ポスト裏切り
「メモリアルバレット?眼鏡が月器じゃないのかよ」
マス・マンの大振りのパンチに、ラーメンの拳はカウンター気味に顔面を殴り付け、仰け反ったところを「送りの爪」が刺し貫く。
「まとめてワンセットよ。本来は隔離された異空間内にターゲットを閉じ込め、殲滅させるための月器だから。外で使えてるのはまぁ、裏技みたいなものね」
糸子が答える間にも、三体のマス・マンが拳銃によって撃ち抜かれている。
「対価とか言ってたよな」
有線式ロケットパンチがマス・マンの腹部をとらえるも、突き抜けたところで一瞬のうちに穴が塞がり、ラーメンの方が逆に引っ張られる。
うおっ。慌てるラーメンの肩に、トンと手をつくと、糸子は空中に身を翻し、マス・マンの背後に着地する。
ゴリ、と後頭部に銃口を突きつけ、糸子はいった。
「未来になれば分かるわ」
ドンっ。灰色の顔が弾けとび、拳が勢いよくラーメンの手首に戻る。
(すげぇな、糸子のやつ。未来で何があったのか知らないけど、かなり戦い慣れてるかんじだ。ところであの栞とかいう女は……)
ラーメンが見ると、栞は苦々しい表情でこちらを睨んでいる。目的だという京子の竹刀に手を出す様子はなく、その理由を、ラーメンはゴーレムの直感で理解していた。
(あいつの身体はきっと、月光溜りでしか実体化できない。竹刀を外に持ち出すには京子にとりつく必要があるってことか。ならば)
ラーメンはつっこを探す。彼女は京子の傍らで、なにか必死に語りかけていた。
(よし、いいぞ。二人かかえてここから出れば、栞はもう追ってこれないはずだ)
糸子、掩護射撃を頼む。アイコンタクトを送ると、頷きが返ってくる。しかしラーメンはこの時、重要なことを失念していた。
「未来からやってきた」という言葉が意味する、絶対的な事実を。
あの出逢い物語の世界に初めて入ったとき、つっこは不思議と混乱しなかった。自分に起こった現象を、最初から知っていたかのように理解できたし、ライナスやジーナが誰であるか、果てはあの世界がどうやって成り立っているかも、まるで答えが頭の中に湧いてくるように自ずと分かった。
いや、これは何かが自分に語り掛けているのだ。豹変した京子の前でつっこは拳を握る。見えない何かは言葉ではなく、揺らぐような波動をもって頭に直接つたえてくる。
京子の心を埋めつつあるのは恐怖。失ったものを思い出す、恐怖であると。
「くそっ、なんなんだよこれっ。善三は私とお母さんを守って……ああ、だめだ。この先を思い出したら私はっ」
京子は自分の体を抱きしめ、小刻みに震えている。先程つっこがマス・マンに見えたのはもちろん幻影である。栞のブランクメーカーの影響で月光溜まりにトラウマが投影されたに過ぎないのだが、もはや京子の目は傍にいる者など関係ないように、何も見てはいなかった。
「嫌なことばかりに目を向けてはだめよ、京子。ほら、周りを見て。あんたの横にいる人を見て」
それでもつっこは諦めない。必死に声をかけ続けていると、ようやく京子は顔を上げ、言われた方向へ恐る恐る首を動かした。
「ね、あんたのお母さん、すごく幸せそうに笑ってる。きっとあんたのこと、心から愛してたんだね」
「……」
「ねぇ京子。いなくなった人のことを思い出すのは辛いかもしれないけれど、忘れたら幸せなのかな。愛されていたことも忘れちゃうんなら、何も感じなくなるのなら、その人のことを思って時々涙を流すより、よっぽど不幸じゃないかな」
……ちがう。
「え?」
「私が恐れているのは、お母さんがいなくなった記憶だけじゃない」
再び京子が震えだし、つぎの瞬間、つっこの頭に映像が流れ込んでくる。
「うそ……」
血と裏切りの記憶に、つっこは茫然となった。
京子にとって、マス・マンがトラウマなのは分かる。夏休みに起こった映画館での一件だろう。だが複数いたマス・マンはさらに変形し、てんでバラバラの姿をとった。
巨大なサソリが毒針を振り上げて威嚇している。しかもただ巨大であるだけでなく、背中にはびっしりと牙が生えている。
