ポスト 遠回りの果てに
「……だと思うのよ」
「ば、馬鹿な。そんなこと、ルナが考えていたわけないだろう」
「じゃあさ、意外と庶民的な食べ物が好きじゃなかった?」
「……好きだったな……私が作っていったおにぎりとタクアンが好物だった」
「あんまり派手な格好は嫌がったり」
「そうそう、女中に一晩じゅう追いかけられていた」
「人を使うのは苦手?」
「宮殿の掃除は自分もすると言ってきかなかったな。それに、どこに行くのも自分の足で歩いた」
「そして、あんたと喋っているだけで、楽しそうに笑っていた」
「……」
「やっぱりそうだ。彼女はきっと」
神様をやりたくなかった。
「そんなわけ……人智を超えた存在だぞ。二つの星の源なんだぞ!?神じゃなければ一体なにに」
つっこは自分の首筋にあてられた黒刀を見る。
「あんたさ、使えないっていったけど、本当は使わなかったんでしょ」
「そんなことはない。私は本当にルナの期待に応えようと」
「頭ではそう思っていても、心は嫌がってたんじゃない?月器は人の思いによって力を発揮する。眷属器だったけど、そういう状況を見たことがある」
「……確かに、ルナから与えられた力でルナを守っても意味がないとは思っていた。安いプライドだと笑われるだろうが、私は私の力でルナを守りたかった」
「そんなあなただから、ルナは無辜の剣を託した。彼女もまた、破壊の力を使いたくなかったし、使われたくなかったのよ」
アルテミスは声を失う。つっこの話した理屈は、ルナの自分に対する裏切りに聞こえた。
「使われない前提の月器を、私は渡されたというのか!?」
「まぁ、エゴなのは否定出来ないわね。でもあんたが嫌いだったわけじゃない。考えてみてよ。破壊が起こらなければ、創造の力も使えない」
「まさか……封じた!?私に無辜の剣を渡すことによって、自分の力を。神たる所以を!!」
「その通りだよ。ルナはあなたと二人、月で一番弱く、役立たずになりたかった。普通の女の子である自分と、役目じゃなく、ただ『好き』という感情だけで側にいてくれる、友人を望んだのよ」
そんな。アルテミスの中で、今までの自分が崩れていく。アルテミスはつっこの首筋から刀を離し、地面に叩きつけるべく、大きく振りかぶった。
出来なかった。ルナが無辜の剣を自分に渡した、本当の意味が分かったからだ。
「これは……信頼の証か」
「そうだろうね。ほら」
刀身に白い文字が浮かび上がっていた。
“あんたは自分の幸せを見つけられる”
月の殆どは砂漠が広がっている。N粒子が変化の可能性を失い、死んだ状態で具現化固定しているせいだ。わずかに残った居住可能なエリアに結界を張り、人々はなんとか生活を維持していた。
貴重な水源である湖が、つっことアルテミスに波の音を聞かせている。
「勝手なこと言っていいか?」
「ん?」
「あいつらに、また会いたい」
「勝手じゃないよ。あんたも京子の中で、ずっと見てきたんだもんね」
「任せていいのか」
「どこまでやれるか分からないけど、ま、やるだけやってみるよ」
「やれるさ。お前は正統なルナの後継者なんだから」
つっこは堤防の上に立ち上がり、んーっと伸びをする。パンパン。頬を叩き、「よし」気合いを入れる。二人が初めて出会った場所、いつもの交差点で、京子は信号を待っている。
隣に立つ。視線は真っ直ぐのままだが、京子の方もきっと気付いている。
「知ってた?初めて会った時、私の方もドキドキしてたんだよ」
「つっこ……私は取り返しのつかないことを」
「臆病なのは京子だけじゃないよ」
「そんなんじゃ済まされないだろっ。私のしたことは」
「取り返しのつかないことなんて、何もないよ」
つっこは京子を抱きしめる。
「大切な人に、また会いたい?」
腕の中で、無言の頷きが返ってくる。
「じゃあ目を瞑って。その人のことだけを考えて」
肩に顔を埋め、「あずさ」と呼ぶ声が聞こえた。
京子の背中の向こう、横断歩道を隔てて、制服の女の子が手を振っている。やっぱり、少し似てるかも。つっこは思い、小さく頷く。
そして月の子は、受け継いだ力の片鱗をふるった。
「古月隊長、古月隊長!」
「むぅ……九朗君か。ここは、監視室か。ワシらは消滅したはずだが……」
「モニターを見て下さい。逆流現象中心部からN粒子があふれ出し、物質を再構築しています。言うなればこれは、逆・逆流現象」
「そうか……ルナ様は『今』を肯定なされたか……」
モニターは街に光の粒が降り注ぐ光景を映し続けている。
「京子、目を開けてごらん」
