ポスト アングリーモンキー
朝、HR前。京子はとある絵を蜜柑ちゃんに描いてもらっている。
「目は切れ長で……そうそう、そんなかんじ」
数分後。
「いちおう完成よ。どうかしら、京子さん?」
「すげぇ、お母さんにそっくりだ。会ったこともないのにすげぇよ蜜柑ちゃん!」
ちょうどその時、猿が教室に入ってくる。
「おい猿、見ろよ。蜜柑ちゃんってすっげー絵が上手いんだぜ」
「……」
ぷいっ。
「?」
そっぽを向かれ、京子は首を傾げる。
キーンコーンカーン。二時限目終了のチャイムが鳴り、生徒達は各々雑談に興じている。今度こそと、京子も猿に話しかける。
「昨日のプロレス見たか?まさか我南無のやつがベルトとるなんて」
話の途中で猿は机に突っ伏し、寝息をかきはじめる。一体全体何なんだよ。京子はモヤモヤを抱いたまま、昼休みを迎える。猿を含めたつっこ軍団が昼食をとっている教室に、買い物袋片手に元気よく飛び込む。
「おい猿、コンビニでバナナオレ買ってきたぞ。私が奢るなんて凄いレアだぜぇ?」
「校外に出るの校則違反だろ。いらねーよ」
「……」
そして、放課後がやってきた。
「猿、一緒に帰ろう?なんか怒ってんのは分かったから、話を聞かせてくれよ」
「うるせー近寄んな」
「ってなかんじなんだ。みんな、なんか分かるか」
ここは前回打ち上げに使ったカラオケの一室。今回は京子がつっこ軍団の女子陣営に相談する場となっている。
「うーん、猿くんが怒ってる理由ねー」
「頼むよビッちゃん。この中じゃ一番男を知ってるだろ?」
「言い方に気を付けて」
ビッチ先輩が低い声を出したところで、今度は糸子が口を開く。それは純粋な疑問だった。
「なぁ、男子が怒る理由ってどんなのがあるんだろう」
いわゆる男子特有の地雷というやつ。一同は自分が知ってるパターンを一つずつ発表することにした。
つっこの場合。
「ご馳走さまっ。やっぱあんたって料理うまいねぇ」
「おい、ピーマン残ってるぞ」
「そんなー。ちょーっとくらい、いいじゃん」
「食え」
「で、でも」
「いいから食え。少しずつでいいから」
これ小学校の時ね。つっこが言うと、みな頷く。
「ラーメンくんはそうだろうねぇ」
「なっ、雪尾って一言も……」
「ふだん見ない迫力にときめいた。そういうことでよろしいかしら?」
「蜜柑ちゃんまで!」
ビッちゃんの場合。
ワーワー言っている。とにかくワーワー言っている。ワーワー言ったまま、デートは終盤を迎える。
「そんなに一生懸命喋らなくてもいいんじゃないか。俺はじゅうぶん楽しいぞ?」
…………は?
ええと、今のは。
まさかドストレートでノロケてくるとは……。
今のメガネか?メガネらしいよな。
「ノロケてないもーん」
一同は舌打ちした。
糸子の場合。
「姉ちゃん、すっ裸で歩き回らないでよ!」
ああ、悟くん……。
「ちょっと待って。弟なんてズルくない?糸男くんの話をしなさいよ!」
「そうは言ってもな、ビッちゃん。糸男ってあんまり怒らないし。イジワルは言ってくるけど」
あの糸男がイジワル?
