ポスト課外授業③
当初の予定を大きく変更して、本格的にカードケースの探索にあたるつっこ達。
特に男子勢は水の中を浚う大仕事だ。まず始めに彼らが決めたことは、探索の範囲だった。つまり浅く広く探すか、ある程度絞った範囲内を何度も通るか。
「ぶっちゃけ遠くまで流されてたら見つけられないよな」
猿の発言にラーメンが頷く。
「そのパターンは切り捨てて考えるしかないだろ。幸い干潮で水量が少ないから近場にある可能性は高いしな」
「下手に広範囲に手を出して見落とす方が痛いか。ここは範囲を絞って丹念に探すやり方でいこう。メガネ、何かマーカー的な道具はないか?」
そんなことを訊く本屋も本屋だが、アームの掌から本当に出してくるメガネもメガネである。
「自動調整アンカー」
単に錘に紐とウキが付いただけのように見える道具だが、紐の部分が水深に合わせて伸び縮みするので、潮が満ちてきてもかなり正確にマーキングし続けられるのだという。
「メガネって猫型のアレみたいだな」
「いや、サンバイザー被ってる方だろ」
兎にも角にもウキを目印に四角形で囲われた部分へ、男子達はジャバジャバと入っていく。
「田植えみたいに列になってやろう。今は干潮だから川床も見えるけど、満潮になればここも結構な水量になる。急ぐぞ!」
本屋の言にラーメン、猿、メガネは「おう」と短く返事をし、時間との闘いが切って落とされた。
「あの、でも本当に……」
こちらは陸担当の女子陣営。草むらを再度探っていたが、お姉さんの手がふと止まった。
それを見て、つっこは苦笑する。
「はい、ストップ。まーたうちの張り切りメガネにどやされますよ?」
「う…」
「ここまで来たら皆の願いはただ一つ。申し訳ないとか、人に迷惑を掛けるとかは一旦置いときましょうよ」
それはつっこ達にも言えることだった。大小あれど、今頃糸男が頭を下げているだろう自治会の皆さんが気にならない者など、ここにはいない。
だけど決めたのだ。怒られようとも、迷惑をかけようとも、これをやり遂げようと。
たとえそれが、社会人のルールに反しているとしても。
「あっこれ!」
「あった!?」
「ごめん、ちっさいお菓子の袋だ。大きさがよく似てた」
糸子が糸目をショボンとさせて謝るが、致し方ないことだ。
「なんつーか結構落ちてるよな。細かいゴミが」
京子が唸る通り、一見キレイに見える川にも、心ない人間というのはやって来るらしい。陸でもこうまで探索を妨害するのだから水の中は言わずもがな。つっこが目をやると、男子勢は既に持参した袋にゴミを回収しながら作業を行っており、かなり手こずっている様子。
苦戦の予感。
「とにかく、やる!」
不安を打ち消すように、再度草むらをかき分け始めるつっこであった。
時間との闘い、と本屋は言った。それは的中し、15時をまわって満潮が近づくにつれ、作業は難航する。
「さみぃ」
思わずそう漏らした猿の太もも辺りまで、水位は上がっていた。
「無理するな。陸に上がって焚火にあたれ」
「くそっ」
メガネに促された猿はふがいない自分自身に毒づくと、それでも陸に向かってゆっくり移動し始めた。
水中での作業は思った以上に体温と体力を奪う。無理をして大変な事故が起きてはカードケースの捜索どころではない。
「よーし、猿。交代だ」
猿が焚火にたどり着くと、代わりに今まで火にあたっていた本屋が立ち上がった。
「辛くなったらすぐ言えよ」
ラーメンの気遣いに頷くと、ザバり、川の中に入っていく。
ある程度潮が満ちてからは、彼らはこのようにローテーションを組んで作業にあたっている。
ただメガネだけは、アームを足代わりにすることで水に濡れることなく作業出来るので、休むことなく働き続けている。ゴミの回収も一番活躍していた。
「あいつ、頼りになるな」
「ああ」
「思ったより悪いやつじゃねーし」
「ああ」
焚火を囲う彼らの身体は疲労を感じていたが、一心にアームを動かす仲間の姿が、その気力を奮い立たせていた。
手が痛い。
草をかき分け、目的の物がないか確認する。あるいはゴミを拾って袋に入れる。単純な動作だが繰り返すことにより着実に疲れが溜まっていく。
