ポスト砂漠の隠れ里
ほら、これがサソリよ。地面に毒虫の絵が描かれると、女の子は頬を膨らませ、鼻を鳴らした。
「ええ~っ。こんなの見たことないぞ」
外にはいるのよ。砂漠って言ってね。こんなのがもう、ウジャウジャよ。
「う、嘘だ。怖がらせようたってそうはいかないぞ」
ふふ、まぁ、ウジャウジャは嘘だけど、外の世界が危ないのは本当よ。それでも行ってみたいかしら?
「里にいれば安全だって、大人たちはみんな言うんだ。でも……」
でもそれだけだよ。女の子はうつむき、消え入りそうな声でいう。
「ふふ、外の話が聞きたい?」
「いいのか?じゃ、じゃあ、ひこーきってやつの話をしてくれよ。あれって里の大人の冗談だよな。人を乗せて空を飛ぶなんて……飛ぶように速いの間違いだよな?」
ああ、この子にとって結界の中は、狭すぎるんだわ。好奇心に輝く瞳が、彼女にそのような感慨を抱かせたとき、横から新たな声が割って入った。
「我が子に余計な知恵を吹き込まないでくれるか」
着物の女性はしゃがみこむ若い女と子供に近づき、女の方の顔を見るなり、眉根を寄せた。
「む、貴様。見ない顔だな。もしや外から……そうか、貴様が国相部隊の言っていた」
ええ、刃波木梓。あなた達を救援にきた、傭兵よ。女は立ち上がり、刀を掲げて名乗る。着物の女性はしばらく品定めでもするかのように女を見ていたが、やがて納得いったのか、「ついてこい」と言って背中を見せる。
梓さんが砂漠を歩き続け、たどり着いたのは、日本の山奥を思わせる隠れ里だった。
梓さんは着物の女性のあとに続き、舗装されていない道を歩く。途中、道に沿うように小川が流れており、そこでは里の女衆が洗濯に勤しんでいた。
タイムスリップした気分だろ。梓さんの物珍しそうな視線に気付き、着物の女性がいう。
「ええ、まぁね。でも素朴な生活っていうのは少し憧れるわ。嫌みじゃなくてね」
「ああ。私も、里の者も、外のことは大体わかっている。その上で出ていこうという者はここにはおらんよ。わが娘を除いてな」
母親がチラリと見ると、女の子はまた、悲しそうにうつむいた。慰めるつもりなのか、梓さんはこっそりと耳打ちする。
「飛行機って、本当にあるのよ。ちゃんと人を乗せて飛ぶし、しかも速い」
女の子の目が開かれる。彼女の頭の中には次のような想像が広がっていた。
①大勢の人が集まる ②ゴンドラのような物に乗り込む ③巨人が持ち上げる ④投げる
「すごい。巨人て本当にいるんだな」
「実はそうなのよ」
「こら、余計なことを吹き込むなって」
そうこう言ってるうちに木造の屋敷についた。
「お帰りなさいませ、里長殿」
二人いる門番が頭を下げ、そのうち一人が「この女は?」と梓さんを見る。
「報告にあった助っ人だ。持っている刀は二つとないものだから、奪われでもしない限り本人だろう」
こんな小娘がねぇ。門番は梓さんをしげしげと眺め、「小娘というなら私も相違ないが」という里長の言葉に直立した。
「こ、これは失礼をば」
「よい。善三、お前は客人に胴着と得物を。力をみたい」
というわけで数分後、梓さんと里長は道場にて立ち合い、試合はすぐに決着した。
さすが、なかなかの腕前。壁にさかさま状態で打ち付けられた里長が称賛する。
「そんな格好になる技は放ってないんだけど」
どこがどうなったのかは謎である。もしかしたら里長は非凡なやられ方の才能ゆえに里長なのかもしれない。
それはともかく、梓さんは力を認められ、しばらくのあいだ屋敷に逗留することとなった。その間遂行すべき任務は次の二つである。一つ目は予測される敵の侵入より里そのものを防衛すること。二つ目は里が代々受け継ぐという秘宝を奪われないようにすること。
「秘宝とは、月器なのかしら」
梓さんが訊くと、里長はこたえず、善三を呼んだ。
「客人に部屋を」
「はっ」