腹に刀の刺さった軍人は奇妙な形に身体を折り曲げ、まるでゾンビのように徘徊する。
他にも全身の三分の一を眼球で覆われた球状の物体や、地面に広がる血の色をした染みから生える、無数の手。
まるで悪夢だとラーメンは思った。
「いいよ、いいよ。これなら勝てるっ」
一方で栞はみなぎる力に酔いしれていた。キャハハハハと笑いがあふれてくるが、その途中でボトリと音がして、地面を見る。
「は――」
手が落ちている。栞が「えっ」と間抜けな声をだすとまたもボトリ。今度は肘から先がなくなっていた。
「な、なにが――うおえっ」
口から光の粒をぶちまける。明らかに、胃の内容物ではなく、エネルギーの吐しゃだった。突然おそってきた激しい苦痛に栞はうずくまる。
同時に、ラーメンと対峙していたサソリの毒針が崩れ去る。見回せば他の化け物も同様に、ボロボロと身体を崩壊させ、月光の一部へと戻っていく。何が何やらだが相手のアクシデントは自軍の好機。ラーメンは大声で糸子に呼びかける。
「今だ糸子。二人を連れて脱出を――糸子?」
スタスタと歩く糸子の様子をラーメンは不審に思った。なぜなら彼女の足は真っすぐ栞のもとへ向かっていたからだ。
やがて糸子はもだえ苦しむ栞のそばに辿り着くと、声が届くようにしゃがみ込んだ。
「もうやめるのよ、栞ちゃん。ブランクメーカーを停止させなさい。このままじゃ大きすぎる穴の力に、あなたの魂がもたないわ」
「あ、あんた……だれじゃん?」
「未来の、友達よ」
虚ろな瞳に微笑みが返る。糸子の手がそっと、栞の肩に伸びる。
駄目だ糸子。ラーメンはその行為の引き起こす事態を悟り、止めようと走るも、間に合わなかった。糸子の手が栞に触れた途端、強烈なスパークと共にエネルギーが荒れ狂い、ラーメンの身体を押しとどめる。ゴーレムの膂力をもってしても歯が立たぬ膨大な力の奔流は、栞の周辺では刃物のように鋭く、糸子の身体を切り裂く。
栞は自身の苦しみも忘れ、困惑した。
「あんた、何やってんの。死ぬよ?」
「ぐっ……栞ちゃんがこのまま嘘を続ければ、どっちみち未来で死ぬわ」
「あたしが嘘を?未来の友達とか言い出したり、意味わかんないんだけど。つーか友達って……私に友達なんか」
出来るわよ。と、糸子は言わなかった。その代わり肩に置いていた手を背中に回し、強く、強く抱きしめた。
「あああああっ」
「糸子!」
血しぶきがあがり、つっこの悲鳴が糸子の名を呼ぶ。「つっこちゃん」痛みに掠れる声で、糸子は嘆願する。
「私はここまで、みたい。こんなところであとを任せるのはひどい……よね。巻き込んどいて、無責任……だよね」
そ、そうか。ラーメンもつっこもこの時になって初めて気づいた。未来からやってきたということは、全てを知っているということ。糸子は目の前の危機も京子のトラウマも承知の上で、月光溜まりへと三人を導いたのだ。
一学期から夏休みを通して深めた絆に対する、真っ向からの裏切り。それでも彼女には守りたいものが、救いたいものがあった。栞の命、ではない。むしろここへ京子を連れて来なければ、今の状況は起こり得なかったのだから、別の何かである。
それは心だと、つっこには分かった。
「栞ちゃんを救ってだなんて、ムシのいいことは言えない。だけどただ、知って欲しいの。そしてあなたのやりたいようにやって欲しい。全てを理解できるあなたの力と、あなたの選択を、私は信じているから」
「力?私に力なんて」
「つっこちゃん。みんなが、つっこ軍団があなたのもとへ集まったのは、偶然じゃないわ。運命の声は月光の中にある」
糸子の指さす空には、ぽっかりと月が浮かんでいる。月光溜まりから見える満月は、生命を思わせる緑の輝きを、つっこの瞳に注いでいる。
ねぇ、つっこちゃん、ラーメンくん。糸子は仰向けに倒れてゆく。眼鏡が宙をとび、束の間、素顔の糸目が晒される。
「私たちまだ、友達かな」
くずおれる糸子。ラーメンは大声で彼女の名を呼び、同時に草を踏む足音を聞く。
「未来から来たのなら、分かるでしょ」
月に何かを託されたのか。彼の視界に現れたつっこの目は、決意に満ち満ちていた。




