ポスト起動、無辜の剣
――お前の弱さがもう一人の親をも殺したのだ。
京子と融合を果たしたアルテミスは拳を握り、開く。久しぶりの自由だが、喜びはない。少し離れたところでは、こちらへ向かおうとするつっこを、必死にラーメンが抑えている。叫び声はまるで壁を隔てているかのように全く耳に入ってこない。壁の向こうとこちら。アルテミスは母星で抱いていた疎外感を思い出す。
――どうして私だけ連れて行ってくれないんだ。私だって戦える!
届かないのは分かっているのに、二人に向かって手を伸ばす。「テラ、ルナ」旧友達の面影に、思わず語りかけていた。
「どこにいても、けっきょく私は独りぼっちなのだな」
悠久の時を超えてなお残るわだかまりに、クツクツと自嘲が浮かぶ。京子、お前だけじゃない。私も弱く、そして醜い。
「終わりにしよう」
空中に浮かぶ無辜の剣が呼び寄せられ、アルテミスの指が触れる。
そして、罪無き終焉が始まった。
副部隊長執務室。昇進と共にあてがわれた本部の一室にて、九朗時定は書類仕事に追われていた。と、デスク備え付けの内線電話が鳴り、彼はPCのキーボードから手を放して受話器を取る。
大規模逆流現象現出。副部隊長はただちに監視室へ。
国相部隊監視室。大型監視モニターを前方に据え、多くの職員用デスク及び司令席を抱える大ホールのドアが開くと、九朗は早足で部隊長の下へ参じる。この部屋では司令の座にある老軍人が振り向き、九朗はまず頭を下げた。
「遅れてすみません、古月隊長」
「ああ、気にするな。副部隊長に着任して早々、すまんな」
「いえお気遣いなく。それで、原因は種なのですか。何の反応も検出されなかったので?」
古月が顔を向け、表情で促すと、近くにいた女性オペレーターが説明を始める。
「現象は何の前触れもなく、しかも大規模に発生、今も範囲を拡大させています。そして何よりN粒子の変化が二パターンに分かれ、二層構造を形成しています」
「二層構造?」
「ええ、外周部の励起レベル低下に反し、中心部は上昇しているんです。これは種の暴走では見られない反応です」
無辜の剣。うなるような老人の声に、オペレーターは怪訝そうに眉根を寄せる。
「無辜の剣?あれは伝承やおとぎ話の類で、以前の調査も空振りに終わったと……」
「部隊長、私もそのように聞いておりますが」
古月は深く息を吐き、「隠ぺいしたくもなるさ」と言った。
「出動した分隊すべてが壊滅となればな」
「戦闘があったのですか!」
「ああ。首相命令により当時の隊員がほとんど解雇された今、知っているのはごく一部の古兵のみだがな。確かに戦闘があり、敵はあのルドヴィコが所属する組織だった」
「『残光』……奴らが動いたということは……無辜の剣、実在したんですね」
「確認は出来ていない。何しろ敗戦だったから、回収する余裕もなかったしな。しかし可能性は高いだろう。そして原因が無辜の剣となれば、悠長はしていられない」
「何が起こるんです」
その時、けたたましい警報が鳴った。「中心部の励起レベル、急上昇。何らかの物体が具現化していきます!」オペレーターが事態の急変を告げ、古月は厳かにこたえた。
「ルナの、再誕だ」
逆流現象中心部。アルテミスは無辜の剣を掲げ、目を瞑っている。刃の先端からは高濃度N粒子流が上空に放たれ、人の形を成している。ぼんやりと光る女性の裸体。その輝きは、時間と共に強まっている。
「もうすぐだぞルナ。もうすぐ全ては君に還る」
で、例の傭兵は使えるのかね、九朗くん。古月の発言は監視室にざわめきをもたらす。質問の意図を悟った九朗も渋面をつくった。
「岩蛇瞬介ですよね。たしかに彼の月器は運用テストを終えていますが……」
「部隊長、犬昌砦跡地周辺の避難が完了していません。例の月器は運用テストこそ完了していますが、事態収拾のプロセスが確立されていない以上、使用後に大きな問題が予想されます」
口を挟んだのは先程のオペレーターだった。彼女の出過ぎた主張は普段、同僚からたびたび諫められる悪癖であったが、この時ばかりは監視室全体の総意として誰も異を唱える者はなかった。職員たちは静かに部隊長の返答を待っている。