手を動かしながら、ビッちゃんの目は焚火にあたる男子達、そして川の中で黙々とアームを操作しているメガネを見ていた。
誰もが顔に出さないよう努めながらも、完全には疲労を隠せていない。
「なぁ、ビッちゃん」
ふいにかけられた声に振り向くと、笑っているような糸目と目が合った。
「楽しいな」
「楽しい?きついとは思うけど」
「うん。でも私は本当に友達がいなかったから。こんな風にみんなで何かを頑張るのは楽しいよ」
「…そうだね」
自分はやはり嫌な人間かもしれないと、ビッちゃんは思った。疲労が溜まるにつれ、この作業に対する疑問が頭から離れないのだ。
それはつまり、いつになったら終わりが来るのかということ。そもそもが見つかる保証などないのである。
半分以上が辛いことから逃げる口実だと自覚しながらも、やはりいつかは誰かが諦めを宣言しなければならないとも思う。
「でもね、糸子」
これはきっと、もとより嫌な人間である自分の役目なんだと、そのセリフを言いかける。
その時、肩が叩かれた。
「それは私が言うから。もう少し。もう少しだけ頑張ろう」
胸が熱くなったのは、何が原因なんだろう。
思えばずっと、自分はこんな、他人が嫌がる役目を勝手に引き受けるような立ち回りをしてきた気がする。
多分その殆どが自己満足であり、自虐的であり、余計なお節介だったんだろう。理解してくれる人は、そして優しく咎めてくれる人は、初めてだったのだ。
つっこは笑いながら、気軽な口調で言う。
「あんた結構勇気があるね」
ビッちゃんもハニカミながら言い返す。
「つっこもその髪型、ウェーブがかかって可愛いね」
「バーカ」
なんだかよく分からない会話だけど、ビッちゃんは少しだけ疲れがとれた気がするのだった。
「……お前ら何やってんだ」
あと少し、あと少しと皆が底力を奮っていると、呆れたような声が降ってきた。
橋の上で宝蔵槍子が額に手をあてている。担任達は巡回して生徒の様子を確認する責務を負っている。
つっこ達を予想外の場所で発見したのは、社へと車を走らせていた途中であった。
「いやぁ、これは、その……」
川の中から水と汗にまみれた顔を橋の方へと上げ、本屋が言葉を詰まらせている。
「社の清掃と聞いていたが。川のゴミ拾いに変わったのか?」
「目的地に向かう途中であそこのお姉さんに会ったんです。落とし物をしたらしくて、みんなで探そうということになって。自治会の皆さんには糸男…北野君が説明に行ってます」
一体どうなるのかと皆が見守る中で、本屋は必死に釈明する。
しかし、返ってきたのは深い溜息であった。
「なぜ私に一報入れなかった。携帯の番号は公開しているはずだぞ」
「それはその…言われ、なかったから……」
「お前らしくない返答だな、貝柱。イレギュラーな案件にはイレギュラーな対応が求められる。そのくらいお前なら分かると思っていたが」
「すみません、頭がまわりませんでした。以降、気を付けます」
「あ、あのっ!」
頭を下げる本屋を見て、慌ててお姉さんが橋の上まで声の届く場所まで駆けてきた。
「彼らは私の為にやってくれてるんです。叱らないであげてください」
「それは分かっていますよ。ですが私が指摘しているのはその後の対応です。彼らが他所様との約束を違えるのなら、それは学校の責任、ひいては私の責任でもありますから。私がそれを知らされなかったという点に問題があるんです」
あなたは決して気にすることないですよ。
宝蔵槍子はお姉さんにニコリと優しく笑って見せると、次の瞬間には厳しい口調で本屋に言った。
「私は今から自治会の皆さんに謝罪してくる。その間、作業を続けるのは構わんが、決して事故など……」
「謝罪は必要ありませんよ、先生さん」
うしろから掛けられたしゃがれ声に振り向くと、宝蔵槍子の視界に老人の団体が現れた。
もしかしなくても、件の自治会の方々である。
「ああ、皆さん、この度は」
「だから謝る必要はないですって。学生さんには学生さんのやり方ってもんがあるんですから。あなたへの連絡を忘れていたのも、それだけ目の前のことに真剣だったのでしょう」
代表の老人がいっそう顔をしわくちゃにして笑う。
「そうだぜ先生。若者には猪突猛進な時期がある。あんたにも覚えがあるだろう?」
