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新生月器ポスリア  作者: TOBE
覚醒編
70/88

ポスト月光溜まり

 空が赤から紫に変わる日の入り間近、そろそろ客入りピークを迎えるコンビニの前で、つっこ、ラーメン、糸子は思い思いの姿勢で過ごしていた。

 ラーメンはカフェオレのパックを空にすると、普段と全く雰囲気の違う、眼鏡をかけた糸子に話しかける。


「来るかな、京子」

「来るわよ。私の記憶ではそうなってる」

 

 不自然な返答である。不自然な理由は先ほど判明していた。

 私は未来から来たの。数時間前、驚くつっことラーメンの前で、彼女はそう言ったのだ。




 糸子が未来人?つっこは困惑した表情でいった。


「それはいくらなんでも」

「いや、そうでもない」


 俺たちの周りで起こっていることを考えろ。割って入ったラーメンが言うと、つっこの目が大きく開く。まさか糸子、月の民なの。


「正確に言えば、月の民として覚醒した未来の私が、眼鏡型月器を通して過去の自分にのりうつっている……かな」

「そんなこと出来るの」

「N粒子には時間の概念が適用されないから、理論上は可能よ。でも覚醒前の『現在』の私に月器使用は相当な負荷を強いている。こうしていられるのも限りがあるから、目的だけを言わせてもらうわね」


 糸子は眼鏡の奥の大きな瞳に真剣な光を宿すと、固唾を飲む二人にこう言った。


「今夜じゅうに京子さんの問題をどうにかしないと、取り返しのつかないことになる」


 さて時を戻してコンビニの前、件の京子は未だ来ていない。

 糸子は京子が何で悩んでいるか、知っているのよね。つっこは不安そうな顔でいう。時間がないとせかされた二人は、詳細を知らされていなかった。


「ええ、何があったのかは知っているわ。それによって彼女がどう思ったかは、本人にしか分からないでしょうけど。つっこちゃんは何となく、感づいているんじゃないかしら」

「病院で私たちが目を覚ました時、京子だけが起きていたの。私の傍で、ぼーっと私の顔を眺めてた。何かあった?ってきいても答えなかったけれど、本当は……」

「そうね。あの晩は蜜柑ちゃんを狙った組織が攻めてきていた。起きていたのなら、何か見ていてもおかしくないわ。彼女の心に傷を残す、何かをね」


 知っていると言いながら、糸子は「何か」について明言しなかった。ちょうどその時、駐車場に京子の姿が現れる。

 彼女はトボトボと力ない足取りで近づいてきた。


「なんだ。何の用だ」


 京子は落ち着きなく視線をさまよわせている。糸子は更に一歩近づき、今の姿に相応しい、優しい声でいった。


「お母さんに会いたくないかしら、京子さん」



 コンビニから山へ向かって一行が歩いていくと、だんだんと民家が疎らになっていき、山へ入っていく小さな石段の前についたころには、辺りはすっかり静まり返っていた。

 懐中電灯が「犬昌砦跡地」の文字を照らす。「けんしょう」と読むのか「いぬまさ」と読むのか不明だが、登り口の傍らに立てられた看板が、これから向かう先が一種の遺跡であることを示していた。


「足元と蛇に気を付けてね。ラーメン君はみんなの分も危険察知をお願いね」


 どういうことだ、何でラーメンだけ懐中電灯つけないんだ。糸子の発言にラーメンの正体を知らない京子が首をひねる。


「俺、目がいいんだ」

「いや目がいいからどうにかなるって暗さじゃ」

「大丈夫だから」


 ほら、さっさと行った。誤魔化すように背中を押され「ったく、怪我しても知らないぞ」とブツブツ言いながら、京子は前の二人のあとに続き、石段を登り始めた。

 登れば登るほど、石段の周囲は鬱蒼としてくるが、どうやら定期的に清掃が入っているらしく、幸い蛇にかまれることも転ぶこともなく、一行は開けた場所にたどりつく。

 何もない空き地。頭上に木々の影は無く、夜空が見えている。


「つーかこんな所にはいないだろ、私の母親なんて」


 京子がここまでずっと抱いていた疑問を口にする。その瞬間、降り注ぐ月光に色が宿った。

 空き地の地面が、草木が、黄緑の光を発し始める。

 なんだ、ここ。食い入るように眺める一行のうち、誰かが上ずった声を漏らし、糸子がそれに答える。


「月光溜まりよ」

「月光溜まり?」

「月光には多くのN粒子が含まれている。月光が集まってN粒子濃度の高まった特異点を、国相部隊やその他の組織はそう呼んでいるの」


 な、なんかわかんねーけど、その「月光溜まり」と私になんの関係が。京子が言いかけた時、周囲に更なる変化が現れる。

 人だ、人がいるぞ!ラーメンが指さした先には確かに着物を着た人がいた。それも一人や二人ではなく、十を超える老若男女が、一行の存在など見えていないかのように歩き回っている。