「逆流現象がここまで到達するのにあとどれくらいかね」
「498秒です」
「ならば避難を待っている時間はないだろう。……九朗君」
「了解。郡元くん、桜山基地との中継たのむ」
副部隊長!郡元と呼ばれたオペレーターの悲鳴に、九朗は首を振った。
「天秤にかけるのが世界の存続となれば仕方ないだろう」
非情の光を瞳に宿し、九朗時定は監視室全体に大きく号令を発した。
「スカイ・メデューサを起動させる。各員すみやかに準備へとりかかれ」
国相部隊桜山基地。部隊長からの勅命をうけ、職員たちが動き回っている。
「近隣住民に対する偽装の噴火警報、発報されました!」
「上の操作は本部がやってくれる。我々は増幅器と照射器の最終チェック、急げ!」
「護符には触るなよ。我々のあずかり知らぬ技術だ」
同基地、プライマリーウェーブ出力室。施設から突出するよう設計され、前方を巨大なアンテナにつながれた部屋は、まるで何かの操縦席のような狭いつくりになっていた。座席前方、左右には、手をすっぽり覆い隠すという点で変わった形状をしているが、これまた操縦桿的なレバーが設置してある。覆いの中に手を入れ、レバーを握るのは軽薄そうな見た目をした若い男だった。
「アレが月の民にとって何だか分かってるんですかい?まったく罰当たりな……」
スクリーンに向かって愚痴るも、映っている九朗は表情一つ変えず、「散々タダ飯を食って何を言う」と切り捨てた。
「君だって住むところは失いたくないだろう。神殺しくらい躊躇わずにやれ」
「しかし神はともかく一般人は……」
スクリーンの映像は変わらない。自分と同じものを背負う目に気づき、岩蛇は言葉をひっこめた。
それでは頼んだぞ。スクリーンが切り替わり、画面は巨大なアンテナを映し始める。
「ま、仕方ねーか」
俺は地球で生まれた月の民だからな。呟いたタイミングで、スクリーン横のシグナルが赤から青に変わり、アナウンスが準備完了を告げる。
「こちら管制室。全システム、オールクリアです。いつでも始められます」
「こちら出力室、了解。原初の波動、出力開始する」
岩蛇の身体から増幅器へ、月器を操作する波動が流れ始めた。
桜山基地から照射された原初の波動は成層圏に浮かぶ衛星兵器「スカイ・メデューサ」を起動させ、内部でN粒子操作を可能とする波長へと変換される。そして励起状態となり特異な性質を帯びたN粒子群が、内部を護符の結界で守られたタンクに凝縮されていく。
国相部隊本部では、オペレーターによってその様子が逐一報告されていた。
「石化エネルギー充填率30%。満たすべき充填率まであと15秒の予定です」
「各システムのN粒子汚染、及びタンク内の石化進行速度、共に許容範囲に収まっています」
順調ですね。九朗の声は淡泊であったが、努めて感情を抑えている感が拭いきれていなかった。古月は微笑し、自分のデスクに指を押し当てる。
「心配するな」
円筒状の機構がせり出してくると前面が開放され、中の鍵穴が露わになった。
「全ての責任は、引き鉄は私が引く」
充填率62%、現象封じ込めに十分な充填率です。郡元が振り向き、古月は頷くと、彼だけが持つ鍵を差し込む。
少しの間、目を瞑るが、彼の逡巡はそれだけだった。
「石化光、発射」
使命に澄んだ目を開き、鍵をまわす。上空でスカイ・メデューサのタンクから移行するエネルギーは砲身を石化させつつも砲口まで辿り着き、地上に向けて放たれた石化光線は範囲内の全てを石像と化する。……はずだった。
――ふ、愚かな。
逆流現象中心部から一筋の巨大な剣閃が走り、スカイ・メデューサを真っ二つに両断する。「何が起こった!」どよめく九朗たちの面前、監視モニター上では拡散したエネルギーが徐々にスカイ・メデューサを飲み込み、端から恐るべき効力を発揮していく。
沈黙する職員一同。自らの力によって完全に石化した国相部隊の切り札は、やがて虚空の塵となった。