結果、最大級のノロケが出ました。
期待の新人、蜜柑ちゃんの場合。
「え、いや、期待のって言われても、私あんまり男の子のことは……」
「またまたぁ。なんでか知らないけど最初から本屋くんと仲良かったじゃない」
「はっ、何で私があんな軟弱ヤローと仲良くしなきゃなんないのよ。ま、たまーに根性みせる時あるけどちょっと誉めるとすーぐ調子に乗るんだから。大体なに!?自分のことイケメンと勘違いしてんじゃない?ちょいちょいちょいちょい色んな女に優しくしちゃってもーつぎ会ったらビンタビンタビンタビンタ」
ああ、これは、怒れない関係だ。
……。
と、いうわけで総決算。
「どいつもこいつもイチャコライチャコラ、ノロケてばっかで役に立たん!」
「つーわけなんだ。お母さんなら分かるか、猿が怒ってる理由」
夜、京子は自宅の神棚に話しかけていた。神棚には梓さんの祖父であり、師匠である老人の遺影と、今朝がた蜜柑ちゃんに描いてもらった籠乃の肖像画が並べてある。グラサンに袖の破れたジャケットでVサインなどと、妙にパンクな爺さんは、隣に綺麗な姉ちゃんが来て喜んでいるようにも見える。
だけど絵は、ただの絵だ。そう思い、京子は立ち上がろうとした。
「ふむ、思春期の少年が怒る理由……か」
籠乃が神棚に胡坐をかいて座っている。京子はズザザザザと畳の上を後ずさった。
「うわぁぁあああああ!!」
悲鳴を上げると、今度は縁側に面した障子がシャッと開く。
「む、出たのか、ゴキブリが!!」
アルトが刀に手をかけてキョロキョロ見渡している。
「わああああああああ、なんでっ」
ビックリしすぎて涙目になった京子が叫ぶ。
「なんであんたら普通に出てくんだよっ」
「この絵はよく出来ている。私の依り代にぴったりのようだ」
「私の依り代はもちろんお前だ。無意識に拘束を緩めてくれたおかげで出られるようになった」
「いや知らんけどな。同じような口調が三人も揃うと誰が誰やらだぞ」
つーか前回のアレでコレってどうよ。京子がガミガミ言っていると、廊下側の戸に近づく足音が聞こえた。「京子さん。神棚の部屋で何を騒いで……」開いた戸から顔を出した梓さんは、似たような顔が並んでいる光景に固まる。
「女子会?」
……。
かくかくしかじか。京子は改めて三人に悩みを相談する。
「ほら、お母さん達は大人だから、男のこともよく分かるんじゃないか?」
「あ、ああ。まあ、な」
「ええ……そりゃあもうアレよ。アレ。イケイケギャルだったわよ」
「おい京子、こいつら露骨に目ぇ逸らしたぞ」
てかイケイケギャルってやべーな。汗を拭うアルトに籠乃と梓さんが詰め寄る。
「なんか外野ポジ決めてるけどあんたはどうなのよ」
「そうだぞ。実はこの中で一番の年長者だろ」
「私はルナ一筋だから関係ない」
うっわー、ガチよガチ。
ふむ、嫌いではないが……。
「もーう、脱線するなよー。ちゃんと私の話を聞いてくれよー」
正座。
「あのさ京子、お母さん足痺れちゃって」
「集中してないと脱線するからだめだ」
京子は腕を組んで三人を監視している。こ、これは……誰か突破口を……!
「京子さん自身に何か思い当たることはないの?」
「おお、梓の言う通りだ。お前自身、身に覚えはないのか。何か少年を怒らすようなことは」
「う~ん、私、何かしたかな」
弁当のバナナから中身を抜き、巧妙に元の形に戻して鞄に入れておく。
弁当のバナナを股に挟み、「男になっちゃった!」というギャグをやる。
弁当のバナナを股に挟んだ状態で皮を剥き、糸子に喰わせる。
弁当のバナナを糸子の乳の上に乗せ、「とれるもんならとってみろ」と猿を挑発する。
「弁当のバナナで色々やりすぎよ!」
ちなみにラーメンにも「食い物で遊ぶな」と怒られてました。
門の前。梓さんに見送られ、京子は自転車に跨がる。アルトは京子の中に収納済み、籠乃は神棚の部屋で待機中である。
もう、こうなったら直接きくしかないんじゃない?梓さんの助言により、猿を呼び出した公園へ、今から向かうのである。
