ポスト違和感だらけの糸子
今すぐ学校に戻りなさい。
つっこからラーメンに送られたメールである。つっこが正門前で待っていると、一分もかからず隣でシュタッと着地の音がした。
「なんの用だよ。もうすぐ帰りつくとこだったんだぞ」
「一緒に帰るわよ」
「はぁっ?」
パーン。住宅地に平手の音が鳴り響く。
しばらく思考停止したあと、ラーメンは再び「はあっ?」と言った。
「なんで殴るんだよ。ゴーレムだって痛いんだぞ。そんな、『ちょっと殴っとくか』みたいなノリでやられたらたまんねーよ」
「人をサイコ扱いしないでくれる?理由くらいちゃんとあるわよ」
睨まれてラーメンは少したじろぐ。
「な、なんだよ。なんもしてねーだろ」
「私のこと避けてるでしょ」
「避けてないだろ。わざわざ戻ってまで一緒に帰ってんじゃん」
「でも微妙に早足で微妙に距離開けてるし、話しかけても『ああ』とか『いや』しか答えないじゃない」
「それは……もともとそんなもんだろ」
ラーメンは視線を反らしつつ、なんとか言い訳する。その煮え切らないかんじがますますつっこの神経を逆撫でした。
「完全には切らないけどわざとらしく距離を置いたつきあいって、すっごく気持ち悪いのよね。しかも理由がこれまた下らないときたもんだ」
「別に理由なんて」
「『俺が近くにいるとかもめに男が言い寄って来ない』違う!?」
「う……」
分かりやすい図星のリアクション。つっこは頭をガシガシと搔き、地団駄を踏んだ。
「かーっ、気持ち悪い、きもちわるーいっ!なんであんたなんかに恋愛の心配されなきゃなんないのよ!」
「でも事実だろ。お前のこと可愛いって言ってるやつは結構いるのに、夏休み一度も……」
「え、ちょっと待って。私のこと可愛いってマジ?何人くらい言ってんの」
「そこは別にいいだろ。とにかく、俺と付き合ってるなんて思われたらこのまま三年間、ずっと恋人なしの高校生活だぞ。それでもいいのかよ」
「あんたは?」
「えっ」
「あんただって条件は一緒でしょ。私と一緒にいると彼女できないから辛い?」
「俺は別に……つーか俺は無理だよ。誰かと付き合うとか、そんなの」
かもめは一瞬、頭に血が上った。そして盛大な溜息と共に、殴りかけた手をダラリと下ろした。
……結局のところ、悩みの正体はこれなのだ。
「ゴーレムだから?人間じゃない自分には、恋愛する権利がない?」
「ああ、その通りだよ。だってそうだろ。俺は半永久的に生き続けるんだぞ。そんなのお互いに辛いだけだ」
つっこは腕を組み、今度は軽く息を吐く。
「弱虫ね」
「なっ」
「ま、雪尾がどう思おうと勝手だけど、私はあんたみたいに弱くない。私がどんな女か知ってるでしょ?もし好きな人が出来たらどんな障害があってもくっつくし、絶対に傍を離れない」
たとえその人が、人間じゃなくても。
「えっ」
「と、とにかく。余計なお世話だっつってんのよ。あんたは普通にしてればいいの。フツーに!」
「いやでも」
「だいたいもう手遅れでしょーが。今更ちょっと距離あけたくらいじゃ『倦怠期?』とか噂されるのがオチだって」
「う……確かに。それはありそうだな」
「分かったらほら、帰るわよ」
つっこはムスッとした顔で手を突き出す。しかし暫くそうしていてもラーメンが動かないので、不機嫌そうな声を出した。
「何やってんのよ、ほら」
「ええーと、俺たち手をつなぐのって普通でしたっけ」
「どうだったかな。昔はよくつないでたけど」
ああ、そうだったな。お互いに純粋な「好き」しか知らなかったあの頃。今より低い目線で一緒に歩いた風景を思い出し。ラーメンはいつの間にか手を繋いでいた。
二人分の靴音がアスファルトを鳴らす。駄菓子屋、手すり付きの小さな階段、よく吠える犬のいる家。見慣れた帰り道の景色が流れていく。
