ポスト人の空想に関する考察
森の中、黒い影が黒い影に向かって高速で接近する。太い枝の上で繰り出された乱打は、瞬きする間に10発。
ラーメンが仰け反ったのはダメージを受けたからではなく、溜めを作る動作であり。 返った拳はただの一発。
(ああ……)
吹き飛ぶアーソンマンの口に、含んだような笑みが浮かぶ。
バキ、バキ、バキ、と。数本の木々を薙ぎ倒し、ようやく失速したアーソンマンの身体は、最後の一本に激突してずるり、落下していく。
地面に座り込むや、止めとばかりに背中から木が倒れ込み、彼の姿は見えなくなった。
ズズン。震動のしばらく後。木をどかしてのそりと這い出ると、フェイクの血がペッと吐き出される。
「ったく、不公平だよ」
そして自分を破壊すべく近付いてきた忍び装束に向けて、心底面白そうな口調が飛んだ。
「これが格の違いってやつだ」
(例えばこんな、力比べ)
アーソンマンが両手を掲げるとラーメンも同じ動きをして、二人は手四つで組み合う。所謂プロレスのあれは、最終的に手の位置が下がってくると、力の強い方が相手の腕を内側にねじり上げ、破壊する。
グニャリと腕を歪に曲げたまま、アーソンマンは走った。
(ほらな。これで腕が回復するまで俺は逃げ回らなきゃならない)
心中で毒づく間にも、枝を無遠慮に踏む素人丸出しの足音が迫る。
「回復するまでだと?甘ぇな、俺も!」
逃げきれないと悟ったアーソンマンは意を決して反撃に転じる。振り返り様の廻し蹴りは常人には反応すら出来なかったであろう。だが。
「く、そ」
アーソマンの視界の中で、ラーメンは地面に手をつき、前回り受け身の要領でそれを掻い潜る。単純に咄嗟の回避行動ならばそれほどの脅威ではなかったが、数多の格闘経験を持つアーソマンには、ラーメンの狙いが読めてしまった。
浴びせ蹴り。人間が繰り出したとしてもタイミングが合えば回避は難しく、尚且つ威力の高い大技。それがゴーレムの膂力で実行され、しかもタイミングは完璧だった。
アーソマンに選択の余地は無かった。彼は空ぶった廻し蹴りの勢いを更に加速させ、未だ使い物にならぬ腕を浴びせ蹴りの前に晒す。ブチ。嫌な音が鳴り、ガサ、と茂みの中に左腕が落ちた。
前転の勢いで綺麗に立ち上がったラーメンは、荒い息を吐く敵を、静かに見る。
「遅いな」
「だろうな。身体の性能が違う」
「じゃあ、なんでやるんだ。勝てないと分かっていて」
アーソンマンは答えず、ダラリと下がった腕に目をやる。何も持たない反対側を犠牲にした甲斐があり、彼の最大の武器はピクリと動いた。
満身創痍になってまで整えた間合、敵の油断。条件が揃ったことを確認すると、放火男の目が初めて攻撃的な光を宿し、ラーメンを見据える。
「勝てないとは言っていない」
アーソンマンが右腕を薙ぐと、夜の森に閃光が走った。
ちり、ちりと、空気の切れ端を緋色が燃やし尽くす。
炎の帯が消えると、向こうに現れた敵は、無傷だった。
(避けただと)
まさか炎を目視しての回避ではあるまい。アーソンマンが動いた瞬間に後ろへ跳んだのだろう。
「油断、しなかったな」
「当たり前だ。俺は最近までただの高校生だったんだぞ。基本的にビビってんだよ」
「そうか、素人故に、か。君が好戦的で傲慢な奴ならもっと楽できたのだが」
「あんたの能力を見るまでは迂闊に動かないさ。だけどもう分かった」
漫画とかでよくあるよな。と、ラーメンは続ける。
「格好いいけど、炎を出すだけじゃ俺は倒せない。鉄球喰らっても平気だったんだ。だから次は突っ込む」
エアバリアで空気の層を纏い、構えるラーメンにアーソンマンはほくそ笑む。
(炎を「出す」?)
