ポスト彼女の世界へ
今は武器となっている愛犬よりも。獣の如くいきり立つスマッシャーは、九郎の怒声にキャンと鳴く。
「馬鹿者、結界を壊すんじゃない!」
「は、はいいい!?すみません!」
ペコペコと始まった米搗きバッタを見て、上空のランスギフターはもう一度思った。
(なんだあいつ……)
結界を壊さずに攻撃するにはどうしたら良いか。目をグルグル回して考え込む姿に九郎と部下は揃って溜息を吐く。
「とにかく強力なゴーレムを発注したんだが」
「強力には違いありませんがねぇ」
戦闘になると周りが見えなくなる。犬鎚のゴーレム、スマッシャーの、大きすぎる欠点であった。
上に放つから結界に穴が開く、ならば。
「こう!」
「あ、馬鹿」
九郎が止めようとした時には既に遅く、スマッシャーは戦鎚をアスファルトに叩きつけていた。反動でクルクル回転しながらランスギフターのいる上空まで飛び、頭を狙って大きく振りかぶる。
「流石に軌道がバレバレだっつーの」
空を自由に飛べる者と、跳躍のみに限られた者の格差。そこを考慮するにはまだまだ彼女は未熟だったらしく。ランスギフターがヒョイと背後に回ると、戦鎚は派手に空を切る。
「総員、近場の物に掴まれ!」
九郎が叫んで間もなく、地面を激しい衝撃波が襲った。
「きゃあああ!?ごめんなさいぃぃ」
足元を掬われ、またも態勢を崩した国相部隊。スマッシャーは謝罪しながら落下していき、その目の端に、自分に向けられた槍が映った。
ビタン。
着地も無様に背中から落ち、肺の空気が押し出される。むせそうになるのを噛み殺し、両腕で身体を庇って槍に備える。
だが、攻撃は来ない。
腕の隙間から覗き見れば、ランスギフターは槍を構えたまま、ニタリとこちらを笑っていた。
「あ、待て!」
戦略的に無駄な攻撃はしない。表情でそう言い残し、ランスギフターは屋上へと消える。
取り残されたスマッシャーは完全に敗者であった。
どこか打ったのか、フラフラしながら九郎が寄ってくる。
「やられたな。と言うより自滅か」
「すみません……」
「済んだことはもういい。我々は体勢が整い次第、奴を追う」
「私は……」
「ここで待機だ。いくら結界内の破壊が外へ影響しないとは言え、病院ごと対象を潰されたらたまらんからな」
「私は役立たずですか」
「役に立つようになれ」
九郎は項垂れるスマッシャーの頭にポン、と手を置き、自分の仕事へと向かう。強さとは何か。優しい感触の余韻は、彼女にそれを問いかけていた。
見渡す限り白一色の空間に、一本の道が小川のように蛇行している。足場も、自分の存在も。何とも覚束無さを感じながら、本屋はしばらくの間、立ち尽くしていた。
――案内人を探せ。
誰の声か、それは自分をこの世界へ導いた神とやらであろう。少しの逡巡を振り払い、声に従って一歩を踏み出す。
「まさか……」
やがて見えてきたよく知る顔に、本屋は驚きの声をあげる。
「びっくりするよね。私がこんなところにいたら」
苦笑のような表情を作る彼女の声に、混乱や戸惑いは感じられなかった。そのことを不思議に思いながらも、本屋は一緒に歩き始める。
「つっこは知ってたのか。この世界に関する、色々なこと」
「知ってるって言うか、分かるってかんじ。少しだけどね」
「じゃあ、この道の先も」
「ええ、蜜柑ちゃんのいる場所へ続いてる」
「水無月だけじゃない。彼女を脅かす何かもいるらしい」
「まさか引き返せなんて言わないわよね?私だって覚悟は出来てる」
「……ラーメンには申し訳ないな」
「なんで雪尾が出てくんのよ……」
そんな会話を交わしながら、二人は歩き続ける。
途中、本屋はこの空間が、全くの白ではないことに気付いた。道から少し外れた場所に、現れては消える陽炎のような揺らめき。その中に一瞬、着物の女性と、知らない景色が見えた。
