ポスト課外授業①
「今週のロングHRは来週の課外授業の班決めをする。五人以上1グループ。各々自由に固まって何をするか話し合え。活動の趣旨は『社会貢献』だ。後日レポートを提出して貰い、成績評価をする」
「先生『社会貢献』って具体的には何をするんですか?」
「それを話し合えと言っているんだ。ゴミ拾いにしろペットの散歩にしろ何でもいいが、街の住人が何を望んでいるか、どうしたら効果的にそれに応えられるかを考えろ。このプログラムはお前達が将来、経済活動を通して社会に役立つ為の耳を育てる意味合いも兼ねている。単なるボランティアではないと念頭に置いておけよ」
一言で言えばニーズを探れってことだなと、一部の聡い生徒は理解する。まあ、他のほとんどは退屈な座学を半日も免れることに喜色を浮かべたり、遠足気分だったり、グループからハブられないよう必死だったりと、それどころではなかったが。
特に先週より友達の激減した橘美咲にとって、グループ作りはかなり過酷な試練であった。
「おーい、そろそろ決まったかぁ?決まったところはくっちゃべってないで話し合いを始めろよー」
教壇から飛んでくる宝蔵槍子の声が、ポツネンと席から動かない橘美咲には非情なものに聞こえていた。彼女は恐ろしいのだ。仲間に入れて下さいと頼んで、拒絶されることが。だから動けない。そんなことあり得ないのに、嫌なことは頭上を通り過ぎてくれるのではないか。この思考回路は彼女の悪癖であった。
「おい、お前は何をやってるんだ」
言われたのは橘美咲ではなく、同じく自分の席から動かない黒淵鉄だった。こちらは周りの状況などどこ吹く風で、科学雑誌のページを悠々とめくっていたところを宝蔵槍子に咎められたのだ。彼の言い分は。
「別にどのグループでもいいが、俺と組みたいと思う人間なんていないだろ?どうしてもどこかに属さないといけないなら、担任のあんたが強制力を効かすんだな」
であった。
橘美咲なら担任に無理やり入れられたグループなど、居心地が悪くて死んでも嫌だが、黒淵鉄にとってはどうでもいいことのようだ。だから、宝蔵が額に手をあてる仕草のあと、この台詞を吐いても微動だにしない。
橘美咲のような、おおよそ一般の学生が最も言われたくないこの台詞。
「なぁ誰か、黒淵を入れてくれるグループはないか?」
そしてシン、と静まり返った教室を眺めてさえ「ほらな」と笑っているのだ。
(私ならとっくに教室を飛び出している)
橘美咲の顔に馬鹿にしたような歪んだ笑みが浮かぶ。それは友達など皆無の人生を送ってきた黒淵を、社会不適合者と断ずる侮蔑、そして、近いところまで落ちてしまった自分の立場への自虐であった。
(こうなったらもう無理だろうな。友達に囲まれて、充実した学生生活を送るのは)
人一倍所属意識の高い彼女だからこそ、一度集団からハブられた人間の末路についてよく理解していた。何しろそれを避けるために、全ての行動は向けられていたのだから。
これをどうにかしようと思ったら、彼女の思いつく手段は限られてくる。
(転校、か…)
自分の立場をリセットするため本気でそこまで考え始めた、その時だった。
「おい黒淵、こっち来いよ」
その一言は投げ掛けられた黒淵鉄よりも、傍で聞いていた橘美咲にとって青天の霹靂であった。
課外授業の班決め。
当然、つっこの周りにいつものメンバーが集まってくる。前の黒淵鉄との一件もあって、他の生徒から少々イロモノ扱いされている面子。本人達も自覚があるのでこれ以上の人員追加はないと思っていたが、物好きもいたらしい。
「俺達も入れてくれないか」
やってきたのは先日ラーメンと本屋を援護してくれた、糸目の少年少女。驚いたつっこ達は顔を見合わせ、再び向き直ると本屋が代表して疑問を投げた。
「別にいいけどなんでだい?正直言って俺たちは鼻つまみ者…とまでは言わないけど、悪目立ちはしているだろ?」
あの事件のとき確かに二人は加勢したが、普段からつっこ達とつるんでいる訳ではないので、他の生徒から仲間だとは認識されていないはずだ。そんな立場なら普通はもっと無難なグループに入りたがるのでは、というのが本屋の考えだった。
対して、少年の答えは実にシンプルに「面白そうだからな」であった。糸目が笑っているのか何なのかよく分からなくしていて、本屋の北野誠光に対する「なに考えてるか分からないやつ」という評を深めている。
「ま、まぁ、北野はそれでいいとして、香月は?」
「私は友達がいないからな」
「素の表情で言うなよ……」
北野誠光にそっくりな糸目でノホホンと悲しいことを言う。こっちは考えが読めないのではなく、多分なにも考えていないんだろう。
「あのさ、二人って名字が違うけど、本当に双子じゃないの?」
猿が皆が訊かなかった質問をする。万が一、生き別れの…とかだったら気まずいだろうが、そういったことを割とズケズケ言うのが猿の性格であった。
「こいつが全く赤の他人なんだよな。俺自身、香月を見た時は驚いたよ」