じゃあ、行ってくるよ。走り出した自転車が道路の角に消えると、残された梓さんは神棚の部屋に戻り、ワクワクした顔の籠乃が迎える。
「どうだった?」
「めっちゃ緊張してた」
どうなるかな、どうなるかなっ。手を取り合ってキャッキャと興奮気味の二人。止まっていた親友同士の時間が、再び流れ始めていた。
いっぽう自転車は夜の道路を走り、やがて公園へ。入り口付近に駐輪して中に入ると、まだ猿は来ていない。京子はソワソワ落ち着かないそぶりでベンチに座って待つ。
実は呼び出したと言っても、梓さんにメールを打って貰ったのみで、返事も待たずに家を出たものだから、猿が本当に来るかも定かではない。
それでも京子はどうせ自分が悪いんだからと、覚悟を決めて待ち続ける。するとたいして時間もかからずに、公園の土が踏まれる音がした。
顔を上げると、二本の缶ジュースを携えた猿が立っている。京子の方も家から持ってきた缶ジュースを二本、掲げると、「なんだよ」と少しだけ笑って猿は隣に座った。
プシッ。せっかくだから交換した缶ジュースが開けられる。各々ひとくち飲み、その後は静寂だった。お互いどうやって切り出そうか迷っている。
「あ、あのさ……」京子が言いかけると被さるように、「スマン!」猿はいきなり謝った。
「イジケルような態度は男らしくなかったよな」
「いや、そんな……なぁ私、なんかしたんだろ。ちょっと自分じゃ分からなくて……」
「なんかしたっつーか、相談して欲しかったんだよ。お前、大変だったんだろ」
「……?」
僅かな思考の末、猿の言ってる意味を悟り、京子は慌てる。
「ちょっと待て、なんで知ってるんだよ。あの場にはいなかっただろ」
誰かに聞いたのか?そこまで言って、すぐに答えが見つかり、すっと肩が落ちる。
「そっか、社畜星人……」
「そうだ。街が元に戻った時、俺はなんだか違和感を感じて、何があったのか社畜星人の力で探った。正直ショックだったよ。お前が悩みを抱えていて、そのせいで大変なことが起こって、俺が知った時にはもう、何もかも終わったあとだったなんてな」
「社畜星人……なんで猿に伝えちまうんだよ……」
京子が膝の上で固めた拳に呟くと、猿の肩にポン、ピンクのサルが現れる。社畜星人は前に見た時と違い、真剣な顔つきで言った。
「なんでって、私も怒ってるからですよ。洋介さんがどれほど京子さんのこと心配しているか分かっ」
「ああ、もう、いいから。お前は引っ込んでろ」
ギュウギュウ押し込まれ、社畜星人は猿の肩に消える。「本当にごめん」京子は俯いている。社畜星人もまた、彼女のことを心配してくれたに違いなかった。
「私、怖くて……醜い自分を知られるのが……」
「まぁ、その」
猿は少し顔を赤くして頬を掻く。
「あんまり怖がるなよ。俺はお前から何が出てこようが、受け止めるからよ」
これはなんなんだろう。初めて友達が出来て、夏休みを越えたばかりの京子に、その感情の正体は分からなかった。だけど委ねるままに動けば、彼女の身体は自然と……。
「うおっ」
黒髪から漂う甘い香りが、猿の鼻腔をくすぐる。華奢な腕が、背中にまわされている。頬から伝う雫が首筋を濡らし、猿は身体から力をぬく。
「お前、気ぃ強い割によく泣くよな」冗談ぽく言って京子の頭に手を乗せると、頷きの感触が返ってくる。
「ほんとの私は……泣き虫でっ……」
「ああ、それに、甘えん坊だよな」
「ばかっ」
そこから先は、ただただ嗚咽が続いた。そしてようやく収まった頃、京子は猿の首筋から顔を離す。
お互いの顔を見て、二人とも真っ赤になった。
「あっ、その……マジでごめん」
「い、いや……」
「……」
「……」
戻ってきた理性は気まずい沈黙を呼ぶ。そんな桃色恥ずかし空間に、実はもう一人の人物がいた。
じ~っ。アルトはしゃがみ込み、抱き合う二人を見つめている。
「チューするのか?」
二人は沸騰した。
「ア、アルト」
「誰だお前はぁぁ!」
「京子から出てきた者だがさっき言ってたよな。なんでも受け止めると」
いや、こんなのが出てくるとは聞いてない。猿の主張はパクパクと声にならなかった。