状況は彼の計画通りに進行していた。
「これが本当に、ローゼスシティなのか?」
扉を通った先の光景に、本屋は絶句していた。街のいたるところに木の根がうねり、蔦が建物を締め上げている。山頂にある城もまた、巨大な根によって天井を貫かれていた。
「こっちの魔王はパドとは違う。人類ではなく、物語そのものを侵食し、破壊しようとしている」
蜜柑ちゃんが言うと、そこへ、「酷いもんだね」と嘆く言葉が重なった。
「ウルポック!?お前、無事だったか!」
抱き締めんばかりの勢いで近付く本屋を、大きな目が半眼で見返す。
「いや、気付かないかな。私だよ、私!」
「私ってまさか……つっ……こ!?」
丸いモシャモシャがコクりと頷いた。
「マジで……?お前……仮の姿だからって随分とその……はっちゃけてたよな」
「うっさい」
いやでもおかわり50回ってのは……。
うっさい、うっさい、うーっさい!
騒々しいやり取りに気付き、道に人々が集まってきた。気付けばライナスのダンジョンショップのある通りには、いくつかのテントが張ってあり、人々はそこから出てきたようだ。
そしてこの人物もテントの一つより顔を覗かせ、感極まった声を上げる。
「ライナスさん!」
涙を浮かべて、脇目も振らずに駆け寄って来たヴェレタは、荒い息のまま本屋の手を握った。
「戻って……くれたんですね」
「ああ、困った時は助ける。それが俺のいる団の方針だって、前に言ったろ」
な、団長?
本屋が振り向いた先を見ると、ヴェレタの顔に更なる喜色が浮かんだ。
「ウルポックさん!」
豊満なバストに顔を押し付けられ、つっこは「ぐ、ぐるじいですって、ヴェレタさん」と潰れた悲鳴を上げる。
「あ、ご、ごめんなさい。私ったら嬉しくてつい」
「あー、まぁ、いいですよ。悪くない感触だったし……ちくしょう」
「ところでその、団長って、ウルポックさんのことだったんですか?」
「えっと、まぁ、恥ずかしながら。私は現実世界ではこんな風に……」
つっこの身体がポン、という音と共に煙に包まれると、煙の中から制服を着た女子高生が姿を現す。
「ほら、元は人なんですよ」
「凄い……でもなんで人の姿になれるのに、精霊の姿を?」
「そりゃあ楽だから……いや、楽っつっても体重気にせず食べられるとかそういうことじゃなくて、物語の中じゃ精霊の姿が自然な状態なんですよ。今は魔法で変身してるんです」
つっこはそう説明して、楽な姿、精霊へと戻った。
丁度そのタイミングで今度は落ち着いた足取りがやってくる。
「ライナス」
「トゥルヴレイか。元気そう、でもないな」
頭に巻かれた包帯が、ここでの戦闘の激しさを物語っている。
それでも彼は「元気さ」と言って、笑ってみせた。
「俺がいない間、皆を守ってくれたんだな」
「ああそうだ。私の回復魔法があれば、お前の力に頼らずとも」
「そうだな」
否定せずに頷いた本屋の肩が、トン、と拳で小突かれる。
「そういうところが鼻につくんだよ、戦友」
トゥルヴレイはイタズラぽく言うと、振り返って往来に叫ぶ。
「みんな!英雄ライナスが帰ってきたぞ!」
ウオオオオ!!!
満身創痍ながら、人々の力強い雄叫びが空に向かって吐き出された。
「みんな、あなたのお陰よ。貝柱くん」
ライナス!ライナス!
民衆のコールが鳴る最中、蜜柑ちゃんが本屋に話しかける。
「俺のお陰?」
放たれた疑問に、ヴェレタが代わって答える。
「不死竜を倒してスキルは失われたけれど、闘う勇気と術は、私の中に残っています。ダンスや作法しか知らなかったお姫様に強さをくれた。それはライナスさんのしたことなんですよ」
「私の回復魔法も今ほど強くはなかった」
今度はトゥルヴレイ。
「俺は仲間ですらなかったな」
「俺は最初からジーナ君の側にいたけどね」
「レイブン、ブルーノ隊長も……そうか、それが眷属器の力、役目だったのか」
そうです、そして何より。
愛しい声が聞こえて、本屋は急いでそれを探す。息子は、相変わらずの純粋な笑顔で、父を見上げていた。
「フィン」
思わず抱き寄せた耳元で彼は言う。
「生んでくれてありがとう、お父さん」
一言は、力を生んだ。
自分がそれを感じた時、世界は再び強さを取り戻したのだ。
「敵襲だ!」
誰かの声がしたが、本屋は少しも怯まず、皆を見渡す。
「今日で終わらせる」
覚悟に唾を飲み込み、頷く顔があちらこちらに見える。
「街を守るだけじゃない。親玉をぶっ潰して、世界を守る。とりついた元凶を排除するんだ」
オウ!