北野が手を広げるジェスチャーで、驚きを表現する。香月はじいっとそれを見つめていたが、唐突に唐突なことを言い出した。
「私と北野が結婚したら、その子供は糸目のサラブレッドだよな」
「糸目のサラブレッドってなんだよ!」
真っ赤になってツッコミを入れる北野を見て、ああ、案外表情豊かな奴だなと、皆は考えを改めるのであった。
「どうだ、黒淵も誘うか?」
「俺は反対だね。同情でそういうことするのは良くないし、あいつが危ない奴だって知ってるだろ」
京子の提案に本屋が難色を示す。この前の一件を思えば、本屋の意見は薄情というよりむしろ常識的だ。
「別に同情で言ってる訳じゃない。なんとなくあいつを誘うのも面白そうだと思っただけだ」
「俺もそこまであいつが危ない奴だとは思わないよ。野生の猿じゃあるまいし、無意味にキレたりはしねーだろ」
「野生の猿が言っても説得力がなぁ…」
「おい、こら」
「まぁまぁ、黒淵は頭も良さそうだし、いい意見を出してくれるかもよ?」
つっこの一言が鶴の一声となり、黒淵鉄をグループに誘うことが決まった。そのタイミングを見計らったように、宝蔵槍子が「なぁ誰か。黒淵を入れてくれるグループはないか?」と呼び掛ける。
だが予想通り誰一人として呼応する者はなく。流石に先生も少し気を遣ったら如何なものかとつっこ達が思う程に、気まずい静寂が訪れていた。
だから、京子の声はよく響いた。
「おい黒淵、こっち来いよ」
教室中の視線が一気に京子へ集まる。黒淵は一瞬呆気にとられていたが、すぐにニヤリと笑って席を立つ。そしてつっこ達のもとへやって来ると、手近な椅子にどっかり座った。
「お前らも大概、変な奴らだな」
「あんた程じゃないって」
これから先どうなるか分からないが、その時のつっこと黒淵の会話は、短いながらも確かに意思疎通が出来ているように見えた。
橘美咲は慌てた。
「よし、それじゃあ黒淵は海原の班な」
(先生、私は、私はどうなるの?)
自分は忘れられているのではないかと、焦りにますます拍車が掛かる。
その焦りが背中を押した。漸く、とうとう、重すぎて椅子に粘着しているような彼女の腰が上がる。
「わ、私も、私も入れて!!」
切実な叫びにつっこ達は驚いた顔をする。それも当然のことだ。
「俺がいるのにいいのか?いまさら他の所に行く気はないぞ」
黒淵自身、自分が橘美咲を今のような立場に追い込んだ自覚がある。だからいくら追い詰められても、同じ班に入れてくれなどと予想外であった。
「いいから、ね、お願い!」
どうして憎くてたまらないやつと同じ班など望むのか、橘美咲は自分自身でも分からなかった。
ただ、海原かもめとその仲間達の作り出す雰囲気に、温かさを感じていた。
私もあそこにいたい。あそこには私が本当に求めていたものがある。それを考えれば、黒淵との確執など大したことじゃない。
(そもそも私は本気で黒淵のことを嫌っているのかな?)
自分の本心へと近づく一歩を踏み出す。
その瞬間、まるで阻むかのように声が掛かった。
「美咲、あんたは私の班に入れてあげる。あんなダサイやつらよりいいでしょ?」
押杉の勧誘はかなり上から目線であった。
友達辞める宣言をしたけれど、あんまりかわいそうだから入れてあげる。そんなニュアンスを隠そうともしない。
橘美咲の心は揺れた。押杉のグループはクラスでもトップ集団だ。そこに所属することは、イコールでリア充と見られる。
リア充と見られる。これこそ橘美咲が自分を殺してでも目指してきたもの。でもそれは、本当にリアルが充実していると言えるだろうか。はっきり言って押杉が自分を対等に、友達として扱うとは到底考えられない。もしもそこに優しさがあるなら、最初から誘ってくれるはずだ。
だからきっと、この勧誘はあてつけ。
もともと自分の側にいた人間がよそで楽しそうにするのが気に食わないとか、そのくらいのものなんだろう。それに。
(もう利用されるのは嫌だ)
橘美咲は上履き隠しの発端を思い出す。押杉ほどの権力者になると、直接命令を口にしなくとも、会話のニュアンスで「やんなきゃ分かってるよね?」と伝えることが出来る。
つまるところ、橘美咲は内心で黒淵の正論を認めていたにもかかわらず、押杉への恐怖心から上履き隠しに及んだのだ。
「もう奴隷はやらない」
「は、何それ。被害妄想もいいところだっつの。まぁいいわ、後で後悔すんなよ」
もしかしたら報復で嫌がらせがあるかもしれない。でもそれを甘んじて耐える覚悟は出来ていた。
ふと振り向くと、海原かもめと目が合う。
心配するな、私達が守ってあげる。そう言っているように感じたのは、やはり自分勝手な、他人に依存する悪癖だろうか。
「おいでよ」
自分を呼ぶ、柔らかな声。
(そうだ)
伝わってきた彼女の包容力に、橘美咲は一つ決意をする。
(私も頼られるくらい強くなろう)
頼り、頼られる間柄。自分が望むのは本当の友達なのだから。