ささ、こちらへ。善三の案内に従って立ち上がった梓さんに、里長は背を向け歩き出す。そしてそのまま道場の出口までいくと、ふと立ち止まった。
「秘宝に関しては今夜説明する。酒でも飲みながらな」
そう言った彼女の声は、少し暗い色を帯びていた。
夜、梓さんはあてがわれた部屋で愛刀の手入れをしており、傍らでは女の子が漫画本を読みふけっていた。
もちろん外界と遮断された里に漫画本などあるはずもなく、梓さんの持ちこんだ現代の娯楽に、女の子の目はもう、キラキラ輝きっぱなしである。
出会って幾ばくもないが、情がわきはじめているのは、自分の幼いころもまた、世界に思いを馳せる夢見がちな少女だったから。
梓さんが時おり手を止めて微笑み、また作業に戻るを繰り返していると、部屋の戸が静かに開いた。
「梓殿、そろそろいいか。京子、お前は早く寝なさい」
「ええ~」
あずさぁ。女の子が甘えたような目で見てくるが、梓さんは首をふる。
「ここはお母さんのいうことをきいておきなさい。明日また読みたいのならね」
ちぇ~。ぶーたれる女の子を立ち上がらせ廊下に出る。
「どこに行くのかしら」
「外だ。古い木があるから、そこで話そう」
とっくりを掲げてみせる里長に頷くと、前かがみで子供の高さに視線を合わせ、梓さんは言った。
「おやすみ京子ちゃん」
べーだ。不貞腐れてペタペタ歩き出した女の子に、梓さんはもう一度、笑顔のままで声をかける。
「ねぇ、京子ちゃん」
「なんだよ梓」
「ちゃんと挨拶しなきゃ。それに……あずさ『さん』でしょ」
ご、ごめんなさいぃぃぃ!!走って逃げていく女の子を見送り、里長が感心したように腕を組む。
「ほう。才能あるな」
「なんのよ」
二人は外に出ると、ほどなくして古木の下へやってきた。むき出しの根に腰を下ろすと、里長はとっくりから酒を注ぐ。梓さんも同じく根に座り、出された盃を受け取った。
一気にあおると、「いい飲みっぷりだ」と言って、里長も自分の盃に口をつける。そうやって互いに盃を重ねるうち、梓さんが「本当に飲んでもいいのよ」といった。
「む……」
「飲んでるふりをしてるでしょ。だけどあいにく私はめっぽう強いのよ。酔わせてボロが出るのを待っているようだけど、そもそもやましいことなんてないし、あっても不用意な発言なんかしない。それに」
梓さんは里長の、盃を持つ方とは反対の手へ目線を下げる。そこには一本の竹刀があった。
「やる気があるならとっくに奪っているわ。それなんでしょ?里に代々伝わる秘宝って」
「むぅ……外の世界とはそれほど厳しいものなのか?そなたのように鋭くなくては生きてゆけぬほどに」
まぁいい。里長は盃をあおる。今度は本当に飲み干してから、竹刀を梓さんに手渡した。
「これは……見た目はただの竹刀ね」
「何か感じるか?」
「いえ」
「だろうな。それはとうに力を失っておる。もしくは本当にただの竹刀を大袈裟に受け継いできたか」
だとしたらお笑い草だな。里長は言って、実際ケラケラ笑ってみせる。だが、梓さんは真面目な顔を崩さなかった。
「私の刀が証明にならないかしら。これは無辜の剣がもとになったと言われている。あなた達の秘宝も同じ名を持つと聞いているけれど」
「確かに、無辜の剣の存在自体は半ば証明されているか。ならば我々の行いも少しは報われるというものだが……素直に喜ぶ気にはなれんな」
里長は屋敷の方角を見ている。きっと娘を見ているのだろう。
「背負わせるのは辛い?」
「ああ。背負わせるのは無辜の剣だけではないからな」
どういうことかしら。梓さんが言うと、里長は竹刀を置き、まっすぐ梓さんを見た。
「秘宝は二つある」
「秘宝が二つ……そっちも月器なの?」
「そうだ。我々『箱衆』が代々受け継ぎ、守ってきたもう一つの月器は、それは」
里長は自分の胸に手をあて、厳かに言う。
「私自身だ」
自分の身体は化け物を閉じ込めておくための檻。そう言った時の彼女の表情は、僅かな怯えをはらんでいた。