気の強そうな姉ちゃんだもんなぁと、代表の後ろから声が上がり、次いで豪快な笑いが起こった。
「社会人のやり方は生きていく上で必要だが、必ずしも正しいとは限らない。先生さんや私達が忘れてしまった大切なものを彼らは持っているんでしょう」
「……」
思い当たることがあるのだろうか、宝蔵槍子は目を反らす。そこへ糸男が話かけた。
「先生、お説教は後で聞きますから、今はお姉さんの落とし物を探させてください。爺さん達もその為に駆けつけてくれたんです。ほら」
糸男が手で示す老人達は、なるほどよく見ればウェーダーやその他、水の中で作業する為の道具を携えている。手伝う気マンマンであった。
じっと老人達を見ていた宝蔵槍子だが、やがてふっと肩の力を抜いた。
「ま、爺さん達が良いって言うならいいだろう。あんたらも年寄りの冷や水にならないようにな」
「北野のせがれや、お前の担任は地が出ると口が悪いんなぁ」
「うん、そのせいで彼氏が出来…」
「さっさと行けや、こらぁ!」
老人達は歳を全く感じさせない動きで、川に向かって逃げ出すのであった。
「へぇ、箱眼鏡か。水の中がよく見える」
「おうよ。ワシらが子供の時はこれでよう遊んどった」
「六さんそっちはもう散々探した所じゃて。目印のウキがあるじゃろう?」
「爺さん腰が痛いんじゃないのか」
「綺麗な姉ちゃんの前じゃ別なんだよ、北野のせがれや」
田舎町を流れるこの川が、これほど活気に溢れていたことなどあっただろうか。
「なんか、凄いですね」
川から上がった本屋にタオルを渡しながら、お姉さんが感嘆の声を上げる。
「マンパワーってやつですかね。僕達も良い経験になります」
「ふん……」
「先生、まだ怒ってるんですか」
「そりゃ言いたいことは山ほどあるが、まぁいいだろう。とりあえずお前達はやることをやれ。私は戻らねばならんからな」
停めてある車へ戻る道程、ジャリ、ジャリ、ジャリ、と地面を踏むこと三歩ほど。
ふと立ち止まった宝蔵槍子は肩越しに言った。
「頑張れよ」
見つからない可能性の高さ。それに対する悲壮感は既に抜けたのかもしれない。
日没までの限られた時間、精一杯やろうと、学生も老人達も一丸となって働いている。
「みんな、あと一時間、ラストスパートいこう!」
つっこが最後の喝を入れると、お姉さんも川縁から声を張り上げる。
「ごめんなさいとはもう言いません、最後まで一緒にお願いします!」
おう!と、そこかしこから気合の入った声が返ってくる。
そんな中で、本屋はお姉さんのケツを眺めていた。
「逆に凄いな。こんな雰囲気でエロとは……」
京子が呆れを通り越して本気で感心しているような声を出すと、本屋は慌てて首を振った。
「ちげーよ!あの、お姉さん、ズボンのポケットのそれ……」
「えっ、ポケット?」
「ああ、横のじゃなくて後ろの……そうそう、そこ。そこに入ってるのって」
「あ」
もうだいぶ深くなった川面をオレンジの日がキラキラと照らしている。
昼からすれば少し肌寒くもある初夏の風に吹かれ、一人の女性が深々と頭を下げていた。
「皆さん、本当にすみませんでした!」
ここまで大事にしといてポケットに入ってましたとは、お姉さんの心境いかほどであるか。
「六さんもよくやるよな。頭の上に眼鏡のっけてさ、めがねめがねって」
老人達はがっはっはと大声で笑う。
「この前なんか俺の携帯しらないかって電話してきたぞ、携帯で」
怒る素振りも見せないのは優しさだろうか。いや、多分そういう人達なのだろう。
しかし老人達のような寛容さを持ち合わせていない人物もいる。
「おいあんた、ふざけるなよ」
せっかく和やかになった場の雰囲気を凍り付かせたのは、メガネこと黒淵鉄であった。
「どれだけ無駄な時間を過ごしたと思っている。人に物を探させる時は本当に失くしたのか十分に確認するべきだろうが」
「ご、ごめ…」
「今さら謝っても信用できるか。俺達が真面目に探そうって時にあんたはいい加減だったんだからな」
「……」
そんなことを言われれば、もう何も言えない。
俯いたお姉さんは声を殺して涙を堪えていた。まるで、自分は泣く権利が無いと思っているかのように。
しかしそんな仕草を見てもメガネが許すことはない。
