ポスト追憶紀行
罰があたったのだな、いやこれは救いというものか。静かになった桜山基地で、岩蛇俊介は何度も同じことを考えていた。「おい、タダ飯食らい」ヘッドセットから声がする。
「さっさと退避しろ」
「いや、残るよ。月の民にとって、ルナと一つになれることは喜びでもある」
「何だか知らねーけどな。お前もチームの一員だと思ってるやつは、結構いるんだぜ」
岩蛇は驚いた顔をした。普段たいした働きもせず、いざ肝心な時にも役に立たなかった自分を、そんな風に思っているとは。
「あー、早めに気づきたかったな。今になってこの身が惜しくなったよ」
「おい、タダ飯食らい。おい!」
岩蛇が見つめる指先は、徐々に風化しつつあった。
国相部隊本部は、二人の幹部を残し、空になっている。九朗が見つめる監視モニターには、光の粒が舞い上がる市街地が映し出されている。
「中心部から半径15㎞の地表面、約30%が消失しています」
消失ではない。と、古月は静かに言う。
「全てが彼女の下へ還るだけだ。我々は再び一つになるのだよ」
「ですが地球で生まれた者にとって、それは死と同義です。さあ、部隊長も早く退避を」
「……どこに逃げようが変わらんさ」
「ラー……メン?」
「気付いたか糸子。目覚めていきなりでびっくりするだろうが、もう何もかも終わっちまうらしい。最後に一緒なのが糸男じゃなくて悪いな」
「ああ、大丈夫だ。糸男にはまた会えるから」
「えっ」
「忘れたのか?もう一人の私は未来から来たんだぞ。だからまだ先があるってことだ。あとはつっこが何とかしてくれるさ」
「かもめ。そう言えばかもめはどこ行った?」
かもめ、返事をしろ!光の嵐の中を鬼気迫る表情で探し始めたラーメンに、糸子は「安心しろ」と言う。
「私達の団長は、すごいんだから」
ハッとした表情でラーメンが振り向くと、そこにはもう、糸子の姿はない。
「くそ、俺はゴーレムだから最後なのか?みんなを見送らなくちゃならないのか?」
彼はもう、光そのものとなった世界に向かって、己の望みを託すしかなかった。
「頼んだぞ、かもめ。俺たちの日常を取り戻してくれ」
鏡の中に、着物を着た自分が写っている。浴衣は着たことあるけれど、着物はこれであっているのだろうか。つっこは首をひねる。
「おうい、まだか」
「うん、一応着れたのかな」
見た目は大丈夫そうだけど。試着室を出ると、アルテミスが「ほう」と感心したように息を吐いた。店員のおばさんも細かいところを手直ししながら、「お似合いですよ、上弦のお嬢様」と褒めてくれる。
そのまま着ていくことになり、レジへ向かう。途中でつっこはアルテミスにコソコソ相談する。
「あのさ、お金って……」
「懐を探ってみろ」
「あ、財布が入ってる。中身は……えっ、こっちの通貨って円だったの?」
「日本がどれだけ特別か分かっただろ。あー、それと、お札に書かれている人物を見てみろ」
「こ、この糸目はまさか」
「何代か前の酋長は香月家の人間だった。香月花梨の先祖にあたる人物だ」
わはははは、くるしゅうないくるしゅうない……くるしゅうないってどういう意味だ?
つっこは国を治めるド天然を想像し、大丈夫だったのかと心配になる。
「意外と善政を敷いていたぞ。人柄は絶対的な支持を得ていたし」
「へ、へぇ~」
着物は一万二千円だった。「いや安っ!」つっこは店を出るなり叫ぶ。
「一万なんぼってそりゃ私たち高校生には大層な値段だけど、着物だよ!?物によっちゃ十万とかするんじゃないの」
「そこはほら、文化の違いってやつさ。こっちじゃ着物が普段着だったんだよ」
「うーん、そういうもんかなぁ」
腑に落ちない顔が防波堤沿いをゆく。辺りは山、家、海。ちょうど糸男の住んでいる港町のような風景で、やがて見えてきたいかにも田舎~なバス停に、つっこは「のどかか!」とツッコミを入れる。
「ん、どうした」
「いやこう想像と違うと困るんですよ。もっとスター○ォーズ感出してくれないと」
憤る隠れオタクの耳に「ヒュウウウウウ」と何かの機械音が届く。見上げれば靴のような形の乗り物がゆっくりと降下してくるところであった。乗り物はバス停の前まで降りてくると、地面からいくらかの空間をあけて停車する。
「そうそう、こういうのでいいんですよ」
オタクは目を輝かせて乗り込んだ。
プシッと音をたてて扉が閉まると乗り物は再び高度を上げ、海の上に出ると、再び高度を下げて海面近くを飛ぶ。「ウホオッ」他に乗客がいないのをいいことに、つっこは窓から見える景色に興奮していた。
「やっぱゴーレムとか造ってた星は違うわね。こうして見ると豊かな緑も進んだ環境保善技術の賜物って気がするわ」