男達が腕を突き上げ、吠える。昂る空気の中で、しかし一人の子供が、こんな呟きを漏らした。
「でもライナスさん達は、何で僕達の為に闘ってくれるの?僕達は作りものだって言うのに」
それは物語における所謂、禁忌であった。場は静まり返るが子供を責める者はおらず、ヴェレタが優しく子供の肩に手を乗せる。言わないだけで皆、同じ思いを持っている。不安な目が本屋に注がれるが、彼にとって、その問題は既に解決したものだった。それは、架空の世界に没入するという行為について。
物語の世界はもう一つの現実。これは勿論、現実と非現実の判別がつかない危険な精神状態を指すものではない。空想は空想。そんなこと真の読書家ならみんな分かっているが、でもだからと言って、空想の世界はその存在を完全に否定されるべき物でもない。もしかしたら本当にドラゴンはいるかもしれないし、自分達の知らない、簡単には行けない場所には魔法が実在するかもしれない。
読書に限らず空想に遊ぶとは、この「もしかしたら」を楽しむものなのだ。そこらに当たり前に転がっていると思うのはまずいが、「無いとは証明されていない」くらいに考えるのは、別に罪ではないだろう。
生まれてこれより本の中で暮らしてきた本屋は、そこで培われた持論を、胸を張って語る。
「子供の頃から何冊も本を読んだ。面白いと思った物も、そうでない物もな。だけど、本当に面白くて夢中になったもの程、あっという間に読みきってしまうんだ。初めのうちはとても寂しく思ったよ。突然、現実に引き戻されたかんじでさ。だけどある時ふと気付いたんだ。物語のその先を考えている自分にね。ページは終わっているけれど、王子と姫は次の朝にも目を醒まし、互いの顔を見てキスをする。朝食はそれほど豪勢でない方がいい。王族ながら庶民的な感性を持つ二人だ、きっとそうだろう。そして、二人は仲良く庭の見えるテーブルでパンを齧る。ああ、この王子と姫ってのは長い冒険の末に結ばれたんだ。だからパンの上に乗った卵でさえ、彼らにとっては幸福の象徴で、話題に上る。そうやって、何より、一緒にいる幸せを確かめあうんだ」
自分の空想を晒した本屋は、少し、恥ずかしそうに頭を掻く。
「もしかしたら本当にそうかもしれないだろ?本の中には俺の知らない世界が広がっているかもしれないし、頭の中にあるかもしれない。または別の次元とか……兎に角、この世は誰かの試験管の中にあるって理論もあるくらいだ。絶対違うとは言い切れないよな?で、なんでこんな考えに至ったのかって言うと、それは俺が王子と姫を好きだからさ。好きな登場人物には魂があって、未来があって欲しい。そう考えた瞬間、俺にとっての彼らは命を持つ存在になった」
お前達も同じだと、本屋は言う。
「俺はお前達を愛している」
街を囲む防壁の上で、5人の男女がポーズを決めている。
「なんでエグズムの魔術師部隊が……」
変り者集団のオーラに少し引き気味の本屋に、ヴェレタがいきさつを話す。
「出奔したそうですよ。世界が滅ぼされたら研究が続けられないって」
魔術師部隊のポーズが再び変わる。
「我々は」
「合理主義で」
「ある」
「故に」
「!」
エクスクラメーションを顔で表現するのは無理があると思いつつも、本屋は深入りを避けた。
防壁の上を少し歩くと、騎士の一団がおり、下に広がる平原を観測していた。その中でも責任者らしき一人が本屋達に気付き、近付いてくる。
「城廓守備隊、東部隊長のクランストンです。ライナス殿のご帰還は聞いております」
「敵は?」
「第一陣は魔術師部隊の魔法で殲滅しました」
「第一陣てことは、第二、第三があると」
「ええ。今までで一番食い込まれたのが門前までで、その時は志願兵から王国騎士団まで出払う総力戦となりましたから。備えておくに越したことはないでしょう」
民衆が満身創痍だったこと、トゥルヴレイの頭の包帯。本屋の中で合点がいき、深刻な表情を作る。
「あの、隊の人達に声を掛けても?」