「あんたはそういう人間なんだな?本当は写真だって、犬の事だってどうでも……」
それ以上言わせてはならない。ひっぱたく為につっこが動く、それよりも早く。
「この手はなんだ?クソビッチ」
ビッちゃんは殴らなかった。
その代わりにメガネの腕を掴んでいた。強く。
「あんたはさ、ちゃんとしてるよね。いつも正しいことをしてるし、言ってると思う」
だけどね、とビッちゃんは続ける。
「みんなあんたみたいには出来ない。誰だって間違えるんだよ。だから、許してあげなきゃ」
「この前の件の当てつけか?お前がそれを言える立場なのか」
「言える立場じゃないって分かってる。私が許されないことをしたってことも」
腕を掴む手に一層の力がこもる。
流れた涙にメガネがハッとした表情を見せた。
「だけど傍から見てて分かったんだもん。許したいのに許せなくて、思ってもいない酷いことを言って……傷ついてる」
「傷ついてる?俺が?」
何を馬鹿なと鼻で笑おうとした。だけどそこでふと気付いたのだ。
あれだけ相手を追い詰めてなお、いや暴言を吐けば吐くほどに黒ずんでいく、己の心中に。
メガネはビッちゃんを見た。
涙を拭いて、微笑んでいる。彼女はメガネを見つめ返し、ねぇ、と言った。
「経過はどうあれさ、これから先お姉さんは写真を見ることが出来るよ。辛い時とかに」
ふわりとした声を聞いたときに、メガネは肩の力がふっと抜けるのを感じた。ふぅーっと深い息を吐く。
そして、心のモヤを全て吐き出しきると。
「そうだな」
一瞬だけニッコリと笑ったのだ。
それは元々中性的な顔立ちが柔和さを取り戻したような、誰もが魅了されそうな笑顔。
見ることが出来たのは、たった一人であったが。
つっこ達の、意味がないようで意味深い一日が暮れてゆく。
ごめんなさい、そしてありがとう。
お姉さんに見送られながら、夕日の中を駅へ向かって歩き始める。
その一団から微妙に間を空けて歩くメガネ。ニヒリストな彼らしいポジションだが、今日は横に連れ添う者がいた。
「なんだよ、ビッチ」
鬱陶しそうな声を上げると、あろうことか連れ添いは顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、さっきのもう一回やって?あのニコッて笑ったやつ」
「はぁ?なに言ってんだ気持ち悪い」
「あ、待ってよ」
肩を怒らせてさっさと先を行くメガネをビッちゃんが慌てて追いかける。
持ち主達をよそに、影法師が付いたり離れたりじゃれあっていた。
後日の土曜日。HRが終わり、ビッちゃんは鞄に教科書を詰めていた。
「あんた、レポートの点数最悪だったんだって?あんなダサいやつらとつるむからそうなるのよ」
嫌味を言いながら登場したのは勿論、押杉とその取り巻きの女子軍団だ。
「ダサい…か」
ビッちゃんはつっこ達の姿を思い浮かべ、次いで何故かメガネを単体で思い浮かべてから、クスリと笑った。
「確かにお洒落じゃないかも。ちょっと変なところあるし」
軽く毒を吐きながらも、声は妙に弾んでいる。それが押杉達の神経を逆撫でした。
何よ、余裕ぶっちゃって。
ダサい子にはダサい友達がお似合いよね。
そんな取り巻きの悪口など、今のビッちゃんなら跳ね返してしまうだろう。しかしそれを確かめるまでもなく、遠くから降ってきた声がそれらをかき消した。
「おういビッちゃん、早く来なよ。今日遅れたらさすがに自治会の人達も怒るかもよ」
「あっ、待って、直ぐに行くから!」
つっこに大声で返事を返すと慌てて立ち上がる。
「ごめん、私行かなきゃ」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
もう橘美咲は押杉のもとを離れたのだから。駆けだした彼女が命令によって止まることはない。
その代わりビッちゃんは自らの意思で立ち止まり、振り返った。
「いつか押杉ともじっくり話そうと思う。きっと私達、今よりいい関係になれるよ」
「なっ……」
言葉に詰まった押杉を残し、ビッちゃんはつっこ達のもとへ駆け寄ると輪に加わった。
嘘偽り無い楽しそうな顔。
押杉の瞳の中に小さく映っていたそれは、教室から廊下へと消えていった。