不思議と怖くはない。それが何なのか、本屋には何となく分かったからだ。
「誰かの、記憶か?」
「多分ね。ここは魂が無に返る場所だから、その欠片だと思う」
「マジかよ……じゃあ俺達も道から外れたら」
「ねぇ、本屋。『絶対押すなよ』って言ってみて」
「おい、コラ」
恐怖をおふざけで紛らせながら更に行くと、ようやく道の突き当たる場所が見えてきた。遠目からでもはっきり分かる巨大な扉。どうやら到着のようだ。
扉の前に人が立っているのを見つけ、つっこが走り出す。
「蜜柑ちゃん!」
「あ、おい、つっこ!」
本屋も慌てて追いかけるが、悲鳴のような声が、二人の足を止めた。
「来ないで!」
数歩の距離を空け、蜜柑ちゃんは俯いている。
そして、もう一度言った。
「ありがとう。でも来ては駄目よ」
意味は分かる。彼女の立場なら自分達もそう言っただろう、だが。
「私達、覚悟は出来てるよ」
つっこの返答に、俯いていた顔が上がり、険しく歪んだ。
「覚悟って何!?普通の高校生に覚悟なんて出来るはずないでしょう。ずっと死と隣り合わせだった私でさえ、怖いというのに」
殆ど叫び声のような言葉を受け止める表情は変わらず、真っ直ぐに蜜柑ちゃんを見る。
「生きる覚悟よ」
「……楽天的だわ」
聞いて頂戴、と。蜜柑ちゃんの声が諭すような響きを宿す。
「私、今日みたいな学校生活をずっと夢見てた。友達がいて、いい先生がいて、一緒に勉強する。たったそれだけのことが私にとっては大きな夢。だから、信じられないかもしれないけど、夢が叶って私、思い残すことは無いの。私は最後の力で私の世界に取り憑いた災を排除する。私のこと忘れないってみんなが言ってくれたら、きっとやり遂げられるから」
「……蜜柑ちゃんはみんなの心の中で生き続けるって?」
「そうよ。分かってくれたかし……」
「ざけんな」
うしろで見ていた本屋は感じていた。つっこの背中から伝わる怒りに。そして悟った。団長が団長である所以、その強さを。
「ベタなJ-POPかっつーの」
「で、でも本当に私は……」
「そう。じゃあ、別にいいけど。でもそれはあんたの都合よね。私の方は思い残すことありまくりだから引き下がらない」
「そんな、勝手な」
「勝手で何が悪いの。こっちはあんたとやりたい事とか、一緒に行きたいとことか、あれやこれや妄想して、計画たてて、一人でニヤニヤしたりして。諦めたら私、馬鹿みたいじゃん!」
本当に勝手な言い分に、蜜柑ちゃんは唖然とする。
何となく、対等じゃない気がしていた。彼女は、友達をやってくれてるんだと思ってた。
けど。彼女はずっと本気だった。本気で自分の描かなかった未来を勝手に目指していた。
そう、ずっと前から。
(かもめさんは、本当の友達だった)
ボヤけた視界。そこへ一本、指が突き付けられる。
「つっこ軍団、掟その一。団員は決して諦めてはならない!」
指が二本に増える。
「掟その二。団員は諦めぬ者がいる限り、共に闘う。そしてその三、本屋!」
後ろ手を組み、本屋は白い空に向かって高らかに言い放つ。
「団長の命令は絶対っ!」
……少しの空白を置いて。
涙と笑いの混じった声がする。蜜柑ちゃんは目尻の涙を拭き、「いつの間に私、入団してたのよ」と言った。
「教室に入った瞬間から」
「ブラックねぇ」
今度こそクスクスと可笑しそうに笑い。
「でも団長の命令は絶対だから仕方ないわね」
次いで、口許がスッと引き締まる。
「貝柱君も。覚悟は出来てるのね」
本屋はただ短く、「おう」と応える。蜜柑ちゃんは小さく頷き、言った。
「それじゃあ行きましょう。これが、私の世界。もう一つの出逢い物語よ」
扉が、ゆっくりと開き始めた。