「環境保善は死活問題だったから否定はしないが……そうか、ゴーレムは地球人の概念でサイボーグとかロボットだったな。それでは月の科学に関して誤解するのも無理ないか」
「どういうこと?」
「今から行く場所で答えがみつかるだろう」
発電所まえ~、発電所まえ~。乗り物は田舎町からさらに郊外にある停車場に到着した。運転手横の運賃入れに小銭を入れると、「ありがとうございやした」制服を着たおじさんが軽く頭を下げる。
「あ、人が運転してたのね」じゃっかん残念そうなつっこの頭には金色のドロイドがカクカク運転する画が浮かんでいる。運転手は苦笑して、「ああ、都会から来た子だね?ドローンポッドはこんな田舎にはないよ。まだまだこっちじゃ運転は下弦民の仕事さ」と、少し読み違えた答えを言った。
下弦民?そういえばさっき、服屋のおばさんも上弦民とか言ってたわね。
察するにポッドと呼ぶらしい乗り物の停車場から山へ上がる坂道。えっちらおっちら歩きながら、つっこはアルテミスに二つの単語の意味をきいてみた。
「身分制度だな。月の民は家格と呼ばれる家柄の違いによって、はっきりとした序列社会をつくっていた。より強力な月器やゴーレムを輩出してきた血筋は高く、力の弱い者は低い。そして国家から直接の仕事を請け負う家系を上弦、それ以外を下弦民と呼んだ。さっきの運転手が言っていたように、都市部で複数のポッドを遠隔操作できるような家系は間違いなく上弦民だな」
「貴族と平民みたいなもの?封建社会って現代日本人からすると抵抗あるんだけど」
「たしかに封建社会だが、たぶんお前が思っているのとは違うな。だからこそ私は問題があると……まぁいい。ここを見学したあとで考えを聞かせてもらおう」
坂道の頂上に広がる施設、その入り口には、「松原第二発電所」と書いてあった。
「見て、見て、アルテミス。すっごいモノモノしい機械や建物がいっぱいあるよ!」
うはーモノモノしい。モノモノしパラダイス!きょろきょろ見回すつっこに「モノモノしいって良い意味では使わないだろ」アルテミスが呆れていると、そこへ誰かが近づいてくる。
「お二人さーん、見学希望者ですかー?ビビビビビー!!」
稲妻のようにハネた金髪を大きく揺らし、女の子がピョンピョン飛び上がって歓迎を表している。
モノモノしさ、壊滅!
「もしかしてあなた、ここの関係者?」
「そうですよーエレコですよー。見学希望者の方はあちらの詰め所で名前を書いて下さいねービビビビビー!!」
「うーん」
詰め所に行くと、小窓の外がカウンター状になっており、そこに帳簿が置いてある。いわれた通り帳簿に名前を書くつっこだったが、奥に見える「かき氷300円」や、「冷やし中華始めました」の張り紙に、再び「うーん」と唸った。
エレコは詰め所の中で心配そうな顔をしている。
「あの、何かご不満でも?」
「いや、こいつは自衛隊の入場手続き的なノリを期待したんだろう」
「自衛隊?」
「あー、すまん。こっちのことだ」
中に入ると施設のいたるところからカーンカーンと金属を叩く音がする。エレコが案内する道中にも人がいて、こちらに気付くと「エレコちゃーん」作業を止めて手を振ってくる。
「見学なんて珍しいね!」
「上弦の方々らしいですよー!」
「そいつはいいや。給料もちっと上げてくれって国に掛け合って下さいよ、上弦民さまー!」
だったら無駄口叩いてないで手を動かせー!エレコの冗談に頭を掻いて、作業員は仕事に戻る。つっこはこっそり「あの人は……」とアルテミスにきいてみる。
「下弦民だな。そもそもここみたいな辺境の施設には上弦民は基本一人だ」
「エレコちゃんは」
「今更、分かってるだろ?」
そうこうしている間に大きな広間に着いた。ガラスに覆われたコイルが並び立ち、中央には王座へ向かうように短い階段がある。エレコは階段を上り、少し高い位置から二人を振り向いた。
「お客さん、運がいいですよっ。ちょうど今から発電する時間なんです」
えっ、発電ってこの部屋で?つっこが驚いていると、エレコは所定の場所に立ち、四隅から触手のような線が両手足首に絡みつく。
「それはヤバイわよ、エロ子ちゃん」
「エロ子ってなんですか!想像しているようなことはしませんよ!」
まもなく発電を開始します。見学者及び作業員は結界から離れてください。
場内アナウンスと同時に、エレコの立つ区域を半透明の膜が仕切る。「ほ、本当に変なことしないでしょうね」「心配するな、あっちの発電は男がするもんだ」アホなやりとりの間にも、エレコの金髪が逆立っていく。
そして――。
「ピッピカチ……」
「「やめろおおぉぉぉぉぉお!!!」」