ラーメンは何か考えているようだったが、繋がった手をちらりと見て、意を決したようにきいた。
「なぁ、かもめ。お前から見て俺は……変わったか?変わって、見えるか?」
「さぁねぇ。変わったところもあるし、変わらないところもある」
「なんだよそれ」
口を尖らせると、幼馴染は少し赤い顔で、クスクス笑っていた。
「私達、大きくなったもの」
「おじさーん、お邪魔します」
「おっ、かもめじゃねーか。いらっしゃい」
そういや躊躇いなく家に上がるのも普通なんだよなぁ。
どちらの両親も公認の仲である。これでは噂が立つのも無理はないと思いつつ、ラーメンは店の戸を閉める。
つっこは既に階段を上り始めている。彼があとに続くと、冷たい視線が降ってきた。
「パンツ覗くのは普通じゃないんだけど」
「だったら先に行くなよ」
スカートを押さえていたため片手が塞がっていたのがよくなかったのかもしれない。扉を開け、ラーメンの部屋に入ろうとしたつっこは、入り口に転がっていた何かに躓き、すっころんだ。
「いつつつ……」
「大丈夫か、かもめっ!」
慌てて駆け付けたラーメンは固まった。JKが制服で尻餅つけば、そこにあるのは純白の桃源郷。
「こんな時、どんな顔すればいいかな」
「歯ぁ食いしばればいいと思うよ」
俺はあと何回なぐられれば済むんだ、教えてくれノッポさん。
自室で正座させられたラーメンは、よく分からないことを考え、現実逃避していた。
つっこは腰に手をあて、目を吊り上げる。
「なんでこんなにちらかってんのよ。奇麗好きだったでしょうが」
「いやー、分かるだろ。突然スーパーパワーを授かったらお前、どうする?」
「勿論いろいろ試すわね。結果、部屋が散らかったと……因みにロケットパンチは出た?」
「出たよ。有線式だけどな」
「なに言っちゃってんの雪尾氏。『むしろ』有線式でしょ」
「おお、分かってるじゃないか、海原氏」
二人きりでいるとき、彼らのノリはこんな感じである。なんだかんだ喧嘩したって収まるところに収まる。二人の関係はそう出来ているのだ。
「それじゃ、とっとと片付けて、有線式ロケットパンチを拝ませて貰いますか」
「おう!」
つっこが割烹着に着替えて腕まくりすると、同じく割烹着姿のラーメンはハタキを小太刀のように構える。軽度中二病患者達の、お掃除大作戦が始まった。
……ただいま清掃中。しばらくお待ちください……。
「あ、コラかもめ。その引き出しは開けるなって何度言ったら」
「チッ」
途中でこのようなタイムロスを挟みつつも、基本は奇麗好きの二人である。作業はテキパキと進み、30分後にはハイタッチを合図に終了した。
「それじゃさっそく、見せて見せて」
「じゃあやるけど、その前に袖をまくって……と。こうしないと破いちまうんだよ」
「なるほどリアルね」
「よし、いいぞ。何を狙う?」
「ええと……あ、そうだ。有線式ってことは飛ばしたあとも指が動くってことよね。ドアノブとか回せるかしら」
「お、いいね。やってみるか」
ラーメンは右手を突き出すと、拳をドアの方へ向ける。
「いくぜ、ロケットパーンチ!!」
おそらくシャウトする必要はない。だがまるで熱血ヴォイスに反応したかのように手首から先が勢いよく射出され、ドアノブよりも上の方へと飛んで行った。
あ、ヤバイ。二人の頭に拳がドアを突き破る光景が浮かんだ時、予想外のことが起こった。
キィと音を立てて扉が開き、人型のシルエットが部屋に入ってくる。
バシッ。
「あらあら、手荒い歓迎ね」
拳を片手で受け止めたシルエットの正体に、二人は息をのんだ。
「糸子……さん?」
敬称をつけたのはいつもの雰囲気とあまりにも違っていたから。妖しく笑う彼女の顔には、キラリと眼鏡が光っていた。