そう言ったヴェレタの笑顔は、彼から見てだいぶ、無理しているように見えた。それでも彼女は今や女王である。きっとやらなきゃいけないことなんだろう。
「おお、是非お願いします。皆、喜ぶでしょう」
手を広げるクランストンに軽く会釈すると、ヴェレタは離れていった。
各々、近くにいる騎士に状況を問うトゥルヴレイ達に習い、本屋も平原を見下ろす。点々と煙がたっている場所は、敵に魔法が炸裂した地点だろう。
信用云々の懸念はあるが、魔術師部隊の存在は心強い。
そう思っていると、ジーナの姿をした蜜柑ちゃんが話しかけてくる。
「貝柱くん。さっきの話なんだけど」
「どれのことかな?」
「あなたが闘う理由よ。みんなを愛しているって……」
「や、やめろよ。恥ずかしいから蒸し返さないでくれ」
「恥ずかしくないわ。全然恥ずかしくないわよ。あなたって……」
蜜柑ちゃんは赤い顔で俯く。いたたまれなくなった本屋は平原に視線を戻すと、そこで、とあることに気付いた。
「なぁ、水無月。あのモンスターなんだけど」
指差したのは上っている煙の根元。モンスターはバラバラに砕けて燻っていたが、辛うじて原形を想起させるくらいに留まっていた。
見覚えのあるそれに、蜜柑ちゃんも頷く。
「たしか、アパドーガ討伐の途中で森の中にいた……バルサユニットに瓜二つだわ。色は違うみたいだけど」
「おい、つっこ!」
姿を探せば彼女はパンガの実をムシャムシャと、完全にウルポックモードであった。
「ナハハ……腹が減っては戦はできぬってやつで」
「それはいいから。なぁ、お前、前に鑑定が出来るって言ってたよな。それって倒したモンスターとかにも効くのか」
「え、うん。名前のところは○○の死体とか残骸とかになるけど、出来るよ」
つっこはウルポックの大きな目をモンスターの残骸に向け、焼き付けると、一度目を閉じ、開くと同時に本屋達の前に投影した。
「やっぱり」
空中に浮き出た文字の羅列を見て、本屋が唸る。
「何か分かるの?名前はストーンユニットってバルサユニットの亜種なのは分かるけど」
と、蜜柑ちゃんが首を傾げる。
「この称号の部分を見てくれ。未知なる科学より生まれた異物、ってなってる」
「まさにその通りじゃない?あれが奴の産み出した人造モンスターというなら」
「でもさ、思わないか。面白い設定だって。何ていうかその……物語的にさ」
「何を言ってるのか私にはさっぱり」
怪訝そうに首を振る蜜柑ちゃん。そこへ「なるほど」と、ブルーノ隊長が入ってくる。
「確かに奴がこの物語に取り憑いた、所謂コンピュータウィルスの様なものなら、必要ない肩書きだ。それ以前にこっちに合わせて態々ステータスを持つ必要もないだろう」
「ああ~、ブルーノ隊長。ファンタジー的にコンピュータウィルスなんてワードは止めてくれませんかね。でも、まぁ、その通りです。なりすましによる侵入を除けば、通常、コンピュータウィルスはわざわざ破壊するプログラムに合わせて姿や名称を変えたりはしない。ならあいつの持つちょっとロマンある設定は、奴らにとっても異常ってことになる」
物語はただ侵略されるばかりじゃなく、相手にも影響を与えている。
本屋が確信を持ってそう結論付けると、空からバサバサと音が近付いてくる。異界への門を通って追ってきた本は、ようやく見つけた主人の目の前で止まり、まるで語りかけるように浮かぶ。
眷属器の所持者は手を伸ばし、表紙に触った。
「そうか、お前の役目はまだ終わっていないんだな」
作家と読者、そして物語の逆襲が始まる。
防壁から皆が睨み付ける先、平原のただ中に奴は「生えて」いた。歪で、禍禍しくうねる大樹。ファンタジー的な名称をつければ魔界樹あたりであろうそれの中心には赤い結晶体があり、同色の稲光りが一瞬、脈打った。
時を同じく、現実世界。
依然として蜜柑ちゃんは病室のベッドに横たわっており、周囲の人間は結界の効果でみんな眠っている。
だから気付く者はいなかった。枕元に置かれた出逢い物語に血管のように浮かび上がった赤い光に。彼女が、苦悶の表情を浮かべていることに。