 加えて彼らの背後、あるいは間には簡素な建物が出現し、人と建物の全ては一つの共通点を持っていた。


「こいつら透けてんぞ」

「ええ、この人達に実体はないもの。これはあなたの記憶が映像として投影されたもの。幼き日の、京子さんの記憶がね」


 京子は信じられないといった風に糸子の顔を見る。それ以前に京子には幼いころの記憶がなかった。自分ではずっとそう思っていたのだ。


(だけど……)


 だけど。何故かは知らないけれど。あそこにしゃがんでいるお爺さんも、家の前で聞こえない井戸端会議を広げている女の人たちも、走り回る子供たちも。道も、建物も。

 何故だか全部、見たことがあった。


「京子!」

 

 つっこが大声を上げる。木の下で編み物をする女性を見つけた時、京子は自然と駆け出していた。



 黒髪の美しい女性は京子に気づく様子もなく、微笑みながら編み針を動かしている。京子はおずおずとしゃがみ、その顔を間近で見つめた。


「お母さん……ですか?」


 女性は黙っている。京子の震える手が肩に伸び、触れようとしてそのまま通りすぎた。何度も何度も。彼女は同じ行為を繰り返し、その度に同じ結果が返ってくる。

 そんな。やがて京子は絶望の声を上げ、瞳からは一筋の涙が流れた。


 ――ねー。ひどいよねぇ。


 誰だっ。どこかで聞いたような声がして、京子は周囲を見渡す。遠くにいるつっこ達ではないし、徘徊する映像たちでも勿論ない。

 声は自分の内側から聞こえていたことに気づき、京子が顔を強張らせた時にはもう、胸のあたりからニュルリと手が生えていた。


「じゃーん。栞たん、本来の姿でさんじょーう」


 京子の胸から飛び出した少女は、あの時と同じ名前をあの時と同じように、半分ふざけたような口調で名乗る。だが姿は以前のような京子のコピーではなく、ボブカットの小柄な姿をしていた。

 あの晩、京子のコピーはいつの間にか消えていた。しかし味わった恐怖は京子の中にはっきりと残っている。

 な、なんでお前が。姿は違えど、目の前の少女こそ元凶だと感じ取った彼女は、怯えた顔で後ずさる。


「なんで?前に説明したじゃーん」


 そこに大きな穴があったから。栞は馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いでいった。


「あ、それとも目的をきーてるのかな。だったら君が腰から提げてる竹刀の回収だよ。あのあと組織に報告したら、それって結構、重要なアイテムなんだって。それで、月光を辿って心の穴を検索してたんだけど、わざわざ見つけやすい月光溜まりにいるんだもん。私ってやっぱもってるってかんじー?」


 栞の相変わらず人をイラつかせる口調を聞くにつれ、京子の奥歯にギリっと力が入る。


「これは梓に引き取られた頃からずっと持ってるものだ。お前なんかに渡すか」


 まーそーいうと思ったよ。突如、栞の足元の地面が踏み込みによりはぜる。栞は京子の姿で闘った時よりも数段はやく間合いを詰め、あまりの速さに京子は反応できない。

 パン。乾いた音がピリピリと空気を振動させる。栞の拳をてのひらで受け止めたラーメンは、忍び装束の奥から鋭い眼光を飛ばす。


「お前、京子になにすんだよ」


 おっとっと、君がいたんだった。栞は素早く拳を引くと、とびすさって再び距離を開けた。


「噂の忍者くんだね。そーとー強いって聞いてるけど」

「お前のことも国相部隊が話していたぞ。洗脳系の月器持ちだろうって。表舞台に出たのは病院の事件が初めてらしいな」

「じゃあルーキー同士、どっちが上か試してみる?」

「そんなこと言っていいのかよ。洗脳系って実戦向きとは思えねーけど」


 あいつ、ラーメンだよな。京子は木の下から二人のやりとりを見ていた。


(栞のパンチはかなり威力があったように見えたが……ラーメンのやつ格闘技が出来たのか?いや待てそれよりも何かおかしいぞ)


 この身体は実体と言うよりは可視体で、他人を傷つける力まではない。病院で栞が言った言葉が頭に浮かび、京子の目が大きく開く。


「気をつけろラーメン。そいつは以前と性質が違う!」


 そう、月光溜まりじゃー私は……。ゴーレムの動体視力をもってしても見えなかった。ラーメンの前から栞は一瞬で消失し、次に現れた時、間合いの中には裂けたような笑みがあった。


「超実戦向きってかんじー!?」


 京子の忠告が届く前に、ラーメンの頭部を上段蹴りが襲った。


 

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