンの手に受け止められる。
「だからやめろって。敵にいい戦闘データを提供するだけだ」
「お前なあっ」
「はいはーい。ケンカはそこまで」
ゴーレム同士の言い争いは、のほほんとした声に遮られる。見ると、二人が最重要ターゲットとして追い続けていた女が、小包を両手にニコニコ笑っている。
「雪尾白羽?」
「どうやって入ったんだ」
二人の疑問に「そりゃ私って組織のナンバー2だもの。出入りくらい自由よ」とこたえ「ほらこれ」小包を掲げて見せる。
「なんだそりゃ」
「二人にプレゼントよ。今日は記念日だもの」
「記念日?」
「囚人になってちょうど一か月。ハッピーインプリズン・トゥーユー」
「この野郎」
ランスギフターの顔は怒りにそまるが、すぐに凶暴な笑いへと変わる。
「つーか分かってんだろな、この状況」
バキボキと拳が鳴る。
「?」
「分かんねーなら教えてやる。ライオンの檻に入ったウサギの末路をよおおお!」
はーい、じゃあまずはアーソンマン君。ランスギフターの背後から声がする。彼は空を切った拳を見て、それから慌てて振り向いた。
「実は私も中身知らないのよね。一番欲しそうな物をプリズンマスターが選んだって言ってたけど」
「お、おお。そうなのか」
アーソンマンも狼狽えているが構わず、白羽は包みを剥がす。
「じゃーん。お、ほんとに良さそうじゃん。高いんでしょ、このお酒」
「ほう、ブランデー……コニャックか!」
のんきに喜んでいるアーソンマンが、ランスギフターには信じられなかった。最重要人物とはいえ、ただの人間だと思っていた女の動きが、全く見えなかったのだ。
「雪尾白羽、お前は本当に人間なのか」
「さあねぇ。ミステリアスな方が女として魅力的でしょ?」
白羽は冗談ぽく言い、「さあ次はランスギフター君の分」そう言って包みを開けにかかる。ガサゴソと途中まで開け、中を覗いた彼女は「これマジ?」と、ちょっと引いた顔になった。
「イチゴのショートケーキってあんた……」
「いいだろ別に!」
性格もさることながら舌まで子供のランスギフターであった。
再び隔離された二人。
「なぁ聞こえるか、アーソンマン」
「正直一人にもどして欲しいが声のやり取りは出来るみたいだな」
「……お前さ、なんで人類と敵対してんだ」
「俺は……そうだな、お前はどうなんだ」
「俺の理由はシンプルだ。数が多いってだけで偉そうにしてる人間がムカつくんだよ」
「はは、そりゃ羨ましいな。悩まなくて済みそうだ」
「ちっ、馬鹿にしやがって。ほら、今度はお前の番だぞ」
「う~ん、なんというか、説明しにくいんだが」
――とにかく、人間というものが気持ち悪く感じた。
「は?」
「馬鹿なお前でも魔女裁判くらいは知ってるだろ」
真っ赤になって怒った顔を想像し、フフっと笑ったのを皮切りに、アーソンマンは独白を始める。
――俺のマスターは中世のヨーロッパで死んだ。
俺を使って火をつける仕事をしていたが、それは確かに魔法のように見えたに違いない。やがて国は俺へ戦争に参加するよう要請した。
マスターは反対した。しかし断れば、俺はともかくマスターの身が危ういと考え、俺は独断で前線に立った。結果、それは間違いだった。そばで守り続けることこそが最善だったのだ。
噂を聞いて強引に戦線を離脱し、街に戻った時には、マスターは火にかけられる寸前だった。マスターさえいなくなれば俺を手中に収められる。国はそう考え、無力な女に魔女のレッテルを貼った。魔法を使う僕 を持つ者は、魔女で違いなかろうと。
俺はマスターを救おうとした。腕を振るうだけで火付け人の心臓を燃やせるのだから、それは可能だった。だが、マスターは黙って首を振った。それだけではない。初めて原初の波動を放った。俺が身動きできないよう、血の力で命じてきたのだ。
直立する俺の視界の中で、マスターは炎に包まれた。やがて響いていた絶叫が途切れ、パチパチと爆ぜる音だけが聞こえるようになったころ、俺の体は自由になり――。
俺は、その場にいる人間すべてを焼き殺した。
「なんつーか、意味のない話だな。お前のマスターはお前が人を殺すのを嫌がったんだろ。なのに皆殺しって、誰も得してねー」
「まったくもってその通りだな」
「それで、その時の怒りがお前を反人類に駆り立てたと」
「いや違う」
俺は生き残りがいないか探し回った。死体を踏みつけながらな。そうして死体の上を歩いて処刑場所まで辿り着いた時、一つの死体に気付いたんだ。その死体は小さな女の子のもので、火付け人からそう離れていない場所にあった。それで、ああ、あれは皮肉な偶然というか、とにかく、彼女の腕の中にあった物は俺の炎を免れていた。
それは、少しだけ水の残った、桶だった。
「どういうことだよ。助けようとしてたってことか?」
「さあな。水汲みの途中で立ち寄った、ただの野次馬だったかもしれない」
「で、どうしてそれが反人類につながるんだよ」
「だから、気持ち悪いと思ったんだよ」
――善も悪も、あまりに複雑な人間というものが。
「逃げだな」
「そう思うかい」
「なんか分かんねーけど、思考停止ってやつに聞こえるぜ。色々なものに向き合うのが嫌になったってかんじだ」
「……」
「お前さ、ここを出られることになってもお前は残れよ」
「どうしてだ」
「気持ち悪いって自分を含めてだろ。マスターとの絆、人間への思いを断ち切れない自分自身にさ」
マスターとゴーレムの絆は遙かな時を超えるほど深い。明くる日の朝、そんなこと知る由もないラーメンは登校し、靴箱を開ける。ヒラリ、一枚の便箋が落ちる。拾うと、彼はあたりを見渡し、中身を読む。
“今日の放課後、屋上で待ってます――雷鳴エレコ”
ポケットにつっこみ、そそくさと去る姿を、エレコは物陰からじっと見ていた。
「ゴーレムのくせに人間どもと一緒に暮らしてるなんて……マスターを奪った人間どもと……」