言われた通り目を開けると、ザワリと葉擦れの音が聞こえた。見上げれば見覚えのある古木が、何かを教えるように枝を揺らしている。それはきっと記憶。幼いころの記憶と同じ声が、彼女の名前を呼ぶ。
「京子」
すぐに振り向く勇気はない。だけど、臆病でも、少しずつ前に進んでいこうという意思を、彼女は既に持っている。
ゆっくりと振り向くにつれ、懐かしいと思える喜びが、京子を満たしていく。
「お母さん!」
走り出し、籠乃の胸に飛び込む。柔らかさも、匂いも、温かさも、ちゃんと全部覚えていた。
「大きくなったな」
「今まで忘れていてごめん」
「よいのだ。おそらくお前の中の精神生命体が記憶を封じていたのだろう。お前を守るためにな」
「アルトが?」
「化け物などと、誤解していたようだ。奴はお前と同じ、孤独を抱えた寂しがり屋だ」
「うん、意外と可愛いやつだなって今なら分かるよ。今だって寂しがり屋と呼ばれて、膨れてる」
普通の親子のようにクスクス笑いあっていると、そこへ、箱衆たちも姿を現す。
「善三!」
「いやぁ京子ちゃん、綺麗になったな」
「気をつけろ京子。そいつは『ろりこん』というやつかもしれない」
どうしてそうなるんですかい!善三が憤ったところで皆、笑った。
「あのさ、みんなは」
「すまない。具現化は一時的なものだ」
「そっか……もうすぐ消えてしまうってことか」
「見えなくはなる。だが精神生命体として、我々は存在を許された。だからずっと、お前のそばにいる」
それに。籠乃は指をさす。
「お前にはもう一人、親がいるだろう?」
京子の胸が、大きな鼓動を打った。
「あ、あ、あ」
「ほら、早く行ってやれ」
背中を押される。躓きそうになる足にもどかしささえ感じながら、京子は彼女の下へ走った。
「梓!」
「京子さん」
二人は強く抱き締めあう。「もう、梓さんでしょ」囁きながら、梓さんの視線は籠乃を向いた。彼女と箱衆の体は、既に薄くなりつつある。梓さんは京子の肩を叩き、そちらを向かせる。
京子はもう、戻ろうとはしない。そのことに満足そうな顔で頷いて、籠乃は梓さんを見た。
実の親から育ての親へ。彼女の瞳は意思を伝えている。
――あとは任せたぞ、親友。
長い夜が明け、つっこは自分のベッドで朝を迎えた。伸びをすれば、ようやく日常が返ってきた実感が湧いてくる。
日光をとりこもうと窓に近づき、カーテンを開けたところで、爽快感はふっとんだ。
「あの野郎……」
二階から見下ろす門前に、土下座をする京子が見えている。ふんっと鼻息一つで無視を決め込み、つっこはシャワーを浴びに下へ降りた。
20分後、身支度を終え、部屋に戻る。鞄をとろうとしたところで、第六感がピーンとくる。急いで窓に寄って外を見れば、京子の横で糸子が土下座していた。
「増えてる!」
ドタドタドタ、バーン!玄関の戸が乱暴に開けられる。
「あんたら恥ずかしいからやめてよ!」
「迷惑かけてすまんのう」
「危ない目に遭わせてすまんのう」
ご近所の目があるからいったん家に入って!招き入れたところで母親の出した朝食を「すまんのう、すまんのう」言いながら完食した二人を、つっこは決して忘れないだろう。
「よし、次はラーメンの家だ。行くぞ、糸子!」
「おう!」
味をしめやがったな。ワキャワキャと騒ぎながら雪尾亭へ向かう二人に呆れながら、つっこは同時に「戻ってきたな」とも思う。
「遅刻しちゃだめだよ!」
ふ、と笑い。彼女は学校への道を軽やかに歩き始めた。
いやぁ~、久々で所々わすれちゃってたよ。ヘラヘラ笑う本屋がマイクを置くと、画面に表示された点数は95点。
「うんうん、お前ってそういうやつだよな鼻につくわー」
「グッジョブ中身だけチャラ男、鼻につくわー」
なんだよお前ら、たまには俺を褒めろ、愛でろ!本屋が猿とビッちゃんにワーワー言ってるのをバックに、京子が蜜柑ちゃんにオズオズと話しかける。
「な、なぁ。一緒に歌わないか?」
「え、でも私、あんまり知らないのよ」
「これなんかどうだ?前につっこが教えてくれた歌なんだ」
「あ、それなら私も入院してるとき、かもめさんに薦められて」
選曲ボタンを押そうとすると、下手くそなくせにマイク奉行と化したつっこが、勢いよく肩を寄せてくる。
「え、なになに。それ歌うの?」
「どうする蜜柑ちゃん。つっこも入れるか?」
「ここだけのはなし、かもめさんが入れば私達の不慣れな歌がごまかせると思うのよ」
「……ここだけのはなしをマイクに向かって喋らないでよ、蜜柑ちゃん」
よーし、じゃあ次は三人で歌うんだな。かしまし娘達から機械をかっさらった本屋が、流れるように選曲ボタンを押す。
「あ」
次曲「ポスト・リア充